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チェロ五十代からの手習い

57才でチェロに初めて触れ、発見やら驚きを書いてきました。今では前期高齢者ですが気楽に書いてゆこうと思います。

初めての「毛替え」と弦の交換

2008年08月16日 22時30分00秒 | チェロ
 チェロを購入したのは昨年の3月19日だった。それから1年5ヶ月、素人奏法による酷使で弦も弓の毛も痛んでいるに違いない。この夏休みの予定の一つが「毛替え」と弦の張替えだった。チェロの先生がそろそろ弦を交換した方がいいかもしれない、とおっしゃったのもきっかけになった。

 この1年半、見よう見まねで演奏してきたので、毛のキューティクルは擦り切れているに違いない。最近でこそ弦の一点を弓で捉えて鳴らすという感覚をつかめてきたが、それまでは闇雲に力任せに押さえつけて弾いていた。本来弓の毛は弦の一点を捉えたら、弦を響かせて演奏するために必要なだけ移動すればいいはずなのだが、力任せの場合は不必要に滑らせ、まるで弦という「針金」にこすり付けしごいている状態になっていたに違いない。

 それともう一つ弓の毛で気になるのは、フロッグ(毛箱)に近い手元部分の5センチくらいに、手の油が付着してしまい、うまく松脂が乗らないため演奏しにくくなっていたことがある。ピッチカートのやり方も分からず闇雲にやていたころは、まるで鷲づかみ状態。しかも初ステージなどでは全身汗だく状態だったからさぞかし多くの脂汗を吸い込んでしまったことだろう。実は、こんなこと弦楽器の先輩にはとても話せないが・・・弓の毛がべたつくので、シャンプーを使って洗ってみたこともある。恐る恐るだったから余計駄目だったのかもしれないが、大した効果は得られなかった。
 その後ピッチカートの時の持ち替え方を教えてもらってからは、少しはましになったものの、今でもpizzとarcoの早い切り替えの時はどうしても弓の毛を触ってしまうことが多いのだが。

 さて弦について。購入時の弦はA,Dがクラウン、G,Cがスピロコアだった。何のことかも分からず、弦の種類や、演奏の時の違いも分からず弾いていたが、二回目のコンサートでエキストラの方から「見たこと無い弦ですね」「なぜ分かるんですか」「黄色い糸が巻かれた弦は珍しいですよね」と言われ、どうやらマイナーな弦なので弦もそろそろ考え方がいいのかも・・・と思っていたところだった。

 自分でもA線については何となく気になっていた。他の人のA線の音色と比べると、ちょっと細くて金属っぽい音がしてイマイチだなーと思っていた。購入当時は、他の人の楽器に比べ自分のチェロ、特にA線が柔らかく大層弾きやすいと満足してはいたのだが、もっと深みのある太い音を出したくなったのだ。A線以外については満足していた。いろいろなサイトを見ても、高音はラーセンで、低音はスピロコアという組み合わせが「定番」なのかなと思って、その組み合わせにしてもらった。

 毛替えはプロの仕事だけど、弦の交換は自分でやるものかもしれないが、この際と思って、どちらも楽器を購入した店を予約して、職人さんにやっていただいた。約1時間待つ間に、楽器ケースにも不満があったので、何点か見せていただいて迷いに迷った挙句、結局ドイツのGEWAという会社の新しく国内に入荷したケースも購入することにした。
 ケースの何が不満だったかというと、最大の問題は上下のケースカバーのかみ合わせがイマイチで、立ったままでの収納に手間取ることが一つ。もう一つは、留め金(7箇所あった)そのものが、チャチなためうまく掛からないことがしょっちゅうあったのだ。その点GEWAはよく考えられていて、たった4箇所を止めるだけでぴたっとはまるし、細部が使用者の視点でよく考えられている(中国製の製品も見たが、素材は高級でも使用感に歴史の無さを感じてしまう)

 そんな散財をしているうちに毛替えが出来たので試し弾きをしようとしたが、新しい毛には松脂が全く塗られていないので音が出ない(当たり前だ)。早く音を鳴らしてみたいので、即自宅に持って帰って、新しい世界を経験することにした。はやる気持ちを抑えながらの運転ではあったが(なんせ免停一歩前也)1時間で帰宅、即練習を開始。

 ところが、新しい毛というのは、なかなか松脂が乗ってくれない。弦も新品、毛も新品とはこんなものなのかと、試行錯誤を繰り返すうちに、ようやく弦に毛が噛み始め音が出た!

