デジカメを持って歩こう.

個人の 登山、トレッキング、散歩、海外旅行 の記録です。

 2012年9月 南米.ペルー周遊からブログ参加です

中山道69次を歩く -Top頁-

2025-08-01 16:44:05 | 中山道

中山道を歩くという企画をW校友会有志で実施します。 日本橋から京都三条大橋まで旧中山道を可能な限り忠実に歩くという企画です。      【中山道は、江戸日本橋から上野、信濃、木曽、美濃、近江を経て京都三条大橋まで、百三十五里三十二町(約533.9Km)になる。東海道よりも40Km以上長い道程である。また、東山道から木曽街道と呼ばれていた中山道は、日本で一番旧道と古宿の残る道であり、景観に恵まれた歴史と文化遺産の宝庫である。】    全員がハイキングクラブメンバーなので1回の走行距離を長めの20Kmとした場合でも27日かかります。実際は1回18Km前後になると思われるので30日、月1回の歩きで酷暑・酷寒・雨の中を歩いて順調にいっても2年以上かかる企画です。  

初年度、2016年1月から歩き始め碓氷峠越え 軽井沢までが一区切りです。   
2017年初回.1月に松井田宿まで歩き、<日本橋>から信州<軽井沢宿>を越え佐久の<望月宿>まで繋がりました。これで中山道の三分の一を歩いた事になります。 今年は木曽街道を歩き通し、美濃まで歩く事が目標になります。
2018年初回、1月は各人多忙でお休みにし2月から街道歩き開始です。昨年は目標通り美濃まで歩き、中山道534Kmのうち約400Km歩き通しました。今年6月で完歩の予定です。
春になってメンバーの中に怪我をした人が出た為、6月完歩の予定がずれ 秋頃に最後の街道歩きを実施の予定です。

2018年9月、怪我をした人の傷も治り中山道歩き最終回です。今回はメンバー全員9名の参加。1日目は比叡山観光、2日目に大津宿・瀬田の唐橋から京都・三条大橋【中山道歩き完歩】、3日目は京都観光です。

浮世絵中山道:広重・英泉   中山道 - Wikipedia   中山道六十九次 - Wikipedia   旧中山道 GoogleMap   木曽街道六拾九次 昔と今  中山道を歩く  中山道を歩くー旧街道ウォーキング  中山道を歩く旅

全体MAP

         

--2018.8.16---------------------------------------------------

【近江路】  

京都・三条大橋(泊)←大津宿←瀬田の唐橋←(泊)大津石山
瀬田の唐橋←草津宿←(泊)守山宿←武佐宿・武佐
 (泊)「佐和山城跡・長浜城址・伊吹山」ドライブ
   2泊3日・
「安土城跡」「近江八幡」(
 武佐宿←愛知川宿←高宮宿・「彦根城」
 彦根()高宮宿←鳥居本宿←番場宿←醒井宿・醒ヶ井 2泊3日・

・18.09.27
18.05.29-31
18.04.11-13
【美濃路】

 

大垣城、・醒ヶ井・醒井宿←柏原宿←  ←ここから近江路
 今須宿-関ヶ原宿(泊)←垂井宿←赤坂宿・東赤坂 1泊2日・…ここまで美濃路⇒
                                 美濃路

清州城、岐阜城、東赤坂・美江寺宿←河渡宿←加納宿(泊)←鵜沼宿 1泊2日・

「犬山城」・鵜沼宿←太田宿←伏見宿(泊)←御嶽宿←細久手宿(泊)←大湫宿・釡戸 2泊3日・

釜戸・大湫宿←大井宿(泊)←中津川宿・中津川 1泊2日・
中津川・中津川宿←落合宿←  ←ここから美濃路
 ←馬篭宿←妻籠宿(泊)←三留野宿・南木曽 1泊2日・ …ここまで木曽路

18.03.18-19

18.02.14-16

17.12.6-8

.11.28-29
.10.17-18

【木曽路】
【木曽路】   南木曽・三留野宿←野尻宿←須原宿←上松宿・上松 
上松・上松宿←福島宿←(泊)←宮ノ越宿←藪原宿←奈良井宿・奈良井 1泊2日・
17.08.29-30
.07.24-25
  ◆奈良井・奈良井宿←贄川宿?←
←本山宿-洗馬宿(泊)←塩尻宿←下諏訪宿・下諏訪 1泊2日・千倉
17.04.18-19
【信濃路】
  ◆下諏訪・下諏訪宿←和田宿(泊)←長久保宿-芦田宿-望月宿・佐久平 1泊2日・みや
佐久平・望月宿←八幡宿←塩名田宿←岩村田宿←小田井宿(泊)←追分宿←沓掛宿←軽井沢宿・軽井沢 1泊2日・明治屋
17.06.04-05
16.10.23-24
【上州路】   ◆軽井沢・軽井沢宿←碓氷峠←坂本宿・横川
横川・松井田宿-安中宿・安中
安中・板鼻宿←高崎宿←倉賀野宿・倉賀野
16.11.06
17.01.29
16.12.23
  ◆倉賀野・倉賀野宿←新町宿?←
 ?←本庄宿・本庄
16.06.19
【武州路】
  ◆新町・新町宿←本庄宿←深谷宿・深谷
深谷・深谷宿←熊谷宿←鴻巣宿・北鴻巣
北鴻巣・鴻巣宿←桶川宿←上尾宿・上尾
上尾・上尾宿←大宮宿←浦和宿←蕨宿・戸田公園
戸田公園・蕨宿←板橋宿←日本橋・東京
16.06.07
.05.16
.03.13
.02.21
.01.24

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★見どころ紹介★

~木曽路~

・奈良井宿 … 木曽十一宿中、最も賑わった

・妻籠宿   … 町並み保存の先駆地

・馬籠宿   … 島崎藤村「夜明け前」の舞台


・中山道を歩く(22)③京都

2018-09-28 23:59:59 | 中山道

2018年9月28日

前のルート:㉑武佐宿~草津宿・瀬田の唐橋

         1日目:比叡山観光、2日目:街道歩き、3日目:京都観光

 【3日目】   … 京都観光 …

 今日は朝からすっきり晴れ、暑くなりそう。元京都在住のメンバーの案内で<中山道歩きの最後>を締める<京都観光>を行う。
 メジャーな観光地ではなく観光客が少ない穴場的な場所を案内してくれると!

「知恩院」/「青蓮院」/「金戒光明寺」/「京都大学※」/「相国寺」/「京都御所」 … ※学食で昼食  を観光する。好天でも午前中は良かったが京都大学で昼食を摂った後、非常に暑くなる。
今回最後の観光地「京都御所」、緑がなく残暑厳しい中、玉砂利の上を歩かなければならず汗だくになり、皆ばて気味になる。  時間も早くもう一か所他の場所に行こうという意見もあったが「京都御所」で打ち上げとする。


 ※気心の知れた仲間・9人での<中山道歩き>※
 ◆途中足裏が痛く泣き言をいう人が出た岐阜への道、◆残雪のため何回か順延した和田峠越え、◆昼食抜きで歩き機嫌の悪くなった人が出た佐久平の道 塩名田宿、◆雨の中 側を走るトラックに怖い思いをした国道歩きのうとう峠、◆突然の夕立に靴の中までずぶ濡れになった草津宿、

 つらい想い出だけではない。
 ◆素晴らしい紅葉の中を歩いた碓氷峠越え、◆右手に浅間山 左手に八ヶ岳を見ながら林檎畑の中の街道を歩いた佐久平と千曲川の清々しい流れ、◆江戸時代から続く旅篭の2階に泊まり動くと建物全体が揺れた想い出の細久手宿、◆犬山城・関ヶ原古戦場・彦根城・安土城址・近江八幡の街並 等往古に思いに馳せる、 
歩くことでなければ味わえない貴重な素晴らしい体験であった。


  三条大橋から鴨川

     

≪知恩院≫

                    

 

                    

 

                    

