デジカメを持って歩こう.

個人の 登山、トレッキング、散歩、海外旅行 の記録です。

 2012年9月 南米.ペルー周遊からブログ参加です

・二本松城址・白河城

2018-03-31 23:59:30 | 城めぐり

2018年3月31日 福島・二本松の霞ケ城跡 と白河の小峰城址観光に行きました。始発電車に乗り途中駅で友人と合流、各駅停車の日帰りの旅です。  二本松の霞ケ城跡に行くのは今回で3回目。過去2回、天守台まで行けなかったので天守台を見に行くためのリベンジの旅です。   天気は晴れ、風もなく昨日よりは若干暖かい感じです。

二本松・霞ケ城跡
二本松の駅に降りると前回印象とは違いお店も色々あり開けた感じ。  勝手知った道を歩き「二本松城址」へ。「二本松少年隊」像前から通常コースを通りお城裏手へ。稜線部分に雪を残した安達太良連峰が青空に映え非常に清々しい。搦手門跡を通り「本丸跡」へ向かう。石垣に囲まれその上に天守台がある。ここからの安達太良連峰も素晴らしい。安達太良の展望を楽しみながら昼食。いつまでも見ていたい連峰に後ろ髪曳かれながら城址を後にし、次の目的地白河駅へ向かう。
白河・小峰城跡
駅ホームから櫓が見える小峰城跡はこじんまりしたお城である。この城は「東北の石垣の三名城」とかで結構な石垣が残っており、その上「本丸」に木造櫓が復元され立派である。 本丸の周りを歩くと<東日本大震災>で各所で石垣が崩れたとかで未だ修復工事がなされている。   東京では3月24日に桜が満開というのに、こちらの桜はまだ蕾が膨らみ始めかけたくらい。やはり東北である。 
  夕食に餃子を食すべく宇都宮駅で途中下車、目的の店に行ったら道路を挟んで長蛇の列。この店の餃子をあきらめ夜の闇の<宇都宮城址>を見に行く。 さらっと見た後、居酒屋に入り餃子を堪能し1日の旅を終える。 

二本松・霞ケ城跡>          二本松少年隊像と箕輪門                       箕輪門

                

洗心亭前から霞ケ池             傘松                                 安達太良連峰

                              

搦手門跡の石垣                   天守台の石垣                                   天守台と安達太良連峰

               

                         本丸跡            大石垣・穴太積み      

            

二本松神社

    

白河・小峰城址>                                                木造復元三重櫓

                

櫓からの展望・阿武隈川方面                           本丸

                

膨らみかけた桜の蕾

城址前公園と三重櫓                               夜陰の宇都宮城・清明櫓                            

                                

朧月と清明櫓  綻びかけた桜

=おわり=


・足立農業公園

2018-03-30 23:07:25 | 日記

2018年3月30日 W校友会でWalking大会に参加しました。荒川土手を歩き足立農業公園まで、約4Kmです。このコースはサイクリング、他で何回か来ています。

朝、集合時JRの車両点検で電車が止まり一時混乱するがそれ程の遅れもなく皆集まったようだ。裏通りを歩き荒川堰堤に着く。朝の冷たい風も収まり快適に荒川左岸サイクリング・コースを歩く。桜のある場所は殆んどなく、時折 菜の花の黄色い花が堰堤にあり目を和ませる。   程なく「農業公園」に着く。ここで散会。  他の人は案内もなかった事から弁当は持ってきていないが私は何回か来ている事から駅で購入した弁当を食す。  駅まで戻る時、途中 桜が見頃の場所があり写真を撮りながら歩く。

                

=おわり=


・鳴虫山

2018-03-27 23:56:35 | 登山

2018年3月27日 日光・鳴虫山へ行って来ました。この山には季節を変え何回も登っています。下山後に温泉に入れるのが魅力です。

日光駅のコンビニで昼食を購入するつもりが改装中でやっていない。しかたなく途中歩いていて見つけた和菓子屋でどら焼きを購入して昼飯とする。    歩き慣れた道を歩き、途中出会ったのは2人だけ。山頂には誰もいない。予定より早く11時半に着く。どら焼きとビールの昼食を摂って早々に退散。男体山にはほどほど雪が残りまあまあの美しさ。    温泉でゆっくりして帰宅。

