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比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その5 穴太衆積み石垣

2017年10月28日 03時33分31秒 | 滋賀県情報
2017年10月10日から10月12日まで比叡山延暦寺と坂本を訪問しました。

本日はその第5回として2017年10月10日に訪問した穴太衆積み石垣を写真紹介します。
穴太衆(あのうしゅう)は、織豊時代(安土桃山時代)に活躍した、石工の集団で、
石垣は自然石をあまり加工せずにそのまま巧みに組んで高く積み上げその上に白壁塗りの
土塀や生垣、竹垣、木柵などを配し母屋や庭園を囲む美しい堅固な石垣である。


本シリーズの過去4回の記事一覧
 比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その1 日吉東照宮

 比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その2 ケーブル坂本駅

 比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その3 求法寺走井元三大師堂

 比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その4 日吉大社





上の2枚の写真は芙蓉園本館(旧白豪院)の前の穴太衆積み石垣と現地説明板










上の5枚の写真は各所の穴太衆積み石垣

大津市坂本は平安時代より、山側の上坂本が延暦寺と日吉大社の門前町、琵琶湖湖畔の下坂本が
荷揚げ港として発展し、中世には近江国最大の都市として繁栄した。
近世以降は延暦寺と密接な関係を保って形成された里坊の特色ある建築や庭園、門やこの地方
独特の穴太衆積み石垣等が緑深い樹木や澄んだ水が流れる水路等とともに優れた歴史的景観
を維持しており伝統的建造物群保存地区に指定されています。

琵琶湖湖西の穴太は6世紀から7世紀前半にかけて渡来人が移住した。
縄文時代の遺跡が確認されている穴太遺跡から昭和61年(1986)9月、古墳時代後期の
オンドル遺跡が発見されており、現在大津市歴史博物館入口に保存展示されています。

穴太衆積み石垣の技術の話題として面白いサイトがありましたのでリンクしておきます。
穴太衆積み(あのうしゅうづみ)石匠 粟田純司さんを訪ねて
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