長安寺 石造宝塔 (重要文化財、平安時代後期、花崗岩、高さ 3.3m 滋賀県大津市逢坂2丁目3-18 長安寺の前の名称は関寺1025に著された「関寺縁起」によると、(976)の大地震で壊れた関寺を復興する時、資材を運搬した一頭の牛が仏(迦葉仏・かしょうぶつ)の化身であるという噂が立ち、多くの人が関寺に参拝しました。藤原道長や頼通まで、霊牛を拝みに駆けつける騒動になったそうです。そして(1025)霊牛は関寺の工事が終わると時を同じく死にました。その霊牛を供養し祀ったのがこの牛塔と呼ばれています。
この塔は高さ一丈(約3.3m)、八角型の礎石の上に周囲16尺の巨大な壷形の塔身をおき、笠石をつけたもので、この種の宝塔としては最古且つ最大、姿も重厚優美で重要文化財に指定されている。 1025に著された「関寺縁起」によると、(976)の大地震で壊れた関寺を復興する時、資材を運搬した一頭の牛が仏(迦葉仏・かしょうぶつ)の化身であるという噂が立ち、多くの人が関寺に参拝しました。藤原道長や頼通まで、霊牛を拝みに駆けつける騒動になったそうです。そして(1025)霊牛は関寺の工事が終わると時を同じく死にました。その霊牛を供養し祀ったのがこの牛塔と呼ばれています。
本堂
内陣
本堂に安置されている阿弥陀仏
小町供養塔
一遍上人 「一遍聖絵」によれば、弘安6年(1283)一遍上人は関寺に逗留し「踊念仏」を厳修した
超一房供養塔 (1275)に一遍上人が遊行の旅に出た際、同行した3名の中にこの超一房がいました。超一房は、一遍上人の時代から記されていた『時衆過去帳』によれば、この関寺逗留の頃、亡くなっているのです