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孫文さんの“多摩たまの隠れ部屋”ブログ編

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沖縄の歴史 南大東島 Part 6 南大東島島民から見たアメリカ統制下

2014年05月11日 03時03分03秒 | 旅行(日本)
戦後、沖縄は1972年)5月15日の沖縄本土復帰に至るまでの、27年間はアメリカの統治下という暗い過去がある。
しかし、南大東島には、第3代高等弁務官の象があった。南大東島の島民にとってはアメリカ統治下でのキャラウェイ高等弁務官は島を変えてくれた“神様”なのだ。
その感謝の気持ちから、島にはキャラウェイ高等弁務官の胸像がある。
南大東島は、日本の中でも特殊な歴史がある。
1961年(昭和36年)、南大東島に視察に来たキャラウェイ高等弁務官に、島民達が島の土地問題を直訴した。1964年(昭和39年)7月30日、キャラウェイ高等弁務官の英断により島民の願いが叶えられる。詳しくは他のHPに詳しく書いてあるから調べてね。

キャラウェイ高等弁務官の胸像


ふるさと文化センターの近くにキャラウェイ高等弁務官の胸像があります


ふるさと文化センター(入場料200円)の中では、下記の貴重な展示があります。
日本のお金が使えなかった大東島
戦前、大東島では日本の貨幣が使えなかった。 島は社有地であったことから島独自の貨幣が流通し、大東島に来たものは、日本の貨幣から両替しなくてはいけなかった。 きっとレート設定を高くして、儲けたんだろうなぁ。
そして、戦前は行政もなかった。そういった施策が、植民地政策のモデル地区となったという歴史も持っている。
もう少し時間をとって、じっくり調べたかったなぁ。

写真は、左から玉置商会の1銭、東洋製糖の50銭、大日本精糖の5銭


南大東島気象台
台風が来ると、NEWSではその進路に出てくる島が大東島。
ココは台風の通り道。 南大東島では1日2回、ラジヲゾンデを飛ばして気象観測を実施している。
ここがその気象台なのかと感慨深かった。

気象台の看板




館内には、観測用のラジオゾンデが展示されていた。


ともかく、大東諸島は入植者が苦労した島。 こんな碑もありました。


この社は大東神社。 静寂な森の中にひっそりと歴史をかかえながらありました。



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