≪青蓮院門跡 しょうれんいんもんせき≫ …別名「栗田御所」と呼ばれ、平安時代から皇族や摂家が住職を務めた

                    

現代の壁画絵師が描いた青の幻想・生命賛歌・極楽浄土の三種の蓮の襖絵がある

 

               

≪平安神宮の前、横にそれる≫

               

≪金戒光明院≫

                    

≪京都大学≫                                      ≪相国寺≫

                            

≪京都御所≫

                    

 

                    

          

=おわり=

1日目:比叡山観光、2日目:街道歩き、3日目:京都観光

 


・中山道を歩く(22)②瀬田の唐橋~京都・三条大橋【完】

2018-09-27 23:59:59 | 中山道

2018年9月27日

前のルート:佐宿~草津宿・瀬田の唐橋

         1日目:比叡山観光、2日目:街道歩き、3日目:京都観光

 【2日目】 … 草津宿・瀬田の唐橋ー京都・三条大橋 …

 今日は曇り空、すっきりしない天気。 朝 8時前に空身で「瀬田の唐橋」を見に行く。前回は大雨の中でゆっくりと見る事が出来なかったので周囲を観光しながら橋を渡り<草津宿>側へ。木製の橋ではないがくすんだ橙の欄干で天下の橋という風情を醸し出す。前回 雨宿りと昼食を摂ったうなぎ料亭を懐かしく確認し宿へ戻る。
 ザックを持って街道歩き開始。  <大津宿>東海道53番目、中山道で通算すれば69番目の宿場。    くねくねと曲がり分かりずらい道を行くと「膳所ぜぜ城勢田口総門跡」、ここから城下に入り街道沿いに古い民家が散見できる様になる。
 今回初めて知ったが膳所城という水城が琵琶湖畔にあり、湖面に天守閣が映え美しいものだったとのこと。<水に映るは膳所の城>だが、城跡は膳所公園になっており想像するだけである。  
 この辺り歴史的見どころが多く、石田三成が捕らわれ繋がれた大銀杏の木が残る和田神社や木曽義仲と芭蕉が眠る「義仲ぎちゅう寺」等がある。歴史の教科書で習った「大津事件」の碑もある。大津宿中心部分は現代建物が多く賑やかになる。
  左折し東京では珍しい路面電車が走る坂道を上ると聞いたことのある「蝉丸神社」、さらに切通し道になった国道1号線を行くと「逢坂の関」。ここは歌枕の地、百人一首逢坂の3歌碑がたっている。    大津市内で予定の昼食場がなく、逢坂の関先の峠の茶屋でまたしても<うなぎで昼食>である。

京へ向かう山科の町並みを歩き「天智天皇陵」先で脇道に入り坂を上る。都会の近くでありながら落ち着いた集落になっている。  県道に出て間もなく蹴上交差点。すぐ近くの「南禅寺」に寄ることにする。 この頃から黒い雲が空を覆い雲行きが怪しくなり、インクラインを見ている時に大粒の雨が降り出す。  天は中山道歩きはそう簡単に終わらせてくれない様だ。   南禅寺は傘をさし完全装備で観光。外国人を含め大勢の観光客で賑わっている。寺裏にある琵琶湖疏水路を見てから街道歩き・三条大橋へ向かう。この頃には雨も止み、大きな建物が多く人が賑わってきた広いなだらかな坂を下ると間もな三条大橋に着く。   写真で見ていた「高山彦九郎像」を見、いよいよ「三条大橋」を渡る。

  ついに、江戸日本橋から百三十五里余の旅が終わった。2年半、都合22回、542Kmを完歩した。 
  鴨川の河原に降り、缶ビールで乾杯。 皆で河原に座り、暫時中山道完歩の達成感・余韻に浸る。 

  中山道歩き最終日 歩数3万4千歩、17.2 Kmの歩きである。

 
  宿にザックを置いてから、今日は若干豪華な居酒屋で夕食。      夕食後、京都に住んでいたことのあるメンバーの案内で八坂神社、先斗町を散策する。

 <大津宿> … 70 広重/木曾海道六拾九次之内・大津   江戸を出立して132里22町の長い道程の中山道、木曾街道は、大津宿で終わる。
図は大津宿の旅籠が軒を連ねるあたりを描く。そして旅籠の目じるしとなった長い竿の先のマークに右側では「金」「ヒ口」「重」、左側には版元伊勢利の版元印を、そして「大吉」など。この「木曾街道六拾九次」の版行に関係した絵師広重、版元伊勢利などをもじったマークを示し、さらに掛行燈(かけあんどん)の「金」「いせり」「大當」、そして壁に「全」のマークは、このシリーズ版行に要した長い歳月、版元の交代など、いろいろの困難を乗り越えて完結した喜びを表わしている。
 広重はここでも両側の家並をほぽ均等な遠近描写とし、二台の牛車の描写で図に奥行を与えている。そして中央奥にひろがる琵琶湖の描写はやや俯瞰的な描写となっているが、湖水の広さを表現しようとする苦心の構図といえよう。

中山道69番目の宿場町は、琵琶湖の舟運の港町としても栄えた。 牛車が通る街道は電車通りとなり、ビルが建ち、今は琵琶湖が見えなくなった。

瀬田の唐橋                                                      山崎茶酔句碑        前回の雨宿り場・うなぎ料亭

                    

瀬田の唐橋 … 唐風の古風な擬宝珠は歴代受け継がれ、日本三古橋とされる 「唐橋を制する者は天下を制す」と言われた

山崎茶酔句碑 「松風の 帆にとどかず 夕霞」

石山駅                   膳所城勢多口総門跡碑       地蔵祠                若宮八幡神社

                    

若宮八幡神社・表門 … 表門は膳所城の犬走り門を移築したもの

京阪石山線・瓦ケ浜駅                           左右にばったん床机    晴好雨苛亭址碑‥        

               

膳所城跡公園                                    膳所城祉碑        膳所城は琵琶湖に面した水城

               

膳所城は琵琶湖に面した水城、左手に近江大橋

膳所神社                                                            石坐神社 … 天智天皇、伊賀采女、大友皇子を祀る

                                 

膳所神社 … 表門(国重文)は膳所城大手門を移築

和田神社                                     捕らわれた石田三成が繋がれた銀杏の木                              膳所城北総門跡碑                         

                            

和田神社  捕らわれた石田三成が京都に送られる途中、繋がれたという大銀杏の木(樹齢6百年) …今年の台風で葉が落ち、みすぼらしい

石坐いわい神社 … 父 天智天皇、母 伊賀采女、子 大友皇子を祀る

義仲寺 … 義仲の愛妾巴御前が建てた草庵が開基とされ、義仲の墓・巴地蔵堂などがある        翁堂          天井絵・伊藤若冲筆

                         

義仲公墓 … 

芭蕉翁墓 … 芭蕉の遺言<骸は木曽塚に送るべし>により義仲の隣に葬られた     「木曽殿と背中合わせの寒さかな」(又玄)

                                                            大津事件碑(露国皇太子遭難之地)  

                     

大津本陣跡碑                  京阪京津線            関蝉丸神社・下社             

                    

関蝉丸神社・下社 … 蝉丸は平安前期 百人一首にも歌を残す歌人。盲人で琵琶の名手であった。

蝉丸  「これやこの ゆくもかえるも 別れては しるもしらぬも あふ(逢)坂の関」 … 祭神の蝉丸は 生没年・出自は不詳

逢坂の駒迎え 「逢坂の関の清水に影見えて いまや牽くらむ望月の駒」:紀貫之

逢坂 …                      蝉丸神社・上社       畿内と東国の国境逢坂の切通し               逢坂山関跡碑

                    

逢坂 …(百人一首より)「夜をこめて鳥の空音ははかるとも よに逢坂の関は許さじ」清少納言 

逢坂の関 … 平安遷都後に天下三関<不破の関、鈴鹿の関、逢坂の関>のひとつになる

 

 

 

 追分道標                        車石                              六地蔵(四宮地蔵)     諸羽神社鳥居

                    

