2016年5月16日 中山道歩き、4回目は北鴻巣駅から深谷駅まで20.4Kmを歩きました。 グループ行動の日に用事があり参加できなかったので一人で歩きます。猛暑で名高い熊谷を歩くので曇り予報の本日の歩きです。 先行グループが歩いた北鴻巣駅から籠原駅まで歩くのが最低限の目的ですが出来れば深谷駅まで歩く予定です。 今回の20.4kmは4日間で最も長い距離です。
9時前に<鴻巣宿>北鴻巣駅に到着。箕田追分に戻り街道歩きスタートです。それ程車の多くない道をJR高崎線と並行して歩き、そしてJRを渡り間の宿となる<吹上>に入ります。英泉の浮世絵ではこの手前で富士山を描いていますが今日は曇り空、展望はききません。メイン通りから脇道に入り再度JR線路を跨線橋で渡ります。
<熊谷宿>まで遠く元荒川の起点という小さな標石をみて荒川の土手に上がります。土手の上に出ても荒川本流は見えず非常に広い河川敷です。 江戸時代は熊谷八丁堤、桜並木が有名で「久下の長土手」と呼ばれ景勝地であったが物騒な場所であったとも。 熊谷まではまだ距離がありそうで久下村の集落で見つけた顧客のいない小さな食堂で昼食です。 たまたま寄った荒川土手下にあった東竹院というお寺は新緑の中に建つ本堂が立派です。だるま石というのが有名とか。 熊谷駅近くでは秩父鉄道・JR新幹線・高崎線と連続して越え国道17号線を歩きます。大きな市街地の熊谷では神社・寺が昔の面影を偲ばせるだけで江戸時代の遺跡は残っていません。 旧街道がデパートの中を突っ切っているというありさまです。(デパート東口から入って西口に抜ける) 暫らくは17号線沿いを歩き途中から再度脇道旧道になります。 見るべきものがあまりない旧道をえんえんと歩き籠原駅入口を通り過ぎ5Kmほどで深谷宿に入ります。
<深谷宿>は旧道沿いに旧家などが残っており大きな田舎の街という雰囲気です。 今日の目的地、深谷駅は渋沢栄一が煉瓦造り事業で財をなしただけあり東京駅駅舎を思わせる立派な煉瓦造りの建物です。18時近くになり今日の一人歩き終了です。
<鴻巣宿> … 鴻巣 吹上富士遠望[英泉] 吹上村から熊谷へ向かって出た辺りから富士山を望んで描く。蛇行する街道には榎が植えられ、その両側には麦畑が広がっている。
鴻巣宿は江戸時代からひな人形の産地として知られていた。ここの雛市は江戸十間店、武州越谷と並んで「関東の三大雛市」といわれるほど繁盛した。
北鴻巣駅から中山道に合流・箕田追分 / 地蔵堂 / 英泉 の「鴻巣 吹上 遠望」はこのあたりと刻まれる / 前砂道標
JR線路を渡る / 妙徳地蔵 / 勝龍寺
<間の宿・吹上宿> …
吹上神社 / 吹上 間の宿碑 / 中山道榎戸村 碑 / 元荒川起点標石
<熊谷宿> … 熊谷宿 八丁堤ノ景 [英泉] 荒川に面した茶屋を描いたものという。道の傍らの地蔵は、荒川水難者の川守地蔵であろう。そばに立つ石柱には「左深谷 二里廿丁」という文字が見られる。茶屋にいこう旅人や馬子。駕籠に乗る人物と挨拶する男の二つのグループを前景に、榎を植えた縄手道を描いた構図も面白い。
熊谷宿は江戸時代は忍藩領で、絹・綿織物を商う六斎市が立って賑わった。また、秩父・川越・足利方面へ通じる交通の要地として発展した。
権八延命地蔵 … 荒川護岸手前 / 荒川堰堤上を歩く / カスリーン台風による荒川決壊跡碑
久下の一里塚 / 久下神社 / 久下権八地蔵 / 久下の渡し跡碑
東竹寺 …
熊久橋 … (ムサシトヨミ生息地) / 八丁の一里塚跡碑 / 秩父鉄道・上越新幹線を超える
高城神社 … 武蔵大里郡総鎮守 / 札の辻跡碑 / 千形神社 …
熊谷(ゆうこく)寺 … / デパート 西口・東口にある道標
新島の一里塚 / 東方の一里塚(ケヤキ)
<深谷宿> … 深谷之駅[英泉] 生き生きとした宿場女郎屋の様子。竹之内の紋入り提灯からもれた光で足元を照らす。こうした明暗の表現は英泉が好んで描いた美人画に用いた手法でこの図にもその手法が生きている。
深谷は上杉氏の城下町として発展。寛永4年の廃城後は商人や遊女の多い宿場として、また五・十の日に開かれる市場町として繁昌した。宿は秩父入口・寄居への分岐点に位置し、また、北方の利根川河岸と江戸との間に舟運が開けていた事もあって商業が盛んであった。
熊野大神社 …
見返りの松 … 旅人が朝、遊女との別れを惜しんだ場所 / 県立深谷一高
深谷宿常夜灯 … 深谷宿江戸口 / 豪商 大谷邸 / 地名由来 行人橋
煉瓦造り深谷駅
=おわり=
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます