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比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その14 延暦寺(東塔地区諸堂)

2019年02月16日 03時58分14秒 | 滋賀県情報
2017年10月10日から10月12日まで比叡山延暦寺と坂本を訪問しました。

本日はその第14回として2017年10月11日と10月12日に訪問した東塔諸堂
を写真紹介します。

長い間、完結することなく記事を書くのを中断していましたが、延暦寺の中心的な根本中堂
のある東塔の諸堂と石山寺について記事を書いていなかったので再開することにしました。


本シリーズの過去13回の記事一覧
 比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その1 日吉東照宮

 比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その2 ケーブル坂本駅

 比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その3 求法寺走井元三大師堂

 比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その4 日吉大社

 比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その5 穴太衆積み石垣

 比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その6 慈眼堂(恵日院) 

 比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その7 滋賀院門跡

 比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その8 三井寺(園城寺)

 比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その9 琵琶湖第一疎水のトンネルと大津閘門

 比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その10 大津城跡

 比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その11 延暦寺(横川地区)

 比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その12 延暦寺(西塔地区)

 比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その13 伝教大師像と伝教大師伝

東塔諸堂配置図







上の4枚の写真は東塔諸堂の配置図です。

東塔諸堂の概要解説は下記サイトで紹介されています。
延暦寺の公式サイト:https://www.hieizan.or.jp/keidai/toudou

根本中堂(国宝)
Wikipediaより根本中堂についての概要を引用紹介します。
伝教大師最澄が延暦7年(788年)に、一乗止観院という草庵を建てたのが始まりとされる。
本尊は最澄が一刀三礼して刻んだ薬師瑠璃光如来と伝えられており(秘仏)、その宝前に
灯明をかかげて以来最澄のともした灯火は1200年間一度も消えることなく輝き続けているので、
「不滅の法灯」と呼ばれる(焼き討ち後の再建時には立石寺から分灯を受けた)。
中堂という呼称の由来は、最澄創建の三堂(薬師堂・文殊堂・経蔵)の中心に位置すること
から薬師堂を中堂と呼ぶようになり、この三堂は後に一つの伽藍にまとめられ、中堂という
名前が残ったとされる。比叡山延暦寺の中心であることから根本中堂といい、比叡山では
東塔という区域の中心的建築物である。


平成28年度から約10年かけて大改修工事が実施されています。

上の写真は改修工事中の根本中堂 撮影:2017-10-11


上の写真は根本中堂の概要説明


上の写真は根本中堂の歴史


上の写真は江戸期の根本中堂


上の写真は改修前の根本中堂


上の写真は根本中堂の変遷 (現地説明板より)






上の3枚の写真は根本中堂の建物と回廊に関する解説(現地説明板より)


上の写真は改修工事の概要説明も記載されている支援要請文


宮沢賢治と根本中堂に関する掲示

大講堂と鐘楼

上の写真は大講堂(重要文化財)の建物外観
5年に1度の法華大会をはじめ経典の講義などが行われる学問修業の道場。
現在の建物は昭和31年(1956)の焼失後に坂本にあった讃仏堂を移築したものです。
堂内には比叡山で修業した各宗派宗祖の木像が安置されています。


上の写真は鐘楼の外観






上の3枚の写真は大講堂の現地説明板

戒壇院







上の4枚の写真は戒壇院と現地説明板
「戒壇」とは正式な僧になるため高僧から必要な戒律を授けるために設置された
施設である。

日本で最初の戒壇は天平勝宝5年(753年)12月20日に仏舎利を携え薩摩坊津で
来日に成功した唐僧鑑真が、同じ年の12月26日に太宰府を訪れ筑紫戒壇院の地で初の
授戒を行った。奈良に招かれた鑑真の提唱で754年に東大寺に臨時に戒壇が設けられた。
ここで鑑真が聖武太上天皇、光明皇太后、孝謙天皇に戒律を授けた。

天台宗の僧がここで戒律を授かる場所である。
創建は天長5年(828)、御本尊は釈迦牟尼仏

法華総持院東塔・阿弥陀堂

上の写真の右手が阿弥陀堂、左手が法華総持院東塔(多宝塔)
東塔、灌頂堂、寂光堂を総称して法華総持院と言われています。






上の3枚の写真は東塔(多宝塔)のアップと現地説明板


上の写真は六所の宝塔と伝教大師と表した解説板


上の写真は灌頂堂 東塔(多宝塔)の左手にあります。




上の2枚の写真は解説板と鎌倉時代の絵図による東塔の姿を示したもの


上の写真は境内の鐘楼など

前唐院



上の2枚の写真は前唐院と現地説明板
慈覚大師 円仁の住坊であった院です。


上の写真は慈覚大師 円仁の尊像

瑞雲院



上の写真は瑞雲院と現地説明板
延暦寺の法華三昧道場

文殊楼







上の4枚の写真は文殊堂


上の写真は文殊堂より観た根本中堂


上の写真は谷崎潤一郎の「二人の稚児」に出てくる文殊堂の解説板

大黒堂



上の2枚の写真は大黒堂と現地説明板

萬拝堂と無料休憩所


大書院







上の4枚の写真は大書院関連の建物と現地説明板


上の写真は昭和天皇と今上天皇の御行幸の碑


上の写真は宿泊させていただいた延暦寺会館の建物外観




上の2枚の写真は総持坊
延暦寺東塔地区に住む僧侶に食事を提供している坊





上の2枚の写真は蓮如堂と現地説明板




上の写真は法然堂の遠景(東塔西谷にあります)
法然の師である皇円が住んでいた功徳院と伝えられている跡地に昭和初期、浄土宗の
知恩院、西山、深草の3派が勧進してお堂を建設し法然ゆかりの旧跡としたものです。




上の2枚の写真は法然堂の近景
毎月第2日曜日に「法然堂のつどい」が開かれています。


上の写真は浄土宗開基の法然上人の説明板

Wikipediaより延暦寺で修業するまでの過程を記した部分を引用させていただきます。

保延7年(1141年)9歳のとき、土地争論に関連し、明石源内武者貞明が父に夜討を
しかけて殺害してしまうが、その際の父の遺言によって仇討ちを断念し、菩提寺の
院主であった、母方の叔父の僧侶・観覚のもとに引き取られた。その才に気づいた
観覚は出家のための学問をさずけ、また、当時の仏教の最高学府であった比叡山での
勉学を勧めた。
その後、天養2年(1145年)[注釈 5]、比叡山延暦寺に登り、源光に師事した。
源光は自分ではこれ以上教えることがないとして、久安3年(1147年)に同じく
比叡山の皇円の下で得度し、天台座主行玄を戒師として授戒を受けた。

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