 おー!いい。A線から出てくる音の違いに驚いた。クラウンと明らかに違う太い豊かな音色だ。この音なら先輩諸氏のように渋い演奏も出来るかもしれない。しかしG線にはまいった。なかなか太い豊かな音になってくれない。古い弦では出せていた音色にならない原因はまだ分からない。弦そのものの個体差なのか、松脂の付き方なのか、毛の張りの違いなのか・・・次のレッスンで先生に聞いてみようと思う。

定演無事終了、デビューとは違った満足感が

2008年05月19日 01時10分19秒 | チェロ
 今回の演奏会では400名を越える沢山の人々に半年に渡った練習の成果をお披露目できた。定期演奏会なのでファミリーコンサートより硬い運営にも関わらず、多くの方が「楽しいかった」「良かった」とアンケートに書き込み、声援をしてくれているのが嬉しい。

 中には厳しい意見も書かれていた。弦楽器トレーナーの先生は「一番厳しくて、嫌だなーと思う声が本当の実力だと思ったほうがいい」と言っていた。「管と弦の連携が出来てない」「金管に問題、唯我独尊の演奏」「もっと練習をすべき」「実力に合った選曲を」等々はあるものの、そんなキッツーイ意見を書いた人も「前回以上に良くなった」「よく練習していることがわかる」「○○曲目の弦の音は秀逸だった」など良い面も認めてくれているのでほっとする。

 昨年10月の、チェロ歴半年での「無謀なデビュー」は一生忘れることのできない強烈な体験だった。全身の血が上る、わけも分からない間に曲が終わっている、地に足が付いてない感覚、そして終了後の爽快感、聴いてくれた人々への心からの感謝・・・できるならもう一回あのデビューをやりたいと思うほどの経験ができた。

 あれから半年、今日の二回目の舞台では、「心の嵐」みたいな状態こそなかったものの、やっぱり得がたい、素晴らしい経験ができたと思う。
まず終わったばかりの段階で感じていることは二つある。
一つは寂しさ。「あーあ祭りは終わったのかー」という感傷と、「もうこれらの曲とお別れなのか」「もっと練習したかった」「もう一回演奏したい」という気持。
もう一つは早く次のステージに立ちたいという意欲。こんなに一生懸命取り組めるものなんて他にはない。仕事でもめったにない出来事なんだから。

 さて今回の自分の演奏そのもは家内から「今回は上手になっていたね」と言われるだけあって、進化できたのだとはっきり感じる。
 デビュー戦とどこが違っただろう。8割を超えて演奏できる・・とゲネプロでは自信があったのだが、本番のステージでは、落っこちた部分が増えてしまい、飛び出しも2ヶ所あったので残念ながら未達成だと思う。
 それでも弦楽器の厚みに貢献できたしオケの一員としての役割はそれなりに果たせたという効力感が残っている。
 その理由は、やはりこの半年ほぼ欠かさず毎週の練習に参加し、8割~9割は演奏できるというところまでの積み重ねがあることと、最近ボーイングのコツが自分なりに分かったことがやはり大きいと思う。
 無理なく大きな音を出せていたし、楽器が響いた状態でPPのロングトーンを続けることができていた。音がおかしいと思っても、すぐにボーイングを直し良い音を出すというセルフチェックが効いていたと思う。それにチェロの見せ場で落ちることは避けられた(ちょっと音外したけど)。当たり前なんだけど弾けるところは確実な音が出せているのは、ボーイングの基本のおかげなんだと思う。

 バイオリンの先輩(主婦)は「始めたころは参加できるのが嬉しくて満足していたのに、5年目くらいに辞めたくなったことがある。こんな私が参加していていいのだろうか・・て悩んだ」と言っていた。そんなこともあるのかもしれないが、今の自分は、このまま、一歩ずつ上達してもっともっと演奏会を楽しめるようになりたいと思った。