 閑栖寺の車石 … 牛車専用道路として車の轍を刻んだ花崗岩の石を敷き並べた

五条別れ道標                      天智天皇山科陵                     水芙蓉の寺            車石広場 

                    

「左ハ五条橋 右ハ三条通」

南禅寺・ねじりマンボ               蹴上交差点          琵琶湖インクライン(傾斜鉄道)

          

復元された琵琶湖インクライン ~ 黒い雲が空を覆い今にも雨が降り出しそう

南禅寺                                          法堂          琵琶湖疏水・水路閣(水道橋)

                    

法堂

我が国初の水力発電所         坂本竜馬・お竜 結婚式場                         高山彦九郎正之像

                    

勤王の志士彦九郎が京都御所に向かって遥拝する像

  <三条大橋> … 71 広重/三条大橋   英泉・広重合作の「木曾街道六拾九次」は、江戸を起点として、草津追分で東海道と合流する地点で終わり、さらに大津を加えて、七十図で完結している。
 ここに単色図版として取り上げた『岐蘇名所図会』は、京の三条大橋を出発点とした梅屋鶴子、檜園梅明撰の中本仕立三冊の狂歌本である。その二編には嘉永四年(一八五一)、三編には嘉永五年(一八五二)のそれぞれ奥付がつけられている。そして淡彩摺三十二丁の挿絵はすべて広重が担当し、彼の狂歌絵本の代表作の一つとされる。
 図はその最初の挿絵である。ここで興味をそそられるのは、図中の三条大橋上を行き交う茶筅売り、日傘の女たち、被衣(かづき)の上臈(じょうろう)などは、すべて広重の保永堂版「東海道五拾三次」の「京師」の図に登場する風俗で、広重の考える京風俗の代表的なイメージであったのであろう。

平安京の三条大路が鴨川を渡る位置にあり、中山道・東海道の終点。木造欄干を擬宝珠で飾り、千年の都を実感させる。江戸時代は石柱だった橋脚は、コンクリート主体に変わる。

京都・三条大橋                                  弥次喜多の像                         世界の京都・外人が多い

                    

三条大橋 … 豊臣秀吉の命により小田原攻めの出陣に合わせ、木橋を石柱の橋脚に変えた 欄干擬宝珠に銘を刻んだ

弥次喜多の像

白川 … 白川砂が堆積する                              若干豪華に見える夕食 

                            

八坂神社                                         先斗町      

               

八坂神社 月をバックに

3日目(京都観光)へ続く

1日目:比叡山観光、2日目:街道歩き、3日目:京都観光


・中山道を歩く(22)①比叡山延暦寺

2018-09-26 23:59:59 | 中山道

2018年9月26日~28日   中山道歩き<最終回>22回目、瀬田の唐橋から京都・三条大橋まで最後の街道歩き、約17Km歩きます。フルメンバー9名の参加、フルメンバーになったのは2回目です。  
  今回は1日目は比叡山観光、2日目がフルの街道歩き、3日目は京都観光です。

  前のルート:㉑武佐宿~草津宿・瀬田の唐橋  

近江路(琵琶湖周辺)Map

 

  【1日目】 … 比叡山・延暦寺観光 …

  新幹線・京都駅から東へ戻り、湖西線比叡山坂本駅へ。バス・ケーブルカーと乗り継ぎ比叡山延暦寺へ着く。  曇り空の1日。  ケーブル到着駅前広場から琵琶湖の北方向・琵琶湖大橋や伊吹山が良く見える。スッキリした青空でないのが残念。
  延暦寺は東塔エリア、西塔エリア、横川エリアと3つに分かれており、そこそこに離れた場所にある。最初に<東塔エリア>に入り国宝の「根本中道」に行くが改修中で外側を鉄骨に覆われている。特設設備で屋根等を間近に見る事が出来たが外観は見えず荘厳さは窺い知れない。その後、「文殊楼」 「大黒堂」 鐘楼のある「大講堂」 「戒壇院」 東塔のある「法華総寺院」 を見る。それぞれが重文、荘厳・雄大な建物、このエリアの名前になった法華総寺院東塔の壮麗な二重の塔 など見ごたえのある建物群である。   
  東塔エリアから歩いて20分程の場所にある<西塔エリア>へ向かう。こちらへ歩いていく人は少ない様で我らだけになる。途中、「浄土院(伝教大師御廟」という寺があり寂びた雰囲気の落ち着いていて好ましい。ここで『源氏香』というものではないかと思う卍型みたいな香をみた。  この先、「椿堂」 「にない堂」 「釈迦堂」を見る。 「釈迦堂」は重文、エリアの中心になると思われ堂々とした雄大・重厚な建物。   <横川エリア>はバス10分という事でカット。
  西塔エリアまでで延暦寺観光は中止、バスでケーブル駅に戻る。バスを待つ間に大雨が降り出し良いタイミングで中止したことになる。後は宿に向かうのみ。

ケーブル坂本駅                   ケーブル延暦寺駅前からの展望             朱色の東塔を見上げながら延暦寺入口へ

                    

ケーブル延暦寺駅前から琵琶湖・湖北を望む (真ん中高い山:伊吹山   その下の橋:琵琶湖大橋)

≪東塔エリア≫
根本中堂入口                  大黒堂             大黒堂前 広場            改修中の根本中堂  

                    

 

根本中堂<改修中>:国宝 …

文殊楼                     大講堂へ向かう         鐘楼                 大講堂:重文

                    

文殊楼(文殊菩薩) … 

鐘楼

大講堂(大日如来) … 

戒壇院

法華総持院への階段             全景                東塔               阿弥陀堂             東塔

                    

阿弥陀堂 と 東塔  … 全景

阿弥陀堂(阿弥陀如来) … 

東塔 … 

≪西塔エリア≫
山王院                                                                              椿堂

                                              

浄土院(伝教大師御廟)                                                                    源氏香?  

                    

浄土院(伝教大師御廟) … 

にない堂 … 常行堂・法華堂

                    

常行堂

釈迦堂:重文 … 

                        

釈迦堂:重文 … 

  =2日目(街道歩き)へ続く

1日目:比叡山観光、2日目:街道歩き、3日目:京都観光

 


・中山道を歩く(21)③<守山宿>-<草津宿>-瀬田の唐橋

2018-05-31 23:59:59 | 中山道

2018年5月31日

次のルート:㉒瀬田の唐橋~京都・三条大橋【完】       前のルート:⑳醒井宿~武佐宿

       1日目:ドライブ(伊吹山・長浜城址・佐和山城跡)、2日目:(武佐宿-守山宿)、3日目:(守山宿-草津宿・瀬田の唐橋)