日光駅前から女峰山

                

鳴虫山山頂

                

下山路

        

感満が淵                                                     やしおの湯

                         

=おわり= 


・中山道を歩く(19)②<関ヶ原宿>-<今須宿>-<柏原宿>-<醒井宿>醒ケ井

2018-03-19 20:41:14 | 中山道

次のルート:⑳醒井宿~武佐宿         前のルート:⑱鵜沼宿~赤坂宿

 【2日目】 
 曇り空の2日目、傘をさし関ヶ原古戦場の見学をしてから街道歩きを始める。
宿裏にあるJR関ヶ原駅前から陸橋を渡ると曇り空から小雨に変わる。傘をさし徳川家康最後の陣地等、合戦の史跡を見ながら決戦地へ向かう。かつては一面の野原であったであろうが今は畑になって整地されているがそれ成の雰囲気を残している。西軍の石田三成が陣を張った笹尾山まで上がると雨に煙る関ヶ原主戦場の広大な眺め全景が広がる。     この展望を見ると三成の方が良い位置にいて戦場全景を見て采配が出来、優勢に見える。 西軍を寝返った小早川秀秋がいなければ西軍の勝利になったかも知れないと思う。そうなると現代のあり方も変わったかも。色々な思いが馳せる関ヶ原古戦場見学であった。

関ヶ原駅前の観光案内所で身支度をし<関ヶ原宿>から街道歩き開始。
  雨は止み曇り空となる。暫らくは国道と沿って歩くため宿の名残はわずかである。壬申の乱の戦場近く、不破関跡へのルートに入ると色々と史跡が現れる。黒血川という川名称は壬申の乱の流血で川底を黒く染めたという凄まじい戦いの様子を伝え、「鶯の滝」は当時の人も我々も心を和ませてくれる気持の良い滝。常盤御前墓を過ぎ今須峠を越えると
美濃路最後の宿場今須宿>に入る。この宿は東の関ヶ原宿、西の柏原宿に挟まれ小さな宿という事だが常夜燈と適度にうねる中山道の通りが街道らしい風情を感じさせる。美濃と近江の国の境に「寝物語の里」というロマンチックな名称の地がある。岐阜県と滋賀県の境でもある。国境の細い溝を挟んだ2軒の旅篭で寝ながら他国の人と話せたという微笑ましい話。
 近江国最初の宿柏原宿>に入る。再び小雨がパラパラと降り出す。近江8宿の中で一番宿が長いという。本陣は残っていないが古い家屋が当時のまま数軒残っているのでカメラの良い被写体になる。国道と山道を通りながら行くと間もなく<醒井宿>に入る。最初は普通の宿だが、途中「居醒の清水」という中山道に沿って清水が湧き出し小川になっている場所に出る。綺麗な水が流れ気持ちの良い場所である。川に降りる石段が設けられ洗い場や魚のいけす、果物の冷やし場としても使われている様。また来てみたい場所である。宿の外れ、JR醒ヶ井駅に到着して今回の街道歩き終了。小雨が降ったり止んだりの天気だったがまあまあの街道歩き日和だった。     本日は歩数3万歩、15Kmの歩きである。

 

 <関ヶ原宿> … 広重/木曾海道六拾九次之内・関ヶ原   関ケ原は、北国街道に通じる分岐点であって、交通の要地として注目された。  広重も、この追分あたりを描いたのであろう。老婆のサービスする茶店に「名ぶつさとうもち」と書いた提燈が掛けられ、客の後ろの看板には「そばきり」「うんどん」の文字がみえる。広重は、「東海道五拾三次」でも、この「木曾街道六拾九次」でも、それぞれの宿名物を画中に取り入れている。彼の旅日記に、昼間、名物のもちを食べ、夜地酒を楽しんだという件があり、広重自身、旅をするときこうした名物を楽しんだ傾向があったと考えられる。