ついに二年目突入!だったんです

2008年03月17日 00時20分50秒 | チェロ
 先ほどhideoさんのご指摘で、とうとう僕のチェロ生活、そして見よう見まねでやってきたBlog生活が、何と二年目に入ったのです。
 うーん、この日が来るのやらこないのやら。チェロについては家内から「無駄にしないでね」息子たちは「どうせまたハンガーになるんじゃないの」なんてあざけられてきたのですが、とうとう三日坊主から脱却。しかも一週年記念を祝うかのように学友とのアンサンブルの楽しみが加わってしまった。
 いつか市民オーケストラに参加したい、いつか僕もアンサンブルを楽しみたいと希求してきた願いが、あまりにも早く実現して、なんだか夢のようであります(これ本当に月並みな表現也)。
 じゃ言葉を代えれば、チェロと共に歩んだこの一年で何が変わったのだろうか?
一番変わったのは、人生が前に開けたこと。もしチェロを始めていなければ「60歳まであと何年何ヶ月」と終わりに向かって進むだけのどん詰まりの人生になっていたと思う。
 それに比べ、今、焦りも、追い込まれもないのが不思議だ。人生これからって感じ。無論仕事抜きに男の暮らしはなかなか成り立ちにくい。行くところが無ければ家人から「どこか行くと来ないの?」とか言われてつらい日々を送ること間違いない。単一の対象に固執していると、視野も意識も狭窄してしまい息苦しさを覚えるものだ。しかし今では仕事以外でも忙しく、充実した時を過ごすことが出来ているなんて、以前は考えもできなかった(僕は無趣味のCD&DVD多消費型人間に過ぎなかった)。

 というわけで、チェロとともに”現代人もすなる”Blogなる世界にも足を踏み入れさせていただき、世界が変わってしまった。

 今日はこの場を借りて、お礼を申し上げたい人がいる。NYのguarneri さんこと、今年1月に「CELLO LOVE ニューヨーク・チェロ修行」を出版された石川敦子さんだ。この方のNYでのチェロブログに触発され、思い切ってチェロレッスンに通い始め、即効でチェロを購入。同時に何を血迷ったかBlogをはじめてしまったのだった。

 そして多くの方のBlogに刺激を受け2年目を迎えることが出来たのだ。またささやかな私のBlogにコメントを残していただいたNYのguarneri さんだけでなくBlogを通して教え、導いていただいた下記の全ての皆様に感謝したい。

hurry-k
yoshi
腹出朗SIN
紫苑
celloneko
memaido

とおりすがり
spot
腰痛アドバイザー
どりてぃんドリーム
eflat

 そして今日「二年目だよ!」とコメントをくれたhideoさんに、改めてお礼を申し上げます。ありがとうございました!そしてこれからもよろしくお願いします!

イタリア奇想曲は、わが思い出の音楽なのに、難しい

2008年01月21日 00時08分54秒 | チェロ
 5月の定演はブラームス「交響曲第三番」の主演目に加えて、チャイコフスキー「イタリア奇想曲」、サンサーンス「バッカナール」、芥川也寸志「交響管弦楽のための音楽」の楽譜も配布されて「初合わせ」が行われた。
 練習結果は「難しい」の一言。ブラ3だけを4ヶ月練習しても、とても8割に到達できないと悲観的になっているところに、イタリア奇想曲も大変な曲だと分かった。

 思えば、中学生の時、自分の小遣いで初めて購入した「レコード」がイタリア奇想曲だったなー。黒くてすぐ割れてしまうSP盤用の蓄音機が物置にお蔵入りしてから、当時の我が家にはステレオ装置がなかった。そんなある日、兄たちが小遣いを出し合ってLPプレーヤーなるものを購入してきた。
 そのプレーヤーは持ち運びタイプながら、ターンテーブルを挟んで二つのスピーカーがセットされていて、LP以外にシングル盤やドーナツ盤も聴くことができた。そのころ、新宿の角筈にあった中古レコード店に自転車で飛んで行き、購入したのが「イタリア奇想曲」だった。

 いまでは西新宿といえば大ビル街に変身しているが、東京オリンピック開催前の西新宿は広大な浄水場の貯水池があるだけだった。無論ビルらしいビルと言えば三越と伊勢丹が見えるくらいで、紀伊国屋も高野フルーツパーラーも大型の本屋と果物屋だった。つまり新宿の繁華街から外れた、都電通りに面して、その古レコード店はあった。無論木造平屋で、店内の大半はSP盤のクラシックレコードだったと思う。