【3日目】 … 守山宿ー草津宿ー瀬田の唐橋 …

 朝、曇り空だが今にも降り出しそうな天気。
中山道に戻るのに、昨日雨の中一人で歩いた「大宝神社」を抜ける道へ皆を連れて行く。早朝、参拝者もいない落ち着いた雰囲気の大きな神社、下諏訪の「諏訪大社・秋宮」を彷彿させる。緑に覆われた長い参道を歩き中山道へ出、本日の街道歩き開始。
 ここから暫らく史跡はなく<草津宿>手前で「伊砂砂神社」がある。こじんまりした神社だが「大宝神社」に似た落ち着いた神社である。 先へ行きすぐに右手奥にJR草津駅が見える。草津川手前に「明治の追分道標」という説明板があり良く分からなかったが後で調べると江戸時代には天井川である草津川に上って徒歩渡りをしており、京都側が東海道と中山道の追分であった。明治になって草津川の下に隧道が出来、東京側に東海道との分岐・追分ができたとのことであった。
 草津川隧道の手前を川?沿いに右に折れると天井川・草津川が跡地公園になっておりかつての雰囲気はどこにもなく開放的な広場になっている。公園を越え、隧道の反対側に降りると江戸時代の「草津追分道標」である。 ここまでが中山道、 これからは東海道と重複する部分を歩く訳でひとつの区切りがついたことになり感慨がある。その様な眼で見るせいか火袋が付いた道標燈籠が立派である。  道標南面に「右 東海道いせみち」、西面に「左 中仙道美のぢ」と東海道、中山道の行先が明瞭にきざまれている。
 暫らく付近案内板を観て感慨にふけった後ですぐ先にある「草津宿本陣」を見学する。現存する本陣としては最大級の規模という事、ほぼ完全な形で座敷や本陣住居部が整備されており、その広さや格式の高さに驚かされる。じっくり時間をかけてみた後、先へ行き草津宿氏神「「立木神社」へ。大きな神社で鹿島神宮から遷宮したという立派なものである。境内に鹿の狛犬や、大きな樹木が複数あり昨日の雨に濡れ重厚感がある。 この先、宿の京口・黒門跡や小さな史跡が続くがパラパラとなる。
  月輪池という変わった地名の場所に来たところで突然の大雨が降り出し忙いで雨具を着ける。夕立のような大雨で足元が川の様になり靴もぐしゃぐしゃである。途中ガレージで雨宿りをするが小ぶりになる様子はなく、最も近い駅まで行って今回の街道歩き終了にしよう事になる。調度昼食時、雨宿りを兼ねて食事が出来る場所を探すがない。瀬田の唐橋袂まできて鰻屋を見つけて入る。靴の中もぐしゃぐしゃになり着替えて座敷にあがりホットする。       今回も旅の終わり、うな重とビールで乾杯である。   昼食後、若干小雨になり「瀬田の唐橋」を渡り、本来の目的地<大津宿>よりだいぶ手前<石山駅>で今回の街道歩き終了である。

 本日は歩数2万4千歩、11.8Kmの歩きである。 

 

雨が上がった大宝神社 … 

                

 参道を中山道に向かう

                     

 

 <草津宿> … 69 広重/木曾海道六拾九次之内・草津追分   家並みが川より低い位置に見え、川は水が少なく、小さな仮橋が架かっており、天井川の特徴をよく表現する。揃いの装束で半袖ぬいだ三人の女性は、お伊勢参りの人であろう。彼女らとすれちがって、小さな板橋を渡る傘を肩に担ぎ、風呂敷包みを持つ女は近在の者であろうか、旅なれた感じである。広重の風景画中の人物描写の巧さが、この図をムードあるものとしている。広重はここでも左右の丘をほぽ均等に描き、草津宿、さらに淡墨の比叡の山を描き、見事な透視的構図によって、画面に奥行を与えている。ここには西欧の遠近透視画法を猿真似した時代の不自然さは消え、完全に広重の画法となったことを示している。

江戸の日本橋を東と西に分かれて出発した中山道と東海道の二街道は草津追分で合流、本陣・脇本陣がともに2軒ある大きな宿であった。草津川が天井川のため川端に追分があったが、明治中期に隧道ができ、今は川の下を抜け、追分も移った。中山道の終点とすることもあるが、五街道はいずれも重複部分を持つ。

伊砂砂(いささ)神社 … 500年以上前の応仁年間建立、本殿は一間社流造、檜皮葺き(重文)

                

祭神の石長比売命・寒川比古命・寒川比女命・伊邪那岐神・素戔嗚尊で、最初の三神の頭の音から「いささ=伊砂砂」といわれる

                      明治の追分道標          地蔵堂                            旧草津川

                                

天井川だった旧草津川跡地、

草津宿追分                 火袋付き追分道標    

                

「旧草津川越し」から中山道と東海道の分岐、草津追分道標を見下ろす  手前が中山道、右正面奥の道が東海道、右手方面が京への道

草津追分道標

田中本陣 …                                                  草津宿交流館のジオラマ

                

本陣中庭

立木神社 …  常陸国鹿島神宮から遷宮し、神使の鹿を置く

                

武甕槌命(たけみかづちのみこと)を祀る草津宿の氏神

                

立木橋 … 草津宿の京口にかかる                  姥が餅屋跡にある道標     稲荷神社        野路一里塚跡碑

                                    

矢倉立場道標 … 姥が餅屋跡  「急がば廻れ」の語源の地。「武士(もののふ)の矢橋の舟は早くとも 急がば回れ瀬田の長橋」

新宮神社                 萩の玉川跡                 弁天池

                

弁天池 … 小島に弁財天が祀られている

東海道狼川                                                                    月輪寺

                   

月輪池                     東海道立場跡                       月輪池の一里塚

                         

 

瀬田の唐橋  … 唐風の古風な擬宝珠は歴代受け継がれ日本三大名橋の一つ、近江八景の「瀬田夕照」としても名高い

                

壬申の乱・源平合戦・承久の乱・建武の戦など戦乱の舞台となり「唐橋を制する者は天下を制す」と言われた

                          京阪:唐橋前駅

    

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       1日目:ドライブ(伊吹山・長浜城址・佐和山城跡)、2日目:(武佐宿-守山宿)、3日目:(守山宿-草津宿・瀬田の唐橋)

=おわり=


・中山道を歩く(21)②武佐<武佐宿>-<守山宿>-栗東

2018-05-30 23:59:59 | 中山道

2018年5月30日

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       1日目:ドライブ(伊吹山・長浜城址・佐和山城跡)、2日目:(武佐宿-守山宿)、3日目:(守山宿-草津宿・瀬田の唐橋)

 【2日目】 … 武佐宿ー守山宿 …

 朝、ホテルの窓から外を見ると小雨が降っている。雨具をしっかり着けて出発。
近江八幡駅から武佐駅に戻り、風はないが相変わらず小雨がしっかりと降っている中、<武佐宿>から街道歩き開始。  色々な史跡があるが雨降りのためじっくり見れず先を急ぐ。広重の浮世絵にある「横関川の舟渡し場」は只の草叢で川は見えず説明版がないと何が何やらわからない。国道側に迂回して橋を渡り、渡し場対岸に杣道を行く。麦の秋が美しい。
  間の宿<>に入りと国道沿いにパラパラと●●●跡碑が出てくる。 先行する皆と逸れ、雨が強くなったので道の駅で一人で休憩。  ここから暫らくは史跡的なものはなく、只、近くに銅鐸がたくさん出てきた場所があり、そこに造られたという古墳群が公園になっており興味が湧く。 先行グループはここには入らず先に行った様だ。
  間もなく<守山宿>地区に入る。   調度昼食時、国道沿いのファミレスに入り雨具を取ってホットする。
  昼食後も小雨が降り続く。ここからも野洲川を渡り守山宿の中心に来るまで史跡は少ない。     <守山宿>は江戸から数えて67番目、中山道最後の宿場である。「京発ち守山泊まり」という言葉があり、京を出て最初の宿泊地になったという事だが「京発ち」でない人も居たため旅篭が特別に多い訳でないと。  ここ守山宿中心部入口でも皆と逸れ一人歩き。適度に曲がりくねった道の両脇に古い町並みや史跡が残り好ましい。明治の造酒屋、歴代4位の短命内閣・宇野宗佑首相の生家を雨宿りを兼ねて覗く。    ここから大分行った場所で先行グループが後から追いついてくる。  栗東駅手前、大宝神社にはここの地名「綣(へそ)」を関連付けた芭蕉の句碑がある。大雨の中、立派な大宝神社境内を通り抜け今日のホテルへ一人近道する。 

 本日は歩数3万3千歩、16.4Kmの歩きである。 

 <武佐宿> … 67 広重/木曾海道六捨九次之内・武佐(むさ)   前の恵智川宿から草津までの街道は、江盆地の広潤な緑野であるため、広重も画材に困ったのか、高宮、恵智川、そして武佐と、橋づくしのように橋ばかりを描いている。   2つの舟を縦にして舟橋としたのは日野川であり、右に村役人が見守り、対岸西横関で橋銭を徴取する。

恵智川から武佐までは二里半である。武佐の手前、東老蘇(おいそ)、西老蘇の付近は、中山道の歌ビころとして知られる老蘇の森がある。昔、この一帯は湿地で、とうてい人の住める所ではなかった。近くに住んでいた石辺大連という老人が松、杉、檜などの苗木を植え、神に祈った。するとたちまち大森林となった。大連はこの森林の中に住み、百数十年の長寿を保ったというのが、老蘇の伝説で、今も安産守護の奥右(おいそ)神社が森の中にある。