東山道時代からの要衝で、天武天皇が不破関を設けて関ヶ原の名が生まれた。1600年の天下分け目の戦から2年後に中山道の宿となる。

 関ヶ原駅                   各陣営、家紋の幟が立つ      東首塚 

            

徳川家康最後陣地 

        

決戦地へ向かう                               笹尾山、下

        

 石田三成・笹尾山陣地                          桃配山方面の展望       三成・陣地

            

丸太矢来(まるたやらい)の柵                                             戦場を振り返る

                

●●●●●● 街道歩き開始 ●●●●●●

脇本陣                     西首塚                 不破関守址                    間の宿・山中 

                

黒血川・壬申の乱 戦地               鶯の滝:                      常盤御前の墓          常盤地蔵

                

平野部にあり、中山道から直接見える落差5mの滝 「夏来ては鳴く音も聞かぬ鶯の 滝の水泡みなみ や流れ合ふらん」                      

 <今須宿> … 広重/木曾海道六捨九次之内・今須   今須から長久寺村の間が、美濃国と近江国の国境で、両国の人が壁ごしに寝物語したからというので、「寝物語の里」と呼はれ、また「車返し里」ともいったという。広重の図もこのあたりを描き、軒に「寝物語由来」「不破之関屋」などの掛札がかけられ、仙女香で有名な坂本氏の広告まで描かれている。遠くにかすかにみえる淡暴一の山は比良山地であろう。

伊吹山の影響で伊吹おろしの雪に悩まされ、「雪降り荒れまどふ」の記述が「更級日記」にあるほど、今須付近は昔も今も交通のネックになっている。今も国道・東海道本線・新幹線・高速道路など幹線が近くに集中し、不通になる時も生じる。 

JR上り・下りが分かれる           今須峠                        復元・今須一里塚

                

美濃・近江国境の宿場町、今須

                

金毘羅大権現永代常夜燈        「正月も 美濃と近江や閏月」芭蕉     寝物語の里…国境は幅一尺五寸の溝

                       

 <柏原宿> … 広重/木曾海道六捨九次之内・柏原   柏原で特に有名なもぐさ屋は亀屋。広重の絵にも、金太郎や伊吹山、そして福助の張り子の像が描かれ、大名も立寄ったという亀屋のたたすまいを描きつくしている。今も旧道ぞいに亀屋は商売しており、画中にみる福助の張り子も健在で、その大きさに驚かされる。

伊吹山に近く、伊吹山のヨモギで作られる艾もぐさ が特に上質のものとして有名だった。

                    

JR柏原駅                                       本陣…皇女和宮宿泊              

            

柏原宿の風情 … 

                

                        (復元)柏原一里塚

            

  <醉井宿> … 62 広重/木曾海道六捨九次之内・醉か井(さめかい)   大名が駕籠を休めたという六軒茶屋のあたりを描いている。十四、五年前にはまだその茶屋が残っていて、この図そっくりの風景であった。

日本武尊が清水で覚醒した「古事記」の記述から醒井の名が生まれた。鍾乳洞から湧出する清水は水温・水量とも一定で、宿の中を中山道と並行して流れ、珍しい梅花藻が繁茂、「ハリヨ」が生息する。

八幡神社                                   一色の一里塚跡     

                

                              居醒の清水 源泉                加茂神社             源泉

                

加茂神社                                                                     延命地蔵堂

                

 

清流が流れる                 居醒橋            西行水 …   

            

駅への分岐に立つ道標           JR醒ヶ井駅 

    