 本当はチャイコフスキーの「悲愴」を買いたかったのかもしれない。音楽の時間に聴いた「くるみ割り人形」でチャイコフスキーが好きになり、渋谷の児童館で掛けてもらった「悲愴」が意味不明な曲で(当時の自分には)、なぜだかチャイコフスキーを求めていたのかも知れない。
 しかし僕のお金ではLPは買えなかったのだと思う。そこで何とか手に入ったのが「EP盤」(LPとドーナツ盤の中位の大きさ)のイタリア奇想曲だったのだろう。 
 
 レコードジャケットの解説には彼がイタリア旅行をしたあと作曲したので明るい曲想であり、トランペットのファンファーレから始まる云々と書かれていたような気がする。なにせ子供、何も買わずに出るのも格好悪いので買っただけかもしれない。
 
 レコードを抱えて、古レコード屋から自宅まで自転車を飛ばした。帰宅すると、プレーヤーを引っ張り出し、どきどきしながら針を置いた。
 小さなプレーヤーから流れ出したのはトランペットのファンファーレ。そのあと重苦しいオーケストラの音が続く・・・その瞬間「買ったのは失敗か」と心では思ったかもしれない。でも買った以上好きになろうと、何度も聞いたと思う。
 ところがところが哀れな自分。たった一枚のEP盤を繰り返し聞くのも「みじめ」な気もして・・・さらに「本当に自分はこの曲が好きなのか」と疑問に思って、さらに家族から「こんな曲が好きなんだ」と勝手に思われるのも癪に障る気がして、して、して・・・なんせ疾風怒涛、崩壊ぎりぎりの心を隠し持った中学生だったんだ、あのころの自分は・・・

 でも、イタリア奇想曲、僕は好きになったと思う。曲の後半になるとイタリアらしい軽快さに救われた気持ちになったのだ。

 そんなイタリア奇想曲だけど、チェロパートはまるで練習曲のような部分もある。シャープ3つから、いきなりフラット5つへの転調のあと8分音符の連続スケールにやられてしまう。つまりここは、恐らく、きっと、本番では、落っこちたままになる確率が高いのだ。

 チャイコフスキーはイタリアで何を感じてきたのか。あれから1世紀以上経って、極東の片田舎で、50歳代のチェロ初心者が悪戦苦闘しようなどど、頭の片隅にあろうはずも無く・・当たり前だ!

 ブラームスもチャイコフスキーも、今生きていて、アマオケの演奏を聴くことが出来たら、一体どんな感想を持つのだろう。
 せめて「一生懸命演奏してくれてありがとう!」と微笑んでもらえるよう、頑張ろうっと。

サイレントチェロって素敵!

2007年12月06日 01時18分12秒 | チェロ
 今夜は「チェロ坊」と遊ぶことができた。深夜12時を回ってからの練習なんだけど、これが結構いい感じなのだ。スポーツマンが毎日ジョギングをするように、スポーツ音痴の僕は、サイレントチェロがジョギングの代わりなんだという気になった。

 サイレントの良いところは、無論音が静かということもあるが、イヤフォンを付けなくても弱いながら十分な音がすること。最近ではイヤフォンはめったにしなくなった。そのほうが かえって音が自然に聞こえるし、身体が自由でいい感じ。少々キーキー音が出ても、他の弦に弓が触ってしまって、不必要な音が出ても気にせず、全然気にしないでズンズン進むことができる。

 これが生楽器だとそうは行かない。いくらミュートを付けても、低音が階下に伝わって迷惑を掛けることになる。迷惑というだけでなく外に音が漏れ出て、誰かに聞かれると思うと恥ずかしいのだ。
 ちょうど指揮者の元での練習では無茶な弾き方はできないのと同様に、音が大きいチェロでは、大胆な練習がしにくい・・要するに腹が据わってないのかも。

 それがサイレントなら大丈夫。ガーガーギーギーやりながら、音楽のテンポに合わせる感覚を身につけるには良いと思う。

 ただ、音があまりしないからと思って、つい弓を持つ手に力が入っていたり、いつの間にか親指が「反り返って」しまっていたりと、悪い癖が見え隠れするので要注意。貧乏性なので「弓の毛が減っちゃうじゃないか・・」「大事な弓が傷んじゃうんではないか」などと心配にもなる。

 そんなこんなでYAMAHAさんありがとう!そして生チェロの「あの女(ひと)」には、寂しい思いをさせてごめんなさい!