雨の近江八幡駅前              近江鉄道

    

武佐:若宮神社                伊庭貞剛邸跡                        住蓮坊首洗池…承元の法難で法然門弟が死罪

                             

住蓮坊首洗池…承元の法難で法然の門弟4人が死罪、住蓮は故郷で処刑され首を洗ったという池

馬淵八幡社…信長に焼かれた後に再建の本殿は重文                         雨の武佐宿

                             

馬淵八幡社…信長に焼き払われた後に再建された本殿(重文)は朱塗りの桃山様式

「横関川渡し場跡」を迂回して日野川を渡る               雨に濡れる麦畑

                               

<鏡> … 中世・東山道時代の宿駅であった また、江戸時代は武佐宿と守山宿が3里半(14KM)あるため間の宿として賑わう

旧道に入る                  鏡の宿                源義経宿泊の館跡碑

            

雨の国道を歩く               鏡の宿・本陣跡

    

大篠原・西池                                                   篠原神社          子安地蔵堂

                    

桜生(さくらばさま)史跡公園 … 銅鐸が埋納された後に数多くの古墳が築かれている

                

桜生(さくらばさま)史跡公園 … 大岩山古墳群に甲山古墳・円山古墳・天王山古墳を整備

 <守山宿> … 68 広重/木曾海道六捨九次之内・守山    武佐から守山まで三里半の行程である。 川に沿って宿場の家並みが片側だけにあり、左右の山に桜が満開である。遠くの山は三上山であるが、宿の近くに山はない。宿内を描くため片側街とするなど脚色が目立つ。   旅人は1人を除いて京都方面に向かい、終点が意識される。

「京発ち守山泊まり」といわれ、京都から31Kmの守山宿は朝鮮通信使など公式の旅の宿となった。また女性の1泊目の宿として利用された。東山道時代からの史跡が残り歴史が随所に匂う。

昼食…雨の中、屋内に入れホット                        小篠原・稲荷神社 … 参道を国道に分断されている

                             

養専寺 … 山門の奥に大銀杏が聳える

        

茅葺屋根の「暁酒造」           中山道・野洲碑                           朝鮮人街道追分

                             

追分を振り返る 左:朝鮮人街道 右:中山道

行事神社                   銘酒「玉の春」酒造    道祖神群

        

十輪院                    野洲川を渡る

        

野洲川の橋のたもとにあり、川の橋が架けられていなかった頃は毎晩ここに燈籠をかかげ目印となった。

野洲川 … 琵琶湖へ流入する最長の川。三上山麓を過ぎると天井川となり、八つの瀬に分かれ八洲川とも呼ばれた。

馬路石邊(うまじいそべ)神社            雨に濡れた守山宿                                 帆柱観音分岐

                

馬路石邊神社 … 雨の中、皆と逸れたため見学せず 参道300mに沿う川にはゲンジボタルが生息。茅葺の神門は宮津藩代官所から移築された。

 

石部道分岐道標                                                 天満宮

                             

石部道分岐道標 … 「すぐいしべ高野郷新善光寺道」と彫られ、草津宿まで行かずに東海道の石部宿への近道を示す

天満宮 … (本陣跡地)

本陣跡・井戸跡 … 本陣や問屋役の家 跡地                           木浜道との分岐石造道標

                                    

東門院 … 延暦寺四門の一つ                                                   土橋 … 木橋の路面だけ土で覆った

                             

東門院 … 延暦寺四門の一つ東門にあたる 比叡山を守る寺から守山と呼ばれたことが地名となった

樹下神社 … 日吉大社山王七社権現の一つ十禅師宮                      今宿一里塚

                             

今宿一里塚 … 滋賀県で原形を留めた唯一の一里塚

焰魔堂町                  住蓮房母公墓標石         十王寺閻魔堂

                    

「焰魔堂」という地名の由来となった寺。平安時代の歌人 小野篁(たかむら)が閻魔王を祀った

                           「綣」へそ                        大宝神社脇に建つ 芭蕉綣句碑

                              へそむらのまだ麦青し春のくれ 

大宝神社 … 

             

 大宝神社 … 大宝元年に疫病が流行し創建と伝わり、祭神は疫病の神、牛頭(ごず)天王。木造狛犬(重文)、境内社に追木神社本殿(重文)がある。

         

ホテルで宴会

3日目へ続く

 1日目:ドライブ(伊吹山・長浜城址・佐和山城跡)、2日目:(武佐宿-守山宿)、3日目:(守山宿-草津宿・瀬田の唐橋)


・中山道を歩く(21)①伊吹山・長浜城址・佐和山城跡

2018-05-29 23:58:39 | 中山道

2018年5月29日~31日   中山道歩き21回目、近江路・武佐宿から大津宿まで3日かけ約**Km歩きます。8名の参加。   
  今回は1日目は観光ドライブ(伊吹山・長浜城址・佐和山城跡)、2日目(武佐宿-守山宿)と3日目(守山宿-草津宿・瀬田の唐橋)がフルの街道歩きです。

 次のルート:㉒瀬田の唐橋~京都・三条大橋【完】       前のルート:⑳醒井宿~武佐宿

近江路(琵琶湖周辺)Map 

  【1日目】 … 観光ドライブ(伊吹山・長浜城・佐和山城址) …

  米原駅で下車しレンタカーを借りる。前々回行った関ヶ原宿まで戻り伊吹山ドライブウェーを走り「伊吹山」山頂駐車場へ。対向車には全然会わない。    山頂裏側の登山道を豊富な高山植物を見ながら登る。久しぶりにたくさんの高山植物を見る。最近は高い山に登っていないので高山植物を見るのは何年かぶりである。山頂稜線に出ると強い風が吹きすさび、寒くなる。雲に覆われ遠景は見えないが山頂真下のスキー場等、表登山口側のリフト下山口は良く見える。    山頂・日本武尊像、一等三角点を見、山小屋で昼食を摂ってから最短ルートで駐車場へ降りる。駐車場の「開花情報」掲示板によると、この時期でしか咲いていない花々があり、わずかな時間しか楽しめなかったがさすが花の伊吹山である。
  伊吹山から下り、途中で関ヶ原古戦場に寄り道。  自由にルートを変更できるのが車の良い処である。前の時と違い晴天の古戦場・笹尾山である。蕎麦の白い花が満開で綺麗。 
  醒ケ井駅前にも寄り道し「長浜城」に向かう。歴史博物館として再建された模造三層天守閣である。琵琶湖畔に接して建てられており、ネットでの評価は高くなかったが城の周りに緑も多く桜の季節には美しいだろうと思われる。
  本日の終着地、近江八幡へ向かいホテルの裏手、「佐和山城址」に登る。関ヶ原合戦前の西軍の明主・石田三成の居城である。五層の天守閣を誇っていたが、痕跡の残らぬほど徹底的に破壊され、その一部は彦根城の太鼓門に転用されたと。     龍潭寺というお寺を通って登る。石垣等お城としての痕跡は何もなく完全な山道を登り、時々開けた場所は西の丸跡とかになっている。山頂が本丸跡で平坦な広場である。しかし本丸としての天守台、桝形等の遺構は殆んど確認できていないとしている。  本丸広場西側から琵琶湖方面が望め彦根城域の緑が目立つ。言われて目を凝らしてみると彦根城天守閣が見える。  佐和山城と彦根城、戦国時代末期の栄華盛衰を想う。    本日の観光ドライブはこれにて終了。

≪伊吹山≫   … 標高1,377m 滋賀県と岐阜県の県境に位置する
伊吹山駐車場                琵琶湖方面

                

        

ウマノアシガタ

グンナイフウロ

                                          正面登山道を見下ろす

        

日本武尊像                  山頂パノラマ        1等三角点                      下山開始

                       

 

 

 関ヶ原古戦場                                                   醒ヶ井駅

                         