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=おわり=


・中山道を歩く(19)①大垣<赤坂宿>-<垂井宿>-<関ヶ原宿>-<今須宿>-<柏原宿>-<醒井宿>

2018-03-18 23:59:59 | 中山道

2018年3月18日~19日  中山道歩き19回目、 美濃路・赤坂宿から醒井宿まで2日かけ約**Km歩きます。8名の参加です。

1日目午前中は大垣城を観光後 移動、午後・赤坂宿から街道歩き開始です。 2日目は朝、関ヶ原古戦場を観光してから街道歩きです。 

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近江路(琵琶湖周辺)Map

 【1日目】 … 大垣城観光・赤坂宿→垂井宿…

 大垣駅から10分ほど歩き「大垣城」見学。模擬天守閣を持つコンクリートの城。内部は資料館になっており、天守閣まで昇ると真近かに伊吹山が見える。先月より雪がだいぶ少なくなった感じがする。大垣城近くに 芭蕉「奥の細道」<むすびの地>記念館があるので立ち寄る。中には入らず外の建物を概観する。

<大垣城> …(巨鹿きょろく城・麋び城)… 関ヶ原の戦いの直前まで西軍・石田光成の本陣としていた

正面から見上げる大垣城                        天守閣から伊吹山

                

<奥の細道・むすびの地…大垣> … 記念館の周りにある建物

                                住吉燈台                   無何有荘大醒樹?      芭蕉と木因像

                

 大垣市内で昼食後、養老線で≪東赤坂駅≫まで移動、街道歩き開始。朝から好天で、絶好の街道歩き日和である。 記憶の新しい養老線・東赤坂駅前の中山道を西へ向かう。この辺りはすでに<赤坂宿>の入口である。壬申の乱の謂れや関ヶ原の戦の前哨戦があったという杭瀬川を渡ると、昔 杭瀬川が蛇行していた場所にあった「赤坂湊跡」。湊跡には江戸時代の川燈台が残り、その反対側にある大きな火の見櫓モニュメントが眼をひく。  ここから暫らく所どころに古い町並みが残り、宿場町の雰囲気を感じることが出来る。  中山道から脇道にそれた場所にある鎌倉時代の浄瑠璃「小栗判官おぐりはんがん」に登場する照手姫の水汲井戸は期待外れのチンケさ。    
 程なく<垂井宿>に入る。相川橋を渡り暫らく行くと中山道を遮る様に旅篭・亀丸屋がある。江戸時代中期から現在まで営業を続けていると! 細久手宿・大黒屋しかり、中山道にはこの様に昔の旅篭がそのまま営業している場所が多い。    「垂井の一里塚」は町中にありながら国指定だけあり立派なものである。関ヶ原合戦時、「浅野幸長」の陣所になったと。  <関ヶ原宿>手前に野上の松並木があり若い松が多いが結構長い距離残っていて目に優しい。松並木が切れると中山道から逸れ、国道を挟んで左手に徳川家康が関ヶ原合戦時に最初に陣を張ったという「桃配山」である。ちょっとした小高い丘になっていて合戦場方面が良く見渡せる場所になっている。 中山道に戻り30分ほど歩くと今日の宿・東山道時代から続けている旅篭桝屋。 襖で仕切られた畳部屋であり、細久手宿の大黒屋と同じ造りであるが、1階の部屋なので揺れる事はない。  本日は歩数2万2千歩、11.1Kmの歩きであった。

 

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 <赤坂宿> … 広重/木曾海道六拾九次之内・赤坂  宿の東側を流れる杭瀬川を描いたと思われる。 雨があがった直後で、傘をすぼめた女性と長合羽を着た旅人が土橋の上ですれ違う。橋の袂の榜示杭が赤坂宿の入口を示し家並みが続く。

東海道の三河国に同名の宿があり、ここを美濃赤坂ともいう。関ヶ原の戦の前夜まで東軍が陣を張り、杭瀬川で前哨戦があった。赤白い岩肌を見せる金生山に隣接し、大理石と石灰岩の産地として知られる。和宮降嫁に合わせ54軒が新築し、その時のお嫁入り普請が残っている。  街道筋の左右には、北に美濃国分寺があり、また天下分け目の関ケ原合戦の折、徳川家康が陣をしいた山があり、ここで勝利の報を得たので、それまで岡山といった山の名を勝山と改めたという。

 

村社 白山神社                                  杭瀬川:関ヶ原の戦い前哨戦があった

            

先方に赤坂湊跡の火の見櫓モニュメントが見える                 赤坂湊跡

                    

