デジカメを持って歩こう.

個人の 登山、トレッキング、散歩、海外旅行 の記録です。

 2012年9月 南米.ペルー周遊からブログ参加です

・旧日光街道 小山(小山宿)-(新田宿)-(小金井宿)-(石橋宿)石橋

2016-06-29 22:54:57 | 奥の細道

2016年6月29日 今回は昨年11月の旧・日光街道一人歩きの続きで小山駅から歩きます。 曇り空、蒸し暑い中歩きます。一人で歩いていると仲間と一緒の時は気づかなかった事に気づく事ができます。

奇しくも今年になって4回目の来訪となった、慣れたJR小山駅から出発です。    前回の壬生道行の時にも寄った興法寺、新緑から深緑の季節に変わりうるおいがなくなった感じがします。   喜沢の分岐からは初めて歩く場所です。 暫らく東北線のすぐそばを歩き4号線に出ると<新田宿>という宿場との事。このあたりあまり見るべきものはないが<小金井宿>に入る場所に立派な一里塚が残っています。「国指定史跡 小金井一里塚」で二つの塚があり榎と橡の巨木が植わっています。  暫らく行くと「慈眼寺」という立派なお寺があり葵の御紋が目立ちます。徳川将軍の日光社参時の小休所とされていた様です。  途中の旧道では干瓢畑の脇を通り、写真でしっている干瓢の実が畑になっている状態を始めて見ました。  あとは目立った史跡もなく、石橋駅に着き街道歩き終了です。

小山駅                             興法寺 …

        

両毛線を越える                            新田宿 代官陣屋跡(羽川薬師堂)

              

小金井一里塚

      

慈眼寺 … 

                

  

村社 金井神社 … 慈眼寺の隣にあります

      

何でしょう … この地方の特産品です

            

 

愛宕神社 …                                           / JR石橋駅

           

=おわり=


・中山道を歩く(6) 本庄<本庄宿>-<新町宿>-<倉賀野宿>倉賀野

2016-06-19 23:59:59 | 中山道

2016年6月19日 中山道歩き、6回目は本庄駅から倉賀野駅まで約15.2Kmを歩きました。先月、先々月とグループでの街道歩き、欠席だったのでメンバーと歩くのは久しぶりです。今日歩くルート<新町宿>までは7日に一人で歩いています。   参加者8名、前日の猛暑日と比べ今日は若干低めの24℃曇りの予報、初夏の歩きとしてはまあ良い方かなという感じです。  今回の15.2kmは6日間での最短距離を更新しました。

9時に<本庄宿>駅に集合。前月リーダーが歩いた中山道ポイントまで横道を律儀に戻り街道歩きスタートです。一人で歩いた時は気づかなかったポイントを発見する事が出来ます。   歴史民族資料館に寄り移設された本庄宿の本陣門を見てから館内に入ります。明治に警察署として使われていた資料館には古墳時代の埴輪等の出土品や近世の繭や絹で本庄宿が繁栄した一端を垣間見る事が出来ます。   前回見たお寺や建物を回り宿の総鎮守・「金鑚(かなさな)神社」を見ます。皆は立派なお寺と大きなクスノキをじっくり見入っていました。  長松寺では前回行った時は目立たなかったハスに立派な花が咲いていて2週間の違いで花があり季節の流れを感じます。 陽雲寺では境内に良いベンチがあったので水分補給の休憩です。太陽が照らしつける事はないのですが汗がにじみ出てくる蒸し暑さです。
神流川を越えいよいよ<新町宿>です。神流川の両脇にある「見透燈籠」は皆、興味がない様で先に行きます。神流川古戦場跡碑をじっくり見て芭蕉句碑がある八坂神社の手前で昼食です。    昼食が終り表に出ると女雨(死語?)が降っています。日傘を持ってきた人はさし、ない人はそのままです。  元の道に戻り「八坂神社」芭蕉句読み方の事で一談義です。 この先で前回私が歩いた場所は終わり、新しく歩く街道です。  広重の浮世絵描画の場所、温井川の橋袂には上州の山々の展望図があり、見えれば素晴らしい様です。    関越自動車道を潜り鳥川の堰堤・サイクリイング道を歩きます。小雨は時々止んだり降ったりです。  烏川の柳瀬橋を渡り、舟渡し場のあった旧道に戻り2本の高崎線を越えると<倉賀野宿>です。  日光例幣使街道追分の常夜燈を見て、間もなく倉賀野駅に着き今日の街道歩き終了です。