≪長浜城≫ …
                                                    琵琶湖畔太閤井戸     琵琶湖畔

                

                

≪佐和山城址≫ … 
Map

                                               西の丸から伊吹山

                         

本丸

            

中央の森の中、右手寄りに彦根城…小さな斑点に見える

彦根城・全景

                                         石田三成像

           

 

        

= 2日目 へ続く = 

   1日目:ドライブ(伊吹山・長浜城址・佐和山城跡)、2日目:(武佐宿-守山宿)と3日目:(守山宿-草津宿・瀬田の唐橋)

 

 

 

 

 

 

 

 【2日目】 … 武佐宿ー守山宿 …

 <武佐宿> … 67 広重/木曾海道六捨九次之内・武佐(むさ)   前の恵智川宿から草津までの街道は、近江盆地の広潤な緑野であるため、広重も画材に困ったのか、高宮、恵智川、そして武佐と、橋づくしのように橋ばかりを描いている。   2つの舟を縦にして舟橋としたのは日野川であり、右に村役人が見守り、対岸西横関で橋銭を徴取する。

京都から武佐宿まで46Km、健脚の旅人の1泊目の宿として利用された。万葉の里蒲生野・楽市発祥の地石寺・信長の安土城も近く、歴史が漂う。本陣門・陣屋・問屋・宿役人宅などが残る。

 

 <守山宿> … 68 広重/木曾海道六捨九次之内・守山    武佐から守山まで三里半の行程である。 川に沿って宿場の家並みが片側だけにあり、左右の山に桜が満開である。遠くの山は三上山であるが、宿の近くに山はない。宿内を描くため片側街とするなど脚色が目立つ。   旅人は1人を除いて京都方面に向かい、終点が意識される。

「京発ち守山泊まり」といわれ、京都から31Kmの守山宿は朝鮮通信使など公式の旅の宿となった。また女性の1泊目の宿として利用された。東山道時代からの史跡が残り歴史が随所に匂う。

 


・中山道を歩く(20)②=続= <愛知川宿>-<武佐宿>武佐

2018-04-13 12:56:28 | 中山道

 1日目:街道歩き(醒井宿--高宮宿)、2日目:彦根城、街道歩き(高宮宿--武佐宿)、3日目:近江八幡・八幡山城址・安土城址

もっとゆっくり見ていたい彦根城であったが本来の街道歩へ戻る。近江鉄道で高宮駅へ戻り、昨日駅に着くのにひと悶着あった道を歩き中山道へ。<高宮宿>は近江商人を輩出した地で現在の伊藤忠商事や高島屋、西武鉄道、西川産業など多くの産業に進出している人が多いと。宿氏神・高宮神社や多賀大社鳥居、布惣ぬのそう(麻織物問屋)、円照寺等がありそれぞれ立派である。また、袖卯建を持つ漆喰壁の建物等古い家並も一部だが残っている。丸紅&伊藤忠創業者・伊藤忠兵衛の生家を見学。総合商社の創業時逸話・品物が残っており凄い才覚を持つ人であることを知る。    伊藤忠の生家の向かいにある蕎麦屋で昼食。       暫く歩き平将門の伝説がある「歌詰橋」を渡ると<愛知川宿>である。宿の入口を跨ぐ標識ゲート下を通るといくつかの古い民家も現れるが、本陣など、・・跡碑ばかりである。大きな愛知川を渡りその先のMacで休憩。先に帰る二人がもっと先まで行けるか検討、結局当初の計画通り近江鉄道・五個荘駅入口で別れる事になる。2人いなくなりちょっぴり寂しくなったが先をいそぐ。
 この辺り近江商人発祥地といえる五個荘(ごかしょう)の町である。近江八幡・日野と並び近江商人を輩出し、行きは売り物、帰りは仕入れ物の往復で商いをする「ノコギリ商法」で活躍したとある。また、茅葺き入母屋の民家も点在する。石塚の一里塚の近くには近江商人が天秤棒(てんびんぼう)を担いだ行商人姿の銅像も立ち近江商人を強調。   湖東三名の一つ「清水鼻の名水」ではシャガの花が涼しげに咲いている。   新幹線の高架下をくぐると左前前方に鬱蒼とした森が現れる。その森をなぞる様に歩くと「老蘇(おいそ)の森」・奥石神社とあり見学して観たかったが先行者が先に行ってしまい素通り。   間もなく<武佐宿>である。醒井宿にあった西行法師の子供が泡になったと同じ「泡子地蔵碑」伝承がここにもある。宿氏神・牟佐神社を過ぎると古い建物が連なりだす。切妻造り桟瓦葺の2階建て商家などがあり当時の雰囲気を伝える。武佐宿本陣跡標識や、後で知った「象が通った道」絵を過ぎると今回の街道歩き終着「武佐駅」である。

     本日は歩数3万2千歩、16.2Kmの歩きである。

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 <愛知川宿> … 66 広重/木曾海道六拾九次之内・恵智川(えちがわ)    柱に「むちんはし はし銭い らす」と示す橋の完成から8年後に描かれた。広い河原は、天井川の特徴を持つ大河の愛知川である。馬に代わって牛が荷を運ぶのは近畿の風習で、京都に近いことを暗示している。左に観音山、右に伊庭山と和田の山があり、今は御幸橋がかかる。

湖東平野の中央を流れる愛知川の東岸に、宿が誕生した。五箇荘・近江八幡・日野と共に近江商人の輩出地で、平将門伝説のある歌詰橋・不飲橋、商人が架けた無賃橋を商人や旅人が利用した。

伊藤長兵衛家屋敷跡          伊藤忠兵衛旧宅の家訓    江州音頭発祥の地碑     歌詰橋

            

将門の乱を平定し、首を都へ運ぶ途中「平将門この場所にて歌に詰まりて倒れし」と伝わる

愛知川宿ゲート                                 愛知川宿北入口標                       本陣跡

                      

八幡神社                       旧旅篭・竹の子屋(現竹平楼)             不飲橋(のまずばし)

            

びんてまり(口の狭いガラス瓶の中に刺繍した手毬が入り、縁起物として飾られる)をデザインする不飲橋…平将門の首を洗った伝承から呼ばれる

愛知川一里塚跡碑               祇園神社                            愛知川           睨み燈籠

                             

今は穏やかな流れだが、かつては「人取り川」の異名もある暴れ川であった。増水すると自力で渡れず溺死する人がしばしばいた。
そこで地元の篤志家が資金を集め橋を架け、無賃で人々を通した。

 

★★★★★★ ここ (近江鉄道:五個荘駅) で2人 先に帰る ★★★★★★

大神宮常夜燈                  名残松             旧五個荘局         京町風商家         大郡神社   

                

金毘羅大権現常夜灯             茅葺き民家           石塚一里塚跡碑      てんびんの里・近江商人像       

            

近江商人像 … 近江から天秤棒一本で近江の産物を持ち行商、行商先からその地方の産物を購入して上方に運び商っていた

清水鼻の名水 … 湖東山名水(観音寺山麓)                シャガ                           大神宮常夜燈

                             

奥石神社 …                                                   東老蘇道標          根来陣屋跡 

                

武佐の手前、東老蘇(おいそ)、西老蘇の付近は、中山道の歌どころとして知られる老蘇の森がある。昔、この一帯は湿地で、とうてい人の住める所ではなかった。近くに住んでいた石辺大連という老人が松、杉、檜などの苗木を植え、神に祈った。するとたちまち大森林となった。大連はこの森林の中に住み、百数十年の長寿を保ったというのが、老蘇の伝説で、今も安産守護の奥右(おいそ)神社が森の中にある。

 

 <武佐宿> … 67 広重/木曾海道六捨九次之内・武佐(むさ)   前の恵智川宿から草津までの街道は、近江盆地の広潤な緑野であるため、広重も画材に困ったのか、高宮、恵智川、そして武佐と、橋づくしのように橋ばかりを描いている。   2つの舟を縦にして舟橋としたのは日野川であり、右に村役人が見守り、対岸西横関で橋銭を徴取する。