川燈台とオブジェ

浅間神社                  本陣跡碑                             脇本陣跡碑           妙法寺

                 

兜塚(杭瀬川前哨戦の東軍死者を兜と共に埋葬)          昼飯大塚古墳        照手姫水汲井戸        青墓宿:鎌倉時代の宿            

                             

国分寺道標                  教覚寺          青野ケ原の一里塚碑

        

 <垂井宿> … 広重/木曾海道六拾九次之内・垂井  広重描く図は、雨のばらつく中を宿はずれにかかった大名行列を正面からとらえた構図で、左右の茶屋や石垣をシンメトリーに描いているのも面白い。

欅の大木の根本から湧く清水があり、垂井の名が生まれた。古くから歌枕の地として知られ、この水を利用して美濃紙が漉かれていた。宿中央に南宮大社の石鳥居、桝形に旧旅篭が一際存在感を保つ。   赤坂と垂井の間の青野から名古屋街道を通って大垣へ抜けられるなど、交通の要地でもあった。

 

平尾御坊道道標               喜久一九稲荷      垂井美濃路追分道標     相川から見る伊吹山

                

                          旅篭亀丸屋      本陣跡碑             南宮大社石鳥居      西見附跡      

                    

(国指定)垂井の一里塚…南塚だけが残り規定1丈(約3m)をはるかに越える5m

    

                        

 <関ヶ原宿> … 広重/木曾海道六拾九次之内・関ヶ原   関ケ原は、北国街道に通じる分岐点であって、交通の要地として注目された。 

                                         伊富岐いぶき(伊吹)神社   野上七つ井戸

                

野上の松並木:樹齢300年の松を含め約70本あり笠取峠に次ぐ美しい松並木が続く 

        

桃配山・徳川家康 最初の陣地                       陣地上から関ヶ原合戦場方面を見る

        

桃配山

桃配山上から関ヶ原宿方面

若宮八幡神社                                              永長元年創業 旅篭ますや

                         

 

 次のルート:⑳醒井宿~武佐宿         前のルート:⑱鵜沼宿~美江寺宿 

 【2日目】に続 … 


・三島 山中城址、三島大社

2018-03-14 22:00:11 | 城めぐり

2018年3月14日 三島の「山中城址」を見に行きました。天候は晴れ、好天が続き4月中旬の陽気、散策日和です。  「山中城址」は北条氏が西側から来る豊臣勢に対する防御城塞として箱根外輪山の西側斜面に築いたものです。北条流築城術を駆使して造られた畆堀(うねぼり)や障子堀(しょうじぼり)が復元されているとの事。

三島駅からバスで山中城址まで行く。外国人と思しき人や若い学生で満員のバスは途中迄で殆んどの人が降り、私を含め最後に残った2組が山中城址で降りる。 西側から来る敵に対する最初の防御施設、岱先出丸(だいさきでまる)を最初に見学する。出丸であるが充分に広い面積を持ち、周りを土塁で囲まれた曲輪(くるわ)が2ケ所ある。   雪を冠った富士山や愛鷹連山、駿河湾を西方面に眺められ素晴らしい展望。土塁の直下には壮大な畆掘(うねぼり)「一ノ堀」が走り、良く人間がこの様なものを造ったものと息をのむ。      
 岱先出丸を一周した後、国道を渡り本丸がある「山中城址」本体側に行く。  こちら側にある畆堀はどこも岱先出丸より整った状態で造形的で非常に美しい。城の西端にある「西櫓跡」に登る途中、右手に畆堀と障子堀(しょうじほり)があり鉄壁の構えを見せる。豊臣勢はこれらを乗り越えて殺到したにしても大変な労力だったろうと想像する。 「西櫓跡」から「西の丸」に向かう途中、反対側から見る障子堀も壮大で凄いものがある。  「西の丸・物見台」から見下ろす障子堀と「西櫓跡」も富士山をバックにして絵になる。    樹林の山道を歩き「北の丸」から「天守台」「本丸」そして広い「二の丸」に向かう。「北の丸」は広いが樹林に囲まれ暗い雰囲気、「天守台」はわずかな高みである。「天守台」下のささやかな「本丸」、「二の丸」は伸びやかに明るい。       一通り山中城址を回遊して元の場所に戻る。バスで三嶋大社で途中下車し、「三嶋大社」を見学して今回の城址巡り終了。

