いもりんのヒルズ的生活+貧乏昔話

教師から起業家へ。無一文の外国人夫との超ビンボーな暮しから脱出、奮闘の末つかんだ、ちょこリッチな生活をおバカ調で公開。

昨年の3月10日(震災前日)は何をしていたか

2012年03月10日 23時17分10秒 | 東日本大震災311

今晩、震災で亡くなられたり行方不明になった方2万人が、天国から見てくれるようにと、約2万発の花火が上がりました。

仙台市内を一望できる泉ケ岳から。うちの住宅地からはこんな風に見えます。

それで考えました。3月10日(木)は何をしていたのかなぁと。

会社の決算を終え、個人の確定申告を出し終わった頃・・・。
午前中に生協の宅配があった(←これがその後の兵糧攻めを、大いに助けることになる)

我が家を立ててくれたハウスメーカーの社長さんが、11日(金)の夜に「仙台で最高のステーキをご馳走します」とおっしゃって下さった。
たぶん2月に太陽光パネルを購入したお礼だと思う。
なのに、どうしても気持ちが動かず(何かが起こるという予感?)、速攻でお断りしていた(←仙台の財界の大物の招待を断るか?フツー。仲介者は呆れていた)。

小学校のPTA役員の仕事が終わり、打ち上げでもしようか、という話になった。
「最近地震が多くて心配だから行けない」という意見もあったが、とりあえず12日(土)に飲み会をすることに決め、店を予約した。
12日(土)の午前中は、町内のお仲間とテニスをする約束だった。

そして震災当日の11日(金)の午前中は、9時半からベルマーク活動が家庭科室であった。
また私は留守だったが、太陽光パネルを付けてくれた人が、「調子はどうですか?」と家を訪ねて夫が「とてもイイです」と返事をしたのが11日で、大地震の数時間前。

そういう、学校や家庭の予定をぎっちり組み、準備をして、「さあ明日は忙しくなる、早く寝よう」と3月10日が終わった。それを昨日のように克明に覚えている。

そして、とても現実とは思えない 3.11の朝を迎えるのである。


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