次のルート:倉賀野宿~安中宿        前のルート:⑤深谷宿~新町宿 

 

 <本庄宿> … 本庄宿 神流川渡場[英泉]   昔は宿の手前、傍示堂(ぼうじどう)に武州・上州の国境標示があったが、一般的には神流川をもって、武蔵・上野両国の境とした。        図中の常夜灯は川の両岸に一基ずつ建ち「見返し灯篭」と呼ばれ、夜、川を渡る人の目安になっていた。   広くひろがる空に上毛三山、左から妙義山、榛名山、赤城山。さらに妙義山背後の茶色い山は信州の浅間山、赤城山の後の灰色の山は日光白根山とみられる山岳に、文人画の谷文晁の作品にみられる描法を活用している。

深谷宿と並んで街道有数の歓楽街を形成し、本陣や飯盛女の客引合戦も激しかったという。助郷に来た近郷の若者が村に戻らず、役人に取締り願いが出たという。 が、『壬戌紀行』に「(書店)があり。文広堂といふ。又新古本屋林といふも見ゆ」とあって、文化面も高かったようである。   

 

本庄駅               / 大正院        /              / 歴史民俗資料館前・田村本陣門   /  歴史民俗資料館

                

歴史民俗資料館・元警察署

   

 安養院                                                    / 旧本庄商業銀行跡・繭倉庫

                

金鑚(かなさな)神社                             / 長松寺                         / 唐鈴(とうれい)神社参道

                

金鑚(かなさな)神社

 

 歩く                / 円墳の浅間神社       / 金窪八幡神社         / 陽雲寺           / 勝場の一里塚跡

                

神流川・本庄側「復元見透燈籠」               / 新町側

         


<新町宿> … 新 町[広重]   日本橋から英泉の図をみてきたが、ここで初めて広重の図である。      宿の西に温井川が流れ、中山道は弁天橋で渡った。   『木曽名所図会』には「左の方に赤木山見ゆる。富士峯に似たり」とあり、広重はその記事そっくりの藍の赤城山を描いている。   これまでの重苦しい画趣の英泉の図を見てきただけに、何かほっとした気分にしてくれる。木版独特のボカシや色面構成による広重の作風によるためであろう。

神流川を渡り、中山道は群馬県・上州/上野国に入る。江戸から11番目の宿場となる。当初は寂しい寒村だったが、後に街並みが出来、落合新宿と笛木新宿となり二つの村で宿場をなした。

  

神流川古戦場跡碑       / 復元見通燈籠        ●● 昼食 ●●      / 八坂神社 … 

                         

浄泉寺 …            / 伊勢島神社 …        / 豪商川端家      / 鳥川堰堤に上る     / 烏川に架かる柳瀬橋から

                

烏川対岸を舟渡し場辺りへ戻る / 岩鼻の北向子育観音

    

 <倉賀野宿> … 倉賀野宿 鳥川之図[英泉]    烏川縁に建った茶屋、そして英泉が得意とした子供と女性を近景に描いている。背景の風景は観念的な描写(具体的な景色を描いていない)となっている。

新町から倉賀野はわずか一里半であるが温井川渡し、烏川・柳瀬の渡しがあるので昔の旅人は手間取ったであろう。     倉賀野宿は日光例幣使街道の起点であった。     また烏川の下流が利根川に流入していたので江戸との舟運が開けており河岸が連なっていた。信州や越後からくる物資は碓氷峠を越えて牛車で倉賀野宿まで運ばれ、河岸から船で烏川から利根川を経て江戸へ運ばれた。  江戸からの物資もここの河岸に陸揚げされ各地へ牛車で運ばれた。そのため問屋が十軒もあり、他の宿場とは違った雰囲気があったという。

日光例幣使道追分                     /               / 倉賀野宿本陣跡碑

                

