2017年12月6日~8日 中山道歩き17回目は美濃路・大湫宿から鵜沼宿までを3日かけ約**Km歩きます。今回から新幹線を利用してのアクセスになるため<2泊3日>の街道歩きです。7名の参加。
【1日目】
塩尻駅構内で立ち食い蕎麦の昼食。中津川駅から≪恵那駅≫に移動し「広重美術館」で浮世絵を見る。生憎中山道の浮世絵はやっていなかったが版画印刷を体験。
釡戸駅からタクシーで<大湫宿>へ14時到着。晴天だが高地であることで冬の寒さがキリリ。1週間前に来た宿だが季節がだいぶ進み冬枯れの景色。「観音堂」と「神明神社の大杉」を再度観光。 美濃路で標高が一番高い琵琶峠540mの石畳道へ向かう。 この辺り「隆起準平原」といって河川の浸食の最終段階「準平原」が隆起した場所。再び浸食が始まると旧河川が残した山砂利が分布し、二つ岩の様な特異な姿が現れるという。 巨岩・二つ岩を右手に見、すぐに琵琶峠石畳道に入る。峠は以外と近くすぐである。和宮の歌碑や文学碑が置かれる。御嶽、白山、伊吹山が見えるというが今は樹林が生茂り展望はない。昭和45年に発見された日本一長い旧石畳を下り、初夏にカキツバタが咲く弁天池をすぎると<細久手宿>である。
今も旅館を経営している旅篭の大黒屋に着く。尾張藩指定の本陣で、卯達のある外観、上段の間があり当時の雰囲気を色濃く残す宿に泊まる。2階の上段の間に宿泊したが良く揺れる建物で寝返りをするだけで2階全体が揺れる。 今日は短め歩数1万6千歩、7.8Kmの歩き。
次のルート:⑱鵜沼宿~美江寺宿 前のルート:⑯中津川宿~大湫宿
<大湫宿> … 広重/木曾海道六拾九次之内・大久手 なだらかな高原で背負子で自分の丈より高い柴を運ぶ夫婦が、今にも落ちそうな露出した大きな岩を見上げている。大久手と細久手間にあった二つ岩とする説が多いが、形が異なる。花崗岩の露頭が大洞にあって背景も一致する。
この図をみるたびに、浮世絵版画における配色の妙によって、遠近感、立体感を表現する色面構成の微妙さを再認識させられる。
山間の別天地、桃源郷のような宿は美濃高原の窪地(湫くて)にある。大湫の「くて」は湿地の意味で、谷間の中央に水田が広がる様は、その名の印象と一致する。琵琶峠への道に長い石畳が敷かれたのも、この辺りに湿地が多かったためである。
中央線車窓 南アルプス 甲斐駒 恵那駅を起点とする「明智鉄道」
左方:鳳凰三山 右方:甲斐駒ケ岳
1週間ぶりに訪れる大湫宿 観音堂 神明神社の大杉 1週間で季節がだいぶ進んでいる
大湫宿内を歩く 高札場の南天の実が赤くなった
大洞小坂碑 二つ岩 琵琶峠石畳道の「東上り口」
琵琶峠石畳 琵琶峠 頂部:中山道美濃路の最高地点540m 八瀬沢一里塚
峠から八瀬沢集落まで730mの日本一長い琵琶峠石畳(昭和45年に発掘された)
琵琶峠石畳道の「西上り口」 焼き坂の馬頭観音:三面六臂
<細久手宿> … 広重/木曾海道六拾九次之内・細久手 広重描くこの図は、丘陵地のひっそりした道端に、ポツンと一軒置き忘れたような家があるため、地名も「一ツ屋」と呼はれるあたりから見下した風景である。画面の左右から中央へその頂をよせ合う松の大木、その間から望まれる美濃平野、そして中間の山山、さらに藍で摺られた遠山。一点を凝視するかのように展開する野や山の描写に、巧みな遠近透視画法が活用され、また巧みな配色によって広がる空間の伸びやかさを表現している。それは、刀の柄に水筒とした竹筒をひっかけて旅する武士の姿に通ずる和やかさがあるといえよう。
美濃高原の窪地(久手)に40軒になった宿がひっそりと残る。旅篭大黒屋は江戸時代の建築を生かし、今も旅館を続けている。本陣は地下水路が、脇本陣は土蔵が残る。
弁天池 奥之田一里塚 夕暮れ迫る
細久手庚申党から宿を見る <宿>大黒屋:問屋兼旅篭 尾張藩の定宿 上段の間 ここで寝る
大黒屋 尾張藩定宿のため玄関門・式台・上段の間があり本陣の建物に準じた造り … 当時の面影を残す貴重な遺構
豪華というのではないが手作りで心のこもった料理
【2日目】 に続く ……
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます