シルバーバーチを拠り所にして

スピリチュアリズムを学んでいます。

看取り願望

2016-04-08 12:31:16 | 逝く人
死ぬということは肉体という牢獄に閉じ込められていた霊が自由になることです。苦しみから解き放たれて霊本来の姿に戻ることが、はたして悲劇でしょうか。天上の色彩を見、言語で説明のしようのない天上の音楽を聞けるようになることが悲劇でしょうか。痛むということを知らない身体で、一瞬のうちに世界を駈けめぐり、霊の世界の美しさを満喫できるようになることを、あなたがたは悲劇と呼ぶのですか。『シルバーバーチの霊訓4』


ある老婦人が、最愛のご主人を看取れなかったことを大変後悔されていました。

「これなら、最期を看取れるよう病院に入院してもらったほうが良かった・・・。」

よくドラマなんかで、家族が心電図モニターに釘付けになっていますよね。
線の揺れが段々小さくなって、ピーって直線になって医者が「ご臨終です。」
あれが理想なのかなあ。

先日、仕事場の施設で、お年寄りが旅立っていきました。
いつ死んでもおかしくないという半植物状態で一ヶ月以上生きられましたが、看取りのため、ご家族さんが毎日交代で張り付いておりました。
親戚筋まで遠いところから、はるばるホテルでスタンバイですよ。
看取るほうも大変です。

私なら、ひっそりとあの世へ旅立ちたいな。
家族や医者は、その場にいないほうがいいかな。
霊界から大勢の霊が迎えてくれるので、その大群に看取ってもらいます。
で、私の家族が死ぬとき、今度は死んで霊になった私が、死にゆく家族を看取るわ。

つまり、逆なんだな。

生きている人が死にゆく人を看取るのではなく、霊になった人が、これから死んでいく人を看取るの。

全ての人は孤独に死んだように見えて、ちゃんと看取られ世話されているのです。
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