=おわり=

次のルート:倉賀野宿~安中宿       前のルート:深谷宿~新町宿 


・小山宿

2016-06-14 20:20:25 | 日記

2016年6月14日 K校友会のクラブで小山宿散策に行きました。 18名の参加です。 雲り時々晴れ予報で散策には調度良いかなという天気です。 この宿は「奥の細道」歩きでさわりを見ているのでもっと詳細な宿場見学が出来る事を期待して歩きます。 

JR小山駅に集合、「まちの駅」に移動してボランテイア・ガイドに合流。 最初に脇本陣として残っている建物を見学。建物の片りんがあります。  その後、須賀神社に行き立派な境内・社殿を見学、ボランテイアの説明を受けます。また、社務所に保存されている大神輿を見学します。家康に関係の深い神社という事で徳川家ゆかりのものが多い様です。         隣にある妙蓮寺では寺の本堂に上げて貰い天井格子の絵画を鑑賞します。     市役所の前広場では「小山評定」跡碑を見てから「小山御殿」跡広場前に移動し、説明を受けます。説明を受けないと只の広場です。     その先にある小山城址「祇園城」跡見学です。内容は以前に見学したものと同じで目新しいものはありません。 城址公園を抜け市街はずれにある「天翁院」小山氏の菩提寺を見学します。小山城主の墓だけあり立派なものですが墓石は歴史の長さに崩れかけています。    ここまでで今日の史跡めぐり終了、駅に戻ります。     小山宿にはたくさんの史跡があり見学できるものと期待していたのですがそれ程でもなく期待外れでした。

小山駅                  / 脇本陣跡                     / 現聲寺

           

須賀神社 … 

            

              

須賀神社の朱神輿(あかみこし) … 日光東照宮を造営した職人によって縮尺奉製されたもの

      

妙蓮寺 … 

          

      

小山評定碑               / 祇園城址 …

            

城址から太平山                  / 天翁院 … 

            

=おわり=


・中山道を歩く(5) 深谷<深谷宿>-<本庄宿>-<新町宿>新町

2016-06-07 23:59:59 | 中山道

2016年6月7日 中山道歩き、5回目は北深谷駅から新町駅まで17.7Kmを歩く予定です。   今回もグループ行動の日に用事があり参加できなかったので一人で歩きます。梅雨入りした関東地方、それ程暑くならず最高21℃曇り予報日の歩きです。  先行グループが歩き終わった本庄駅の先、神保原駅か新町駅まで歩くのが目標です。  

早めの8時30分頃に<深谷宿に到着。煉瓦デザインの特徴的な駅を後にして出発。   左手に煉瓦造りの高い煙突が目立つ造り酒屋「滝沢酒造」があります。その先に中山道最大級といわれる深谷の常夜灯があります。道路正面にあり非常に目立つ立派なものです。 JR線路の向こうにある「清心寺」は簡素なお寺です。  17号線と旧道の分岐点に芭蕉の句碑がありますが、説明資料がなければ読めない句です。  本庄宿の北、小山川を渡る手前の道は曲がりくねり、坂の途中に百庚申という庚申塔群があります。築造時、黒船の渡来や桜田門外の変があり国情騒然の時期に民衆の安定を願ったものとの事で歴史を感じさせるものです。   小山川を越え、川沿いの旧道は上州の空っ風にさらされる寒村という風情です。     
かつては武州・上州の國境であったという傍示堂跡を過ぎると<本庄宿>に入ります。若干は昔の宿の雰囲気を残す建物が残っています。 遅めの昼食を摂った後、先をいそぎます。本庄宿のはずれにある総鎮守「金鑚(かなさな)神社」は樹林に囲まれ社殿は丹塗り、極彩色の彫刻で飾られて美しいものです。  暫らく旧道の郊外の道を歩くと古墳の上に作られた浅間神社があります。構造の説明板があり興味深々です。    この様な道を歩き武蔵國と上野國の國境、現在の埼玉と群馬の県境を流れる神流川に出ます。「神流川合戦の碑」と「復元・見通し燈籠」が川の両岸にあり、古の往来を思いますが狭い橋の横をダンプカーが疾走し現実に引き戻されます。   
上州<新町宿>に入るとすぐに「八坂神社」があり芭蕉句碑もあります。  雲ゆきも怪しくなり16時近く、先に行くにはまだ2時間程度かかりそうなので新町駅で今回の街道歩き終了です。 

