天の森だより

おもうこと・心のままに

糺の森で

2018-09-29 | ひとりごと・おもうこと

私の生まれた京都の下鴨というところには

賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)

通称下鴨神社があり、糺の森という気持ちのいい森があります。

私の実家の近くを流れているのは賀茂川。

この神社の少し南で高野川と合流してからは鴨川。

と漢字が変わるんですよー。

 

さて、この糺の森、先日の台風でご神木が折れたり、根こそぎ倒れたりと

相当な被害を受けていて、森に入ると、いつもとは違う雰囲気・・・

言葉も無く、ただただ 心を傾け、回復をお祈りするしか

ありませんでした。

気を取り直して鳥居をくぐると、

いつものごとく世界は一変し、

このお宮独特の雰囲気に包まれます。

人それぞれですが、私は拝殿のほうはどうも落ち着きません。

たくさんのエネルギーが入り交じり、神様を感じられないというか

自分自身が落ち着きません。なぜかは解りませんが

ちょっと違うスポットから いつもお参りします。

 

いつものように感謝をささげ、ちょこっとモゴモゴ

ワタクシゴトを申し上げ、おみくじも今回はいただき、

まさにぴったりのメッセージを読んで感動しながら

空を見上げると真っ青!白い雲!

すると・・・

やややっ

結婚式が執り行われるようです!

きれい・・・・

ラッキーだなあ・・・

うっとり・・・。

珍しく神社内に長いこと立っていました。

 

ふたたび鳥居をくぐり森に戻り

木々にいたわりと感謝の気持ちを送って 

最後に一礼して御神域を出ようとした時

声なき声を感じました。

「生きようとするがよい。」

威厳のある鋭く強いひびきです。

・・・・・・・・・・

それとともに なぜだか 天狗と竜神、同時に感じました。

少し驚きました。

イキヨウト スルガヨイ

時が経つほどに その言葉の深い意味を感じ

自分を この自然界のいのちの中のひとつの「いのち」として

いま どんな意識でいるのか、どうしたいのか

何をしたいのか 霧の向こうにあるものが

だんだんとしっかり 見えてくるような感覚です。

自分を生きること。

それをもう表現していかないと

肉体があろうが無かろうが関係なく

「魂としてのわたし」が生かされないまま

悲しく死んだようになってしまうのでは?と

思ったんです。うまく伝わるでしょうか。

それに、せっかくいま生きているのだから

肉体としてこの世にいるうちに、そういう自分として

もう一度生き直したい。最初はうまくいかなくても

何度も何度も あきらめずに

そこに近づきたいと思ったのでした。

でもそれは

生まれ変わるのではないですよね。

もともとの私の「いのち」に戻るんですね。

 

 

 

 

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