【山中城址】 … 

山中城址入口案内                            MAP

              

岱先出丸だいさきでまる                          「すりばち曲輪」         畆堀うねぼり「一ノ堀」…真上から見下ろす          

                

                            畆堀「一ノ堀」…横から見る 

                

左端高み「沼津アルプス」 右側 富士山・愛鷹あしたか連山  眼下 駿河湾

山中城址碑                                    「三の丸堀」          「田尻の池」        「元西櫓下の堀」   

                             

「西ノ丸畆堀」

                        

「西櫓跡」から障子堀を見下ろす                     「西櫓跡」の広場

                             

 

 「西櫓跡」を戻り「西の丸」方面に向かう

                       

「西ノ丸堀」…北条流堀障子の変形

    

…障子のさんのように見える事からつけられた

「西の丸」                                   「西の丸見張台」から「西ノ丸堀」を見下ろす  

            

向かいに「西櫓跡」、真下に「西ノ丸堀」

「元西櫓」(小曲輪)から「西の丸」を望む  「二の丸」方面を望む                    「北の丸」        架橋「・」と「本丸」を結ぶ

                              

「元西櫓」(小曲輪)から「西の丸」を望む

天守櫓跡(天守台)           「・」から「本丸」を望む      矢立の杉        兵糧庫跡          「本丸」

                       

本丸堀                 「二の丸櫓台」から「本丸」                   「・台」から「二の丸」  

                         

本丸堀

「本丸」と「二の丸(北条丸)」を結ぶ本丸西橋、左側半分は土橋。いざという時は右半分の木橋を落とし、本丸への敵の侵入を防ぐ

「二の丸虎口(こぐち)」                           虎口から「元西櫓」へかかる二の丸橋          箱井戸…将兵の飲料水       

                

 「三の丸」宗閑寺…城主松田康永、副将間宮康俊などの墓がある

                             

 

                            芝切地蔵尊                       箱根旧街道         芭蕉句碑‥霧しぐれ富士を見ぬ日そ面白き

                        

【三嶋大社】  … 源頼朝が源氏再興を祈願し、旗挙げをした。社殿は総欅素木の権現造りで三島の顔といえる荘厳なもの

                

                                                                         三島 水辺の文学碑

                             

本殿

=おわり=


・幕山

2018-03-02 22:26:32 | 登山

2018年3月2日 W校友会クラブで湯河原・幕山へ行きました。多人数10名の参加です。この山は例会山行では同じ時期に何回も登っています。いつも土曜日に登り、山頂が人で溢れかえっているのにはうんざりですが今日は平日、それ程でもない事を期待です。 晴天、梅見をするのは絶好の日和です。

湯河原からのバスは全員乗り切れず臨時バスが出るほどの盛況。今の時期幕山の麓・幕山公園は「梅まつり」が行われており入園料を取られる。梅はまだ6~7分咲程度の状態だが場所によっては綺麗に咲いている。   3名だけ幕山山頂には行かず、「梅林」の写真撮影に専念すると。登らない人、全員が写真クラブ員である。     
梅林を抜けると山道になる。背後から春の陽射しを受けて暑く上着を脱いで登る。    山頂はまだ人が少ない。  昼食後、幕山背後の竹藪の山道から林道に出、公園へ戻って写真クラブ員と合流。

帰りのJRでトラブル発生。JRの川崎あたりで火災が発生し辻堂で電車が動かなくなる。しかたがないので途中下車し、駅前の居酒屋で時間つぶしをする。

湯河原駅前・土肥実平夫婦像      幕山公園           梅林

                

幕山ロッククライミング練習場                 

                         

相模湾と真鶴半島             幕山山頂広場

    

幕山公園に戻りました

            

=おわり=