デジカメを持って歩こう.

個人の 登山、トレッキング、散歩、海外旅行 の記録です。

 2012年9月 南米.ペルー周遊からブログ参加です

・中山道を歩く(19)①大垣<赤坂宿>-<垂井宿>-<関ヶ原宿>-<今須宿>-<柏原宿>-<醒井宿>

2018-03-18 23:59:59 | 中山道

2018年3月18日~19日  中山道歩き19回目、 美濃路・赤坂宿から醒井宿まで2日かけ約**Km歩きます。8名の参加です。

1日目午前中は大垣城を観光後 移動、午後・赤坂宿から街道歩き開始です。 2日目は朝、関ヶ原古戦場を観光してから街道歩きです。 

次のルート:⑳醒井宿~武佐宿         前のルート:⑱鵜沼宿~赤坂宿

近江路(琵琶湖周辺)Map

 【1日目】 … 大垣城観光・赤坂宿→垂井宿…

 大垣駅から10分ほど歩き「大垣城」見学。模擬天守閣を持つコンクリートの城。内部は資料館になっており、天守閣まで昇ると真近かに伊吹山が見える。先月より雪がだいぶ少なくなった感じがする。大垣城近くに 芭蕉「奥の細道」<むすびの地>記念館があるので立ち寄る。中には入らず外の建物を概観する。

<大垣城> …(巨鹿きょろく城・麋び城)… 関ヶ原の戦いの直前まで西軍・石田光成の本陣としていた

正面から見上げる大垣城                        天守閣から伊吹山

                

<奥の細道・むすびの地…大垣> … 記念館の周りにある建物

                                住吉燈台                   無何有荘大醒樹?      芭蕉と木因像

                

 大垣市内で昼食後、養老線で≪東赤坂駅≫まで移動、街道歩き開始。朝から好天で、絶好の街道歩き日和である。 記憶の新しい養老線・東赤坂駅前の中山道を西へ向かう。この辺りはすでに<赤坂宿>の入口である。壬申の乱の謂れや関ヶ原の戦の前哨戦があったという杭瀬川を渡ると、昔 杭瀬川が蛇行していた場所にあった「赤坂湊跡」。湊跡には江戸時代の川燈台が残り、その反対側にある大きな火の見櫓モニュメントが眼をひく。  ここから暫らく所どころに古い町並みが残り、宿場町の雰囲気を感じることが出来る。  中山道から脇道にそれた場所にある鎌倉時代の浄瑠璃「小栗判官おぐりはんがん」に登場する照手姫の水汲井戸は期待外れのチンケさ。    
 程なく<垂井宿>に入る。相川橋を渡り暫らく行くと中山道を遮る様に旅篭・亀丸屋がある。江戸時代中期から現在まで営業を続けていると! 細久手宿・大黒屋しかり、中山道にはこの様に昔の旅篭がそのまま営業している場所が多い。    「垂井の一里塚」は町中にありながら国指定だけあり立派なものである。関ヶ原合戦時、「浅野幸長」の陣所になったと。  <関ヶ原宿>手前に野上の松並木があり若い松が多いが結構長い距離残っていて目に優しい。松並木が切れると中山道から逸れ、国道を挟んで左手に徳川家康が関ヶ原合戦時に最初に陣を張ったという「桃配山」である。ちょっとした小高い丘になっていて合戦場方面が良く見渡せる場所になっている。 中山道に戻り30分ほど歩くと今日の宿・東山道時代から続けている旅篭桝屋。 襖で仕切られた畳部屋であり、細久手宿の大黒屋と同じ造りであるが、1階の部屋なので揺れる事はない。  本日は歩数2万2千歩、11.1Kmの歩きであった。

 

次のルート:⑳醒井宿~武佐宿         前のルート:⑱鵜沼宿~美江寺宿   

 <赤坂宿> … 広重/木曾海道六拾九次之内・赤坂  宿の東側を流れる杭瀬川を描いたと思われる。 雨があがった直後で、傘をすぼめた女性と長合羽を着た旅人が土橋の上ですれ違う。橋の袂の榜示杭が赤坂宿の入口を示し家並みが続く。

東海道の三河国に同名の宿があり、ここを美濃赤坂ともいう。関ヶ原の戦の前夜まで東軍が陣を張り、杭瀬川で前哨戦があった。赤白い岩肌を見せる金生山に隣接し、大理石と石灰岩の産地として知られる。和宮降嫁に合わせ54軒が新築し、その時のお嫁入り普請が残っている。  街道筋の左右には、北に美濃国分寺があり、また天下分け目の関ケ原合戦の折、徳川家康が陣をしいた山があり、ここで勝利の報を得たので、それまで岡山といった山の名を勝山と改めたという。

 

村社 白山神社                                  杭瀬川:関ヶ原の戦い前哨戦があった

            

先方に赤坂湊跡の火の見櫓モニュメントが見える                 赤坂湊跡

                    

川燈台とオブジェ

浅間神社                  本陣跡碑                             脇本陣跡碑           妙法寺

                 

兜塚(杭瀬川前哨戦の東軍死者を兜と共に埋葬)          昼飯大塚古墳        照手姫水汲井戸        青墓宿:鎌倉時代の宿            

                             

国分寺道標                  教覚寺          青野ケ原の一里塚碑

        

 <垂井宿> … 広重/木曾海道六拾九次之内・垂井  広重描く図は、雨のばらつく中を宿はずれにかかった大名行列を正面からとらえた構図で、左右の茶屋や石垣をシンメトリーに描いているのも面白い。

欅の大木の根本から湧く清水があり、垂井の名が生まれた。古くから歌枕の地として知られ、この水を利用して美濃紙が漉かれていた。宿中央に南宮大社の石鳥居、桝形に旧旅篭が一際存在感を保つ。   赤坂と垂井の間の青野から名古屋街道を通って大垣へ抜けられるなど、交通の要地でもあった。

 

平尾御坊道道標               喜久一九稲荷      垂井美濃路追分道標     相川から見る伊吹山

                

                          旅篭亀丸屋      本陣跡碑             南宮大社石鳥居      西見附跡      

                    

(国指定)垂井の一里塚…南塚だけが残り規定1丈(約3m)をはるかに越える5m

    

                        

 <関ヶ原宿> … 広重/木曾海道六拾九次之内・関ヶ原   関ケ原は、北国街道に通じる分岐点であって、交通の要地として注目された。 

                                         伊富岐いぶき(伊吹)神社   野上七つ井戸

                

野上の松並木:樹齢300年の松を含め約70本あり笠取峠に次ぐ美しい松並木が続く 

        

桃配山・徳川家康 最初の陣地                       陣地上から関ヶ原合戦場方面を見る

        

桃配山

桃配山上から関ヶ原宿方面

若宮八幡神社                                              永長元年創業 旅篭ますや

                         

 

 次のルート:⑳醒井宿~武佐宿         前のルート:⑱鵜沼宿~美江寺宿 

 【2日目】に続 … 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