次のルート:⑥本庄宿~倉賀野町       前のルート:④鴻巣宿~深谷宿 

   

<深谷宿> … 深谷之駅[英泉]  生き生きとした宿場女郎屋の様子。竹之内の紋入り提灯からもれた光で足元を照らす。こうした明暗の表現は英泉が好んで描いた美人画に用いた手法でこの図にもその手法が生きている。 

深谷は旅篭が中山道の中で一番多くそれぞれに飯盛り女を二人から三人おいていた。宿内の男女構成比は女性が138人多く、飯盛り女ぐらいが多い計算になる。その要因の一つが、前の熊谷宿が飯盛り女を置くことを禁じていたため、遊女は深谷に住みつき、自然と旅人も深谷に来るようになり一層賑やかになったということである。   [英泉]は江戸吉原に通い遊女を描く事を務めていたそうで、下記浮世絵は英泉面目躍如というところである。  

  

  

深谷駅                / 「七ツ星」蔵元       / 「菊泉」蔵元            / 深谷の常夜灯 

                

清心寺 … JRの線路を越えた向かいにある簡素なお寺                                                 

       

 

<本庄宿> … 本庄宿 神流川渡場[英泉]   昔は宿の手前、傍示堂(ぼうじどう)に武州・上州の国境標示があったが、一般的には神流川をもって、武蔵・上野両国の境とした。        図中の常夜灯は川の両岸に一基ずつ建ち「見返し灯篭」と呼ばれ、夜、川を渡る人の目安になっていた。   広くひろがる空に上毛三山、左から妙義山榛名山赤城山。さらに妙義山背後の茶色い山は信州の浅間山、赤城山の後の灰色の山は日光白根山とみられる山岳に、文人画の谷文晁の作品にみられる描法を活用している。

深谷宿と並んで街道有数の歓楽街を形成し、本陣や飯盛女の客引合戦も激しかったという。助郷に来た近郷の若者が村に戻らず、役人に取締り願いが出たという。 が、『壬戌紀行』に「(書店)があり。文広堂といふ。又新古本屋林といふも見ゆ」とあって、文化面も高かったようである。   

龍宮神社 …         / 二十二夜塔          / 源勝院 … 岡部藩主安倍氏の菩提寺

            

宝登山神社           /雲雀塚 … 芭蕉句碑「原中や物にもつかず啼雲雀

    

島護産泰神社 …                                             / 百庚申        /小山川・滝岡橋

             

                                / 八幡大神社         / 古の國境・傍示堂跡

                   

旧本庄商業銀行跡の煉瓦造り繭倉庫 / 安養院 …江戸末期の文人碑が林立・加賀千代尼句碑、芭蕉画像句碑、渡辺崋山書、等27基  / 昼食

                 

金鑚(かなさな)神社 … 本庄城主 小笠原忠真が創建した 丹塗りの社殿と極彩色の彫刻

                

 長松寺 …            / 二柱神社 …       / 浅間神社 … 古墳の上にある

            

勝場の一里塚跡碑

   

神流川                  / 復元見透燈籠:武蔵國側

            

 

<新町宿> … 新 町[広重]   日本橋から英泉の図をみてきたが、ここで初めて広重の図である。      宿の西に温井川が流れ、中山道は弁天橋で渡った。   『木曽名所図会』には「左の方に赤木山見ゆる。富士峯に似たり」とあり、広重はその記事そっくりの藍の赤城山を描いている。   これまでの重苦しい画趣の英泉の図を見てきただけに、何かほっとした気分にしてくれる。木版独特のボカシや色面構成による広重の作風によるためであろう。

神流川を渡り、中山道は群馬県・上州/上野国に入る。江戸から11番目の宿場となる。当初は寂しい寒村だったが、後に街並みが出来、落合新宿と笛木新宿となり二つの村で宿場をなした。  

 

 

 

復元見透燈籠:上野國側   / 神流川古戦場跡碑

               

八坂神社 … 芭蕉句[傘におしわけ見たる柳かな]  / 諏訪神社      / 専福寺       / 新町駅

           

