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チェロ五十代からの手習い

57才でチェロに初めて触れ、発見やら驚きを書いてきました。今では前期高齢者ですが気楽に書いてゆこうと思います。

チェロへの最後の坂道を後押ししたもの

2007年03月16日 01時35分21秒 | チェロ
 チェロへの道の最後の直線を走りはじめたきっかけは、NY発のあるBLOGだった。「弦楽器の音色」という表題が気になり、読み始めたら止まらなくなった。書き人はYOYOMAのコンサートに衝撃を受け、レンタルチェロを借りてレッスンを受けながら、楽器購入そして市民オーケストラへの参加という道筋を歩んでいた。

 それだけなら「ふーんそうやるんだ」程度の話でとどまっていたかもしれない。でも「弦楽器の音色」が僕の心を振るわせたのは、チェロとともにNYで生きるその人のかっこよさ、颯爽とした生き方のような何かだった。自立し、冷静さと熱情、クールな客観性と豊かな感受性を併せ持った文章から、はじめは男性かと感じた。やがて外界と内面へのみずみずしい感性の持ち主は日本で活躍した後、アメリカを拠点にビジネスで日米欧を飛び歩いている女性だと分かった。

 NYの街を、忙しいビジネスの合間を縫って、チェロを抱えてスタジオに消えてゆく。かっこいい!これをまねしないわけにはゆかない。学生時代オーケストラに参加していたことはあった。しかしそれだけで、音楽の道に復帰するにはバリアーがありすぎる。それが大人としてのくだらない障害だとしても、なかなか乗り越えられないものだ。しかし「かっこいい!」「素敵!」「ああなりたい!」という感動は、バリアなど初めからなかったかのように、飛び越えさせてしまう。

 いま50代後半。分別の年齢?しゃらくせー。いま30年ぶりに「あーいいなー」という思いが湧き上がったなら、その心に素直に体をゆだねてみよう。50代の分別ってそういう、自分の心に素直に生きようとすることなのかもしれない、と今気づいた。

 だとすると、妻がこんな高価な買い物に、何のためらいもなく賛同してくれたのも、ひょったしたら、そんなわくわくしている夫の心を久しぶりに感じられたから、後押ししてくれたのかも知れないなー。ありがとう。妻に感謝

チェロを買ってしまった!

2007年03月15日 03時29分22秒 | チェロ
僕は、とんでもない刹那野郎なんです。

さっき銀座の楽器店に飛び込んで「今から始めて、一生買い換える必要がなくて、いずれ市民オケで弾いても恥ずかしくない楽器はどれですか」「NYの友達(ブログでお世話になっただけなんですが勝手に引き合いに出し)の話では中国製もいいっていう話ですが」などと説明した挙句、決めてきてしまったんです。

 チェロをやってみたくなったら一刻も我慢できない!って感じで工事中の山野楽器本館5階楽器売り場をたずねて、信頼できそうな(つまり音楽と楽器を愛しているに違いない青年店員)に、体を預けてしまったのです。「私はこれしかないと思います」「じゃそれ一つください」・・に近い感じで予約してしまった。

 本当は、ブラスバンド以来なじみのある金管楽器のあたりをウロウロして逡巡をしながら「もし弦楽器コーナーに行けばどんな展開になるか」なんて無意識に分かっていたのです。僕の人生はいつもこうだった、人と関わると、とことん自己露出してしまい、いずれあきれられるのを恐れて、やがって去ってゆく・・・。でも山野楽器の青年はいい感じでした。この人の話を鵜呑みにしても後悔はないと。

 「これです」と示されたのは、予想を超え、値段は三桁の大台に乗っていましたが、買う方向に自己説得を始める自分をどこかで感じながら、深みにずぶずぶはまってゆく・・「でも弓も高いんでしょう、それにケースだってあるしね」。もう毒を食らえば皿までも。彼はバイオリン学科だったそうで、ここでチェロを覚えたんですと言いながら鳴らす音のすばらしさ。もう僕の心の中では買うと決まってしまっているのです。

 もし銀座8丁目のヤマハが工事中でなければ向こうでじっくり見て、比較検討してたかもしれないのに、ヤマハが悪いんだ。それとネットで調べた銀座3丁目の弦楽器専門店もあいにく定休日だったからな・・とかなんとか、言い訳したりして、心乱れながらも・・「じゃ日曜日にこれ取りに来ます」
(!!おいおい、俺ってこれでいいの、こんな生き方していていいの??)

 ドイツの新作チェロ、トーマス・シュタイナー。おそらく車が買えちゃう・・ 
松坂屋地下街でホワイトデー(これって日本のドメスティック習慣?)のクッキーを買い込み、あとはどうやって妻の機嫌を取り付けるか・・僕の人生のいつものパターンで、今日は終わったのです。
 
 今も目に映る正目の美しいチェロと、赤いケース。もはや見栄えだけでもすばらしいのです。日曜日には、きっとこの手に、あのすばらしいものが抱かれているはずです。

 僕がこんな日を迎えるに至ったのは・・・また明日思い起こそうっと。