京都から武佐宿まで46Km、健脚の旅人の1泊目の宿として利用された。万葉の里蒲生野・楽市発祥の地石寺・信長の安土城も近く、歴史が漂う。本陣門・陣屋・問屋・宿役人宅などが残る。

 

 

 

安土:寛永通楽                 轟橋            中山道標石               兼若宮神社 

                    

                           泡子延命地蔵尊御遺跡  西福寺             蛇沢川          武佐宿氏神・牟佐神社 

                   

                         武佐宿本陣跡        旧八幡警察署                         像の通った道の「絵」

                

                           愛宕山常夜燈                       近江鉄道・武佐駅

            

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  1日目:街道歩き(醒井宿--高宮宿)、2日目:彦根城、街道歩き(高宮宿--武佐宿)、3日目:近江八幡・八幡山城址・安土城址


・中山道を歩く(20)②彦根城-高宮<高宮宿>-<愛知川宿>

2018-04-12 23:59:59 | 中山道

 【2日目】  … 彦根城観光・ 高宮宿→武佐宿 …

      1日目:街道歩き(醒井宿--高宮宿)、2日目:彦根城、街道歩き(高宮宿--武佐宿)、3日目:近江八幡・八幡山城址・安土城址

 朝から乾燥した晴れ。 絶好の街道歩き日和。
 開門する直前に≪彦根城≫に着きTOPで入る。  券売所に入る手前、佐和口門から見たお濠や櫓が美しく水鏡に写った多門櫓が絵になり、登り石垣も緑に映え芸術的な美しさである。  大堀切への石の階段を登ると、石垣の上に見上げる様に廊下橋が架かり青空に映える。 橋の下をくぐり270°反転して廊下橋を渡る。その先の太鼓門櫓を見ながらの曲りくねった道も風情がある。太鼓門櫓をくぐると天守のある本丸である。小ぶりだが三角形の破風屋根が多く壮麗な天守閣が眼前に現れる。本丸広場はそれ程広くない。時期によっては人で溢れかえるのであろう。  3階建の天守に昇ると西側、西の丸の先に琵琶湖が見え、東側には彦根市街が展望できる。    帰りは西の丸から玄宮楽々園へ向かう。 西の丸では三重櫓の内部が公開されており中に入ってみる。そこから見る琵琶湖や本丸天守が美しい。西の丸三重櫓は長浜城から移築したという。彦根城は各所に豊臣家が造った城の一部を移築した建造物があり、東軍の覇権の痕跡を誇示しているという。
 城外北側にある玄宮園は井伊家旧下屋敷の庭園となっており彦根城天守を借景にしている。近江八景をモデルに造営したもので、緑の松、茶室、池 3つが合まって非常に優美な景観である。  彦根駅前広場には彦根藩初代藩主井伊直政の馬に乗った凛々しい銅像がある。

もっとゆっくり見ていたい彦根城であったが本来の街道歩へ復帰。近江鉄道で高宮駅へ戻り、昨日駅に着くのにひと悶着あった道を歩き中山道へ。<高宮宿>は近江商人を輩出した地で現在の伊藤忠商事や高島屋、西武鉄道、西川産業など多くの産業に進出している人が多いと。宿氏神・高宮神社や多賀大社鳥居、布惣ぬのそう(麻織物問屋)、円照寺等がありそれぞれ立派である。また、袖卯建を持つ漆喰壁の建物等古い家並も一部だが残っている。丸紅&伊藤忠創業者・伊藤忠兵衛の生家を見学。総合商社の創業時逸話・品物が残っており凄い才覚を持つ人であることを知る。    伊藤忠の生家の向かいにある蕎麦屋で昼食。   暫く歩き平将門の伝説がある「歌詰橋」を渡ると<愛知川宿>である。

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 ≪彦根城≫ … 藩政時代からの天守閣が現存する

朝食前にホテル近辺散歩                            彦根城遠望         外堀跡

                         

                   佐和口から左・右 両側の多門櫓を望む                                 お濠

                             

多門櫓 … 復元

               表御門                       登り石垣                         不揃いな石段の坂道を上る

                             

石垣の2段積みで、石垣と石垣の間に土塁がもうけられている

登り石垣

大堀切の右・天秤櫓                廊下橋        潜り抜けて振り返る      廊下橋へは左へ廻る

            

廊下橋 … 江戸時代には屋根と壁があった、中の人の動きは見えない、いざという時は落とし橋に!

廊下橋先の天秤櫓

                

 

                         

天守閣 … 

天守からの展望

            

 

                

 

 

        

西の丸三重櫓 … 長浜城の天守から移築 

                

三重櫓の下を廻り込み「玄宮楽々園」へ向かう

                

                                                            玄宮楽々園

                             

 

                

                

                    

●●●●●● 街道歩き開始 ●●●●●● 

もっとゆっくり見ていたい彦根城であったが本来の街道歩きに戻る。近江鉄道で高宮駅へ戻り、昨日駅に着くのにひと悶着あった道を歩き中山道へ。宿内人口が中山道で三番目に多かったという<高宮宿>は近江商人を輩出した地で現在の伊藤忠商事や高島屋、西武鉄道、西川産業など多くの産業に進出していると。宿氏神・高宮神社や多賀大社鳥居、布惣ぬのそう(麻織物問屋)、円照寺等がありそれぞれ立派である。また、袖卯建を持つ漆喰壁の建物等古い家並も一部だが残っている。近江商人が資金を出して造ったという犬上川の無賃むちん橋を渡る。ささやかな松並木、ケヤキ並木道を歩き、間の宿<石畑>になる。丸紅&伊藤忠創業者・伊藤忠兵衛の生家をがあり見学。総合商社の創業時逸話・品物が残っており凄い才能の人であることを知る。 伊藤忠の生家の向かいにある蕎麦屋で昼食。  暫く歩き平将門の伝説がある「歌詰橋」を渡ると<愛知川宿>である。

     本日は歩数3万2千歩、16.2Kmの歩きである。

 <高宮宿> … 65 広重/木曾海道六捨九次之内・高宮(たかみや)  背丈より高い荷を背負った女性二人の姿がある。その背の荷は名産高宮布の原料となる麻であろう。広重は高宮宿の手前を流れる犬上川のあたりを描いている。この川はまた高宮川ともいったとある。水が涸れ、橋板もとりのぞかれた広い河原を中景に、対岸に高宮宿が見える。正面は男鬼おなり山、左遠くに丸い伊吹山が望まれる。

この高宮の中央に大鳥居がデンとすえられているが、ここは多賀神社への入口で、鳥居前町でもある。高宮布の機織りで栄え、宿内人口は大津宿・本庄宿に次いで多かった。布の売買で財をなした近江商人が資金を出し、宿西口に無賃むちん橋をかけた。古い家並みが残り、ベンガラ格子や袖卯建が見られる。

高宮 大北の地蔵さん                                 氏神・高宮神社 

                

 高宮神社 

                         

                多賀大社大鳥居                                 本陣跡

                

圓照寺                                         無賃橋

                          

むちん橋碑

産の宮                            了法寺          還相寺

                                

彦根市モニュメント…麻原料を背負った婦人、菅笠を被った旅人、そして近江商人 の像

                     阿自岐神社     春日神社        安食・やりこの里      石畑の一里塚跡

                  

間の宿・石畑 碑

    

 … 先へ続く …  <愛知川宿>-<武佐宿>


・中山道を歩く(20)①醒ヶ井<醒井宿>-<番場宿>-<鳥居本宿>-<高宮宿>-<愛知川宿>-<武佐宿>武佐

2018-04-11 23:59:59 | 中山道

2018年4月11日~13日   中山道歩き20回目、近江路・醒井宿から武佐宿までを2日かけ約**Km歩きます。7名の参加。   うち2名は2日目、途中までの街道歩きです。 
今回は1日目がフルの街道歩き(醒井宿--高宮宿)、2日目午前中彦根城見学をしてからの街道歩き(高宮宿--武佐宿)です。
また3日目は観光のみ、近江八幡市内散策と八幡山城址そして安土城址を観光します。