=おわり=  

次のルート:⑥本庄宿~倉賀野町      前のルート:④鴻巣宿~深谷宿 


・奥の細道(8)壬生(壬生宿)-<壬生街道・例幣使街道>(楡木宿)-(奈佐原宿)-(鹿沼宿)新鹿沼

2016-06-04 22:16:48 | 奥の細道

2016年6月4日 8日目は東武宇都宮線壬生駅から東武日光線新鹿沼駅まで約15~16Kmを歩く予定です。9時半に壬生駅に集合予定でしたが大宮から来るメイン・メンバーが電車に乗り遅れ10時過ぎのスタートとなります。 参加者は女性5名、男性4名の9名です。 天気は晴、夏日の27~28度までなる予報です。

壬生街道を歩き、市街のはずれにある壬生寺に寄ります。今回の歩きで見るべきものがあったのはこのお寺くらいでした。境内に御神木になっている大きな銀杏の樹がある立派なお寺です。   薄日が出て蒸し暑い中、ひたすら街道を歩きます。大きなダンプカーが通ると風が起き帽子が飛ばされるので気を付けながらの歩きです。一里塚跡が何か所ありますが、概ね何もない街道を歩きます。   途中、壬生街道から例幣使街道に合流、楡木宿に入り遅めの昼食です。    さらに奈佐原宿を通り鹿沼宿・新鹿沼駅に到着。 電車が来るまで30分ほど待ち、今日の「細道歩き」終了です。

壬生駅 

   

壬生寺 … 慈覚大師円仁の誕生地

                

金売り吉次の墓     / 稲葉一里塚      / 前方後円墳       / 北赤塚一里塚

          

新鹿沼駅

=おわり=


・日光 赤薙山

2016-06-01 23:00:00 | 登山

2016年6月1日 W校友会クラブで日光・赤薙山に行きました。 参加者は10名、天気は乾燥した快晴です。今回はあまり参加しない人も参加し、通常参加者フルメンバーに近いです。今回も集合時間真近に京浜東北線の人身事故が発生し、集まってこれるか心配しましたが事故発生前に集合し問題ありません。

東武日光からバスで霧降高原で下車し登山開始です。23年前に来た時、リフトがあった記憶の高原は開けた駐車場となっていてリフトの代わりに階段の道になっています。  いきなりの木造階段を登りますが爽やか緑の中、快適に登れます。階段が1,000を超えるあたりから傾斜が急になり息がきれる様になります。  途中展望台が何箇所か設定されており開けた高原の眺望が素晴らしいです。     まだ、ニッコウキスゲは早い様で1本もありません。代わりにヤマツツジ、レンゲツツジが盛りで緑の草の中、美しいです。      

階段が終わった場所にある鹿返しの扉を通り、本格的な登山開始です。 途中丸山への分岐を過ぎ赤薙山へ向かうと時々高山植物が出てきます。暫らく登り、階段の終了地点では右手の高みにあった丸山を見下ろす様になると、赤薙山直前の急登が始まります。樹林帯の中、根っこが出てきて歩きずらい道を登ると山頂です。樹林帯の中にある山頂は日光側が崖になり落ち込んでおり、女峰山方面の尾根を見る事が出来ますが、女峰山本体が見えているかは不明です。   

山頂で昼食後、元来た道を戻り下山です。 階段の頂上で小学生の移動教室団体と一緒になり喧噪の中、階段を下ります。途中、階段道に平行してある山道を下りツツジと緑に感動しながらバス停に戻りました。

日光駅前から女峰連峰

 正面:女峰山 右側街路灯の鉄塔で隠れているピークが赤薙山

MAP                    / 木造階段を登る                                      / 振り返る

                

                 

 展望台から登ってきた階段と高原山                       / 日光駅方面 右手:鳴虫山、手前左:外山

                         

登山道開始                               / 小丸山            / 丸山を見下ろす      / 焼山 

                

                  / 日光市街地方面                          / 山頂        

                

 山頂から女峰山方面

下山                                                      /  鹿返しの門

            

レンゲツツジ          / サラサドウダン

            

日光駅から登ってきた女峰連峰を望む

=おわり=