2016年11月6日 中山道歩き、8回目は横川駅から軽井沢駅まで碓氷峠越えの道を14Km歩きます。コース予定では軽井沢駅に着くのが17時半頃になるという事で懐中電灯も準備します。朝晩寒く、初冬の趣きのあるこの季節着るものの選別に苦労します。
9時過ぎに坂本宿手前横川駅に到着。バスで来たと思われる団体と碓氷関所で一緒になり、どうなることかと思ったら「アプトの道」方面に向かったのでホットします。 上信越道の下をくぐると<坂本宿>になります。正面に見える丸い刎石山に向かって真っ直ぐに整備された坂道が伸びています。下木戸跡から本陣跡や旅篭跡が残っていますが坂の上から車がひっきりなしに通ります。上木戸跡を過ぎると間もなく山道様の坂が多くなり、いよいよ碓氷峠越えの旧道山道に入ります。 ここから熊野神社のある碓氷峠まで7km強 標識では2時間半ということです。 1km弱程行くと「柱状節理」、「上り地蔵」「下り地蔵」の地蔵尊があり、その先に「覗き」という場所があります。坂本宿側の展望が開け宿の町並みがまるで箱庭のようにみえます。 完全な山道を歩きますが、一般の山と違い坂に名前が付いていたり所どころに仏様や史跡、建物跡があり街道であることを窺わせます。峠への最後の坂という「長坂」は急登ではないけどほどほどの坂がいやになる程続きます。 やっと上野國と信濃国の国境である碓氷峠に着きます。ここから信州側<軽井沢宿>になります。峠には立派な「熊野神社」があり国境上に本宮、上州側と信州側に二つの社があり「熊野三社」と言います。神社に詣でした後、展望台へ向かい浅間山や妙義山の展望を楽しみます。浅間山はシルエットの状態ですが高く見え、妙義山は目下に良く見えます。 予定の時間より2時間程早く着くことが出来たので持ってきたアルコールで乾杯しのんびりします。 この後、旧街道が一部崩落して通れないという情報があったので碓氷遊覧歩道という場所を通り、軽井沢・ショーハウスで旧中山道に合流します。 この後は原宿の様な旧軽井沢の人混みの道を歩き旧軽ロータリーへ出て、前回の街道歩きルートと合流します。 軽井沢駅へ到着後、予定より2時間早いバスで横川駅に戻り今日の街道歩き終了です。
次のルート:⑦軽井沢宿~望月宿 前のルート:⑩安中宿~横川宿
<坂本宿> … 木曽海道六拾九次之内・坂本[英泉] 坂本の宿は、七百メートルばかりの両側に、間口十二・七メートル、あるいは六・三メートルほどの家を、宿の中央の本陣二軒、近くの脇本陣四軒、大小の旅籠屋四十戸ほどを含めて百六十戸を計画的にぎっしりと建てた街であったという。道の中央を流れる宿場用水がよく表現されている。英泉描く坂本の図は、そうした町並の面白さをとらえている。そして東に碓氷の関所、西には碓氷峠をひかえ繁盛したという宿場の活気を巧みに表現している。宿の正面にある刎石山を宿の後ろに移し、迫る山の描写に点描と色彩とを併用して、写実感を盛り上げた効果が生きている。
東に碓氷関所、西に中山道の難所・碓氷峠を控えていたため、旅装を解く旅人が多く、飯盛女も置かれて宿場は活気に溢れていた。 昔のままの門構えをもつ永井脇本陣、連格子の旅篭かぎやなどがあり、往時の面影をしのぶことができる。
坂本宿 / 碓氷峠
横川駅前広場 / 碓氷関所 / 坂本宿下木戸跡 / 佐藤本陣跡
宿のまっすぐな道、正面に刎石山 / 上木戸跡 / 芭蕉句碑「ひとつ脱て うしろに負ひぬ衣かへ」
坂本八幡宮
碓氷峠への道 / 柱状節理 / 石仏石塔群 / 「覗」から覗く
「覗」からの坂本宿 / 林の中を歩く
/ 南向馬頭観音 / 北向馬頭観音 / 紅葉の中の道を歩く
<軽井沢宿> … 広重/木曽海道六拾九次之内・軽井沢 浅間の山も、宿の家々も、そして森も墨色で彩られ、月光に照らされた畠の部分だけがやや明るい。その輸の中で燃える焚火。そしてまた街道のかたわらで勢いのよい炎をみせ焚火だけが動的なものを感じさせる。その焚火から煙草の火をつける旅人。馬子と馬上の客とが煙管の火をつけ合う。こうした人々の動きも、あたりの静寂さに押されて、ひっそりと行なわれているように感じる。焚火や小田原提燈の光に照らされた部分だけを鮮かな色彩で描く手法は、当時としては新しい表現であった。
中山道最北の宿、標高960m。碓氷峠を越え、信濃入りする最初の宿場で足休みする旅人たちで繁昌した。
碓氷峠・熊野神社 / 本宮:国境上 / 那智宮:信州側 / 新宮:上州側
峠・見晴台から
浅間山 / 妙義山
軽井沢へ向かう途中 吊橋を渡る(中山道ではない)
ショーハウス…避暑地としての軽井沢を広く紹介 / 芭蕉句碑:馬をさへ ながむる雪の あした哉
つるや旅館…昔は茶屋であった / 神宮寺
/ 旧軽ロータリー / 軽井沢駅
=おわり=
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