 次のルート:㉑武佐宿~草津宿         前のルート:⑲赤坂宿~醒井宿   

近江路(琵琶湖周辺)Map

 【1日目】 … 
未だ記憶の新しいJR醒ヶ井駅に降り街道歩き開始。曇り空。前回非常に清々しい気持ちにさせられた<醒井宿>の「居醒めの清水」 をちょっぴり覘いてから先へ行く。後方になった伊吹山は雲の中、ハッキリとは見えない。
 中山道中最短の宿<番場宿>は戯曲「瞼の母」の主人公、番場の忠太郎の出身地に設定された地とのこと。その忠太郎地蔵がある蓮華寺の境内で昼食を摂る。蓮華寺書院内を見学。庭園では背後の山にミツバツツジが咲き、コウヤマキの巨樹が群生し、見事。また、鎌倉幕府滅亡時に北条仲時ら430余名が本堂前庭で自刃したという壮絶な事実もあったようだ。名神高速道路の脇を並行する中山道を上ると小摺針峠。その先、望湖堂跡のある場所が摺針峠だが琵琶湖は良く分からず。 
 国道に出ると彦根市のモニュメント標柱が現れ<鳥居本宿>になる。静かで落ち着いた雰囲気の中、適度に曲がった道に街道情緒が残っている。赤玉の健胃薬を売る店や看板だけが残る合羽を売る店があり珍しい。地図を見るとこの宿の真西が佐和山城の下を通って彦根城下であり非常に近い。小野小町の出生地だという伝承がある小野集落や、境内の新緑が美しい芭蕉ひるね塚と白髪塚のある「原(床山)八幡神社」を見る。<ひるね塚>には芭蕉の夏の句、<白髪塚>には門人の秋の句が彫られる。
もう間もなくで<高宮宿>になり本日の終着駅近江鉄道「高宮駅」である。ここからJR彦根駅へ行き宿泊。      本日の街道歩き歩数3万歩、13Kmの歩きであった。 

 次のルート:㉑武佐宿~草津宿         前のルート:⑲赤坂宿~醒井宿

 <醒井宿> … 62 広重/木曾海道六拾九次之内・醉か井(さめかい)   醒井宿へ向かう大名行列の最後尾をやり過ごし、農夫が高台でやすんでいる。左に続く茅葺屋根は北側に軒を連ねていた六軒茶屋である。奥に醒井宿の西端が見えている。

この宿は、『木曾路名所図会』に、「此駅に三水四石の名所あり、町中に流れ有りて、いたつて清し、寒暑にも増減なし」とある。この三水四石というのは、「日本武尊 居寤(いさめ)の清水」、「十王水」、「西行水」、「日本武尊腰掛右」、「蟹石」、「くらかけ右」、「明神影向石」を指す。 そしてまた『十六夜日記』に、「醍が井という水、夏ならはうちすぎましやと見るに、かち人は、なおたちよりてくむめり」とあり、また西行の「むすぶ手ににごる心をすすぎなばうき世の夢やさめが井の水」の和歌も残っている。三水のなかの「居宿の清水」は、日本武専が伊吹山の賊を討伐に行き、悪雨にあってからだをこわしたとき、この清水でやすんだところ病気が治ったことからこの名がつき、後に醒ヶ井と地名が変わった。

 

JR醒ヶ井駅                       居醒の清水                    十王水             

            

前回の中山道分岐             雲の中の伊吹山       「一類狐魂等衆」の碑

         

  <番場宿> … 63 広重/木曾海道六捨九次之内・番場  左の石垣と土塁は宿入口の見附で、番場宿は東西に見附があった。茶屋の看板が「いせや」で西見附近くに伊勢屋があることから西見附。また、中山道が曲がるのは東なので東見附であるとの説も。馬を止めて雑談する三人の馬子の姿に、のんぴりしたこの宿のムードが感じられる。

 米原湊を経て琵琶湖の水運に通じる宿として、山間に誕生した。鎌倉幕府滅亡時に悲劇が起きた地で、その歴史が周辺に残る。山間の寒村のため、宿の長さは中山道のどの宿より短かった。

 

                   

                        敬永寺                               久礼一里塚碑

                

問屋場跡碑                 番場宿碑            本陣跡碑

           

蓮華寺                         楼門                        鎌倉幕府滅亡時、北条仲時ら432名自刃   

                

                                           昼食            ツツジが美しい

            

                                        名神高速道路脇の泰平水                   磨針一里塚跡碑

                

摺針峠 望湖堂を見上げる

                         

 <鳥居本宿> … 64 広重/木曾海道六捨九次之内・鳥居本(とりいもと)   番場からの松並木がある中山道の路は、しだいに上りとなり、その最高が摺針峠である。その昔はこの峠の手前の峠を小摺針峠といい、こちらは大摺針峠といった。
ここは広重の図でも絶景の地、左は望湖堂、右下は臨湖堂。旅人は摺針峠から眼下に広がる「中山道第一の景地」を眺めている。 この峠を下ったところが鳥居本の宿である。

琵琶湖の東端にある鳥居本では天候が急変することが多く、旅人に合羽がよく売れ、また、道中薬の赤玉を売る店も多かった。合羽屋は2軒残るだけだが、赤玉の薬屋は大きな屋敷の本家1軒が健在である。

彦根市モニュメント                                  赤玉神教丸本舗                   合羽所:木綿屋

                

鳥居本宿の名産・赤玉神教丸を現在も売る有川製薬 … 食べ過ぎ、食欲不振、消化不良、胃弱、胸やけ、胃もたれ、吐き気 に効能あり(多賀大社の神教により調合)

脇本陣・問屋場跡                               合羽所庵看板

                             

合羽は和紙に柿の渋で防水を施したため赤く染まっていた … 現在は全て廃業、看板だけが残る

専宗寺                                                                      彦根道道標

                             

彦根道道標 … 佐和山の南を彦根城下へと向かう道。中山道と彦根城下を結ぶ重要な道。別名・朝鮮人来朝道(朝鮮人街道)とも呼ばれる

                           六地蔵           小町塚

            

原八幡神社

            

「ひるね塚」 <ひるかほに ひるねせうもの とこのやま 芭蕉> 
 … 中山道を往来する人が夏の暑い日に涼しいここの境内で昼寝をしている「床」と、先にある「鳥籠山(とこのやま)」をかける

 五百らかん道標              金毘羅大権現道標        春日神社        琵琶湖に注ぐ芹川      床の山碑

                

左 大堀山(鳥籠山とこのやま) と 芹川

石清水神社  … 能の一派 喜多流九世・古能が残した扇の塚がある

    

 

 <高宮宿> … 65 広重/木曾海道六捨九次之内・高宮(たかみや)  広重描く高宮の図に背丈より高い荷を背負った女性二人の姿がある。その背の荷は高宮布であろう。高宮宿の手前を流れる犬上川のあたりを描いている。この川はまた高宮川ともいったとある。水が涸れ、橋板もとりのぞかれた広い河原を中景に、遠く比叡山が望まれる平凡なこのあたりの風景を写生風にまとめている。

鳥居本を出て、右手に彦根城が望まれる街道を進んで一里半で高宮の宿である。この高宮の中央に大鳥居がデンとすえられているが、ここは多賀神社への入口である。前の鳥居本も多賀神社の鳥居があったので、鳥居本という地名が生まれたという。この高宮は、『木曾路名所図会』に、「此の駅は布島類を商ふ家多し、此のほとり農家に高宮島細布多繊出すなり。これを高宮布と云ふ」と記されているほど、絹、綿、麻の生産工業が今日でも盛んである。

高宮宿碑                                            近江鉄道:高宮駅     

                

駅待合室のモニュメント

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  【2日目】に続く … 

   1日目:街道歩き(醒井宿--高宮宿)、2日目:彦根城、街道歩き(高宮宿--武佐宿)、3日目:近江八幡市内散策・八幡山城址・安土城址