サイレントチェロをGETできた

2007年11月27日 00時35分28秒 | チェロ
 銀座の楽器店からYAMAHAのSVC50というサイレントチェロを購入した。現品でちょっと難ありとはいえ(電池ケースの蓋が外れやすいことなど)、YAMAHAの価格統制は厳格で、本体はキャンペーン価格以上には値引きしてもらえなかった。でもいろいろサービスいただき、カーボン弓やら生チェロのスタンドやらを加えて14万円+αに収めていただいた。

 千葉まで電車を乗り継ぎ、重たいチェロスタンドまで一緒に担いで帰るのは大変だったけど、部屋に収まってみるとなかなか立派だ。生チェロ用のスタンドも工夫してみると、サイレントチェロをしっかりと支えてくれることが判明。

 何より弾いてみて、音の静かなことに期待以上の満足感を感じる。それは当たり前なんだけど、ちょうどアコースティックギターからエレキギターに持ち替えたのと同じ感覚で、共鳴箱が無いのでマンションの窓を開けたまま弾いても、何ら苦情が出そうもない。このストレスの無さといったら、本当にYAMAHAさんは偉い!と感じてしまう。

 我が家では「あの女(ひと)」と言われている生チェロさんには、少し部屋の隅に場所を移していただき(ちょっと冷たいかな)、平日はこのサイレント坊やと付き合ってゆこうと思う。「あの女」は土日にたっぷり可愛がってあげるから。

 サイレントチェロに電池を入れ、YAMAHA付属のイヤフォンではなく、普段使っているオーディオ用のイヤフォンを耳に掛ける。そして新しいカーボン弓で弾いてみると、なかなかいい感じ。
 カーボンってこんなに軽いんだ。弦はさすがに固めだけど(これはピックアップから振動を読み取るために、どうしようもないらしい)全体に弾きやすい。
 スイッチを切り替えると、ホールで演奏しているような反響効果も加わって楽しめる。まさにサイレントは自分ひとりで深夜にフィンガリングとボウイングの練習をするのに抜群のツールだと感じた。

 眺めればでっかいカマキリにも見えるが、この静かで結構堂々とした新しい同居人とともに、新しい生活を始めようと思う!

団員の方から譜面が届けられた

2007年06月24日 19時14分16秒 | チェロ
 早速「未来の団員」として、暖かく対応していただき本当に嬉しい。届いた郵便を開けると、親切なアドバイスと、この秋の演奏会の楽譜が入れられたいた。まだ何もまともに弾けない僕が見学をするとき、手元に譜面がないとかわいそう・・と思っていただいたに違いない。忙しい中、譜面をコピーし、届けていただける気持ちに感謝。

 ところがそんな気持ちも、譜面を見たとたん吹き飛んだ!とても読み取れない。初見どころか、ヘ音記号しか見てこなかったのに、途中でヘ音記号とテノール記号が入り乱れ・・・えー!シャープが5つもついている曲もあるじゃん!。こんな楽譜、普通の人はどうやって読み取るんだろう。それに、テノール記号をたどってゆくと、かろうじて理解できる第4ポジションだけでは足りないのだ。

 うーん、これからプロのレッスンを受けられるとしても、きっと基本練習からだろうなー。こんなハイポジションの演奏にチャレンジできるようになるのに、どれだけかかるんだろう。
 こんなのはどうだろう。基本的な低いポジションで演奏できるところだけ参加して、あとはやっている振りをするというのは・・・。んーそんな馬鹿なこと考えるやつはいないよなー。

 そんなこんなで、実際のオケではどんな風に、チェロの人たちは演奏しているんだろうかと、たまたま千葉市管弦楽団の定期演奏会というのがあるので、行ってみた。9人のチェリストとともに、大編成のアマオケの皆さんが、シベリウス交響曲7番や「新世界」で楽しませてくれた。しかし、誰も、低音だけでごまかしている人はいなかった(由緒ある千葉市響においてそんなことあってたまるか!)

 そんな中で、とても素敵だったのは、歌劇「マノンレスコー」より第3幕の間奏曲が二曲目に演奏されたが、その導入がチェロのソロから始まるのだった!そしてコンマス、ビオラのトップが加わって、大変美しいハーモニーを響かせてくれた。
 いつかあんな美しい音色を出せるようになりたいと思った。千葉市響のみなさんありがとう!

 さて手元にある、弾くに弾けない譜面とどうつきあってゆけばいいのか。しばらく眺めながら考えてみようと思う。

 

 

チェロのある部屋

2007年03月19日 21時10分53秒 | チェロ
 部屋にチェロを持ち帰った。



チェロを買って帰る途中で、座面が硬い椅子を購入(あれこれ迷ったんです。折り畳みがいいなーコンサートだって折りたたみだしなー、でも味気ないかなー)。結局現在使っている事務机を引き取ってもらい新しい木製の椅子を購入した。(これまでの椅子は会社でも誰も引き取り手が無かった、時代遅れの社長机、ただでかいだけのシロモノ)

 いずれにしろ、チェロへの道筋は、なかなか険しい。形から入ることばかりやっていて、なかなか練習にたどり着かない。

 むかしからそうだった。「いざ勉強しよう!」となると、まず机周辺の整理整頓から始まる。しだいに掃除に力が入り、部屋の掃除にすすむ。掃除が終われば、当然ここで一服、コーヒーでも入れて・・となり、ゆっくりしていると眠くなる。一眠りして起きると、もはや残された時間はわずか。追われるように机に向かうものの、ジ・エンド。

 今回のチェロはそうはさせまいと思うものの、ここまでの経過は、やっぱり自分の長年の「癖」から抜け出すことは難しいものだ。椅子の購入のあと、気づけば「譜面台がない」「チェロ置き台がない」・・こんなことやってちゃ、終わっちゃうぜ!

体験レッスンはあるものの、まだ一回も指導を受けていないこともあり、チェロ関係のBlogを片っ端から開いてまねてみる。

 「そうか、浅く持つのか」「親指は伸ばさず、45度ね」(ここらへんはゴーシュ弦楽器さん) 「左手は下げてはだめで・・」
本物のチェロって、びっくりする位でっかい音がするので、まことにまことに、おっかなびっくりのスタート。でも、こんな僕でもG、Dの開放弦はいい響きだ。

 午後いっぱい部屋に閉じこもってあれこれ試行錯誤したけど「畳の上の水練」はいくらやっても、うまくならないよね。「新しい楽器はゴーゴー鳴らすこと」という記事もあり、やたらゴーゴーやってもみたが、やっぱ仲間がいないとスタートできそうもないなー。

 早く次のレッスン始まらないかなー。楽器君がかわいそう・・

 

銀座の街をチェロを抱えて歩く

2007年03月19日 02時27分04秒 | チェロ
 チェロを手にする日が来た!東京まで電車で行こうと思ったが、はやる気持ちは車で高速を飛ばす方を選んだ。やはり2時間も寝れなかったが走り出したらパッチリ。一路銀座へ。

 まだ11時前だというのに銀座周辺はすでに駐車場を争う車であふれていた。幸い楽器売り場は、店員さん(ごめんなさいバイオリニストなんだけど)の言う通りすいていた。午後はごった返すそうだ。チェロ置き場に直行すると、愛しいチェロには「ご予約済み」の黄色い札がはさまれていた。

「やっぱり、いい楽器は目を惹くんですね。このチェロ売れちゃったんですかと声を掛けてくるお客様がいましたよ」と店員さんの嬉しいフォロー。もはや後戻りできない、効果ばっちりのフォロートーク。買うしかない。

 本体とケースは決まっていたけど、弓は決まっていなかった。弓というのは想像以上に選択の幅が広く、欲張れば本体の半分くらいの価格にすぐなっちゃうようだ。残念ながら自分では弾き比べられないので、何本か試してもらうと、確かにいい弓は太く「長方形」の音がする(これって変な表現かもしれないけど)。ちょっと未練がましく「ほかの楽器も弾いてくれませんか」「そうですよね、納得するためにもね」と、ポロロンと弦をはじいただけで、響きが違うのがわかる。「これはこれでチェロの音ではあるんですけどね」。フムフム、納得。

 購入の最大の難関は、カードの支払いだった。思えばこんな高い買い物をしたことはかつて一度もなかったのだから、分からなかったのだけど、カードの支払い限度額が低いので、ボーナス一括も、分割も僕の条件ではできなかった!とほほ情けねー・・さんざん店の人に迷惑を掛けて、なんとか支払いにたどり着くことできた時には、2時間以上経っていた。

 店を出て、駐車場までほんのちょっとの距離を、赤いケースを抱え(男の赤だと僕は思う)銀座歩行者天国を歩いた。まるで美しいレディーをエスコートしてデビュタントになった気分で、誇らしささえ感じた。いっぱしのチェリスト風に変身したこの瞬間のためだけでも、購入費用は惜しくはない!と思えるほど。(若い女性がウン十万かけて変身する気持ちが分かったような気がする)

 今はチェリストの振りだけど、1年後には本当にどこかの市民オケに参加していたいと思う。思い起こせば、子供のころから、夢とか目指すものなんてなかったなー。図工の時間に「将来何になりたいか書きなさい」って言われて本当に困った自分をたまに思い出す。

 僕が描いたのは、背広を着て会社の机に座っている姿(見たことはなかったけど、観葉植物が横にある部長席みないな絵だった)今思えばなんとつまらない絵なんだろう!将来きっとこうなるという「予想」ないし「予定」の表現だったのだ。確かに大人になってそうはなったけど、これって今の言葉で言えばサラリーマンっていうことだ。「将来の夢」にサラリーマンの絵を描いた子供って僕だけじゃない? これってオリジナリティーがあるってこと??

 というわけで、なかなか得られない「夢」、オーケストラの響きの只中に加わっているという夢が生まれたことが何より嬉しい。昨日の夜眠れなくなったのも、実は関東の市民オーケストラを次から次と探しては、楽団員募集をチェックしていたからだった。嬉しいことにチェロは募集候補の中の2~3位。1位はコントラバス、二位がビオラだと思う。チェロにチャンスあり! がんばろうっと。

バイオリンかチェロか

2007年03月17日 01時47分09秒 | チェロ
 音楽は好きだから、毎月のようになんらかのCDを買い込んでくる。買い方は行き当たりばったりで、店頭で見かけた気になるCDを買うことになる。聴いてみるとすばらしいことも多い。最近ではスキマスイッチというグループの詩と歌声にすっかり惚れてしまった。でもどれだけ好きでも音楽は飽きがくるので、クラシック、JAZZ、ポピュラー・・いろいろ浮気をしてきた。

 声楽でも、ピアノでも、オーボエ、トランペット・・一流のアーチストの音色はどれも聞き惚れるが、最後に行き着くのは人の声かバイオリンの音色だと感じていた。クラシックだけでなく、JAZZバイオリニスト・ステファングラッペリーの甘い音色。SECRET GARDENのなんとも懐かしいアイリッシュ・バイオリンの響き。「あーバイオリンができたらなー」

 でも心の声は「今さらバイオリンはないんじゃない?・・だいたい無骨な指があの小さな指板に収まらないぜ」「小学生の弾くバイオリンなんて聴けたものじゃない、あれと同じことを今からやるっていうのかい?」・・「やっぱ大人はチェロかなー・・でもセロ弾きのゴーシュは、消しゴムみたいなネズミをチェロに入れて遊んでたけど、なんだか寂しげだよなー・・」なんてことをあてもなく思ったりする。

 こんな思いが口に出ることもある。「そろそろ楽器やろうかなー」「やったらいいじゃないの」「でもなー楽器高いしなー」「言ってるだけなんでしょ」「そんなことないよ、でも仕事で練習もできないよな・・」「そうそう、そうね」と軽くあしらわれて終わり。つまり主体性が乏しい状態で、結局何も始まらない。

 主体性と言えば、中学以来の友人が「君はいつだって人に合わせていて、自分の好みを主張したことないじゃない」と喝破したのはつい昨年のこと。それまで自分が自主性、主体性が弱いなどとは全く気づいていなかったのだ。自分を何十年も見てくれていることが嬉しくもあったが、一方でなんとも寂しくもある一言だった。

 そんな私がある仕事先の幹部の方から、その人も参加している市民オーケストラの招待券をもらった。「どうせ素人オケだからなー、つきあいだから行ってみるか」程度の気持ちで聴きに行って驚いた。プーランクのシンフォニエッタから始まったすばらしいアンサンブルに酔わされてしまった。「何でもいい、あの音の世界に入りたい」と思えた。案外チェロのパートが少ないこと、団員全員総出演で演奏していることも教えてもらった。「チャンスはあるんだ」

 このコンサートがチェロへの道の第二の引き金だったのかもしれない。でもここまで書いてきて、バイオリンが一番と思っていた自分が、あのBlogでぜチェロを選んだんだけど、それだけだろうか・・まだ解明できてない。もうし考えてみようっと。