デジカメを持って歩こう.

個人の 登山、トレッキング、散歩、海外旅行 の記録です。

 2012年9月 南米.ペルー周遊からブログ参加です

・中山道を歩く(21)②武佐<武佐宿>-<守山宿>-栗東

2018-05-30 23:59:59 | 中山道

2018年5月30日

次のルート:㉒瀬田の唐橋~京都・三条大橋【完】     前のルート:⑳醒井宿~武佐宿

       1日目:ドライブ(伊吹山・長浜城址・佐和山城跡)、2日目:(武佐宿-守山宿)、3日目:(守山宿-草津宿・瀬田の唐橋)

 【2日目】 … 武佐宿ー守山宿 …

 朝、ホテルの窓から外を見ると小雨が降っている。雨具をしっかり着けて出発。
近江八幡駅から武佐駅に戻り、風はないが相変わらず小雨がしっかりと降っている中、<武佐宿>から街道歩き開始。  色々な史跡があるが雨降りのためじっくり見れず先を急ぐ。広重の浮世絵にある「横関川の舟渡し場」は只の草叢で川は見えず説明版がないと何が何やらわからない。国道側に迂回して橋を渡り、渡し場対岸に杣道を行く。麦の秋が美しい。
  間の宿<>に入りと国道沿いにパラパラと●●●跡碑が出てくる。 先行する皆と逸れ、雨が強くなったので道の駅で一人で休憩。  ここから暫らくは史跡的なものはなく、只、近くに銅鐸がたくさん出てきた場所があり、そこに造られたという古墳群が公園になっており興味が湧く。 先行グループはここには入らず先に行った様だ。
  間もなく<守山宿>地区に入る。   調度昼食時、国道沿いのファミレスに入り雨具を取ってホットする。
  昼食後も小雨が降り続く。ここからも野洲川を渡り守山宿の中心に来るまで史跡は少ない。     <守山宿>は江戸から数えて67番目、中山道最後の宿場である。「京発ち守山泊まり」という言葉があり、京を出て最初の宿泊地になったという事だが「京発ち」でない人も居たため旅篭が特別に多い訳でないと。  ここ守山宿中心部入口でも皆と逸れ一人歩き。適度に曲がりくねった道の両脇に古い町並みや史跡が残り好ましい。明治の造酒屋、歴代4位の短命内閣・宇野宗佑首相の生家を雨宿りを兼ねて覗く。    ここから大分行った場所で先行グループが後から追いついてくる。  栗東駅手前、大宝神社にはここの地名「綣(へそ)」を関連付けた芭蕉の句碑がある。大雨の中、立派な大宝神社境内を通り抜け今日のホテルへ一人近道する。 

 本日は歩数3万3千歩、16.4Kmの歩きである。 

 <武佐宿> … 67 広重/木曾海道六捨九次之内・武佐(むさ)   前の恵智川宿から草津までの街道は、江盆地の広潤な緑野であるため、広重も画材に困ったのか、高宮、恵智川、そして武佐と、橋づくしのように橋ばかりを描いている。   2つの舟を縦にして舟橋としたのは日野川であり、右に村役人が見守り、対岸西横関で橋銭を徴取する。

恵智川から武佐までは二里半である。武佐の手前、東老蘇(おいそ)、西老蘇の付近は、中山道の歌ビころとして知られる老蘇の森がある。昔、この一帯は湿地で、とうてい人の住める所ではなかった。近くに住んでいた石辺大連という老人が松、杉、檜などの苗木を植え、神に祈った。するとたちまち大森林となった。大連はこの森林の中に住み、百数十年の長寿を保ったというのが、老蘇の伝説で、今も安産守護の奥右(おいそ)神社が森の中にある。

雨の近江八幡駅前              近江鉄道

    

武佐:若宮神社                伊庭貞剛邸跡                        住蓮坊首洗池…承元の法難で法然門弟が死罪

                             

住蓮坊首洗池…承元の法難で法然の門弟4人が死罪、住蓮は故郷で処刑され首を洗ったという池

馬淵八幡社…信長に焼かれた後に再建の本殿は重文                         雨の武佐宿

                             

馬淵八幡社…信長に焼き払われた後に再建された本殿(重文)は朱塗りの桃山様式

「横関川渡し場跡」を迂回して日野川を渡る               雨に濡れる麦畑

                               

<鏡> … 中世・東山道時代の宿駅であった また、江戸時代は武佐宿と守山宿が3里半(14KM)あるため間の宿として賑わう

旧道に入る                  鏡の宿                源義経宿泊の館跡碑

            

雨の国道を歩く               鏡の宿・本陣跡

    

大篠原・西池                                                   篠原神社          子安地蔵堂

                    

桜生(さくらばさま)史跡公園 … 銅鐸が埋納された後に数多くの古墳が築かれている

                

桜生(さくらばさま)史跡公園 … 大岩山古墳群に甲山古墳・円山古墳・天王山古墳を整備

 <守山宿> … 68 広重/木曾海道六捨九次之内・守山    武佐から守山まで三里半の行程である。 川に沿って宿場の家並みが片側だけにあり、左右の山に桜が満開である。遠くの山は三上山であるが、宿の近くに山はない。宿内を描くため片側街とするなど脚色が目立つ。   旅人は1人を除いて京都方面に向かい、終点が意識される。

「京発ち守山泊まり」といわれ、京都から31Kmの守山宿は朝鮮通信使など公式の旅の宿となった。また女性の1泊目の宿として利用された。東山道時代からの史跡が残り歴史が随所に匂う。

昼食…雨の中、屋内に入れホット                        小篠原・稲荷神社 … 参道を国道に分断されている

                             

養専寺 … 山門の奥に大銀杏が聳える

        

茅葺屋根の「暁酒造」           中山道・野洲碑                           朝鮮人街道追分

                             

追分を振り返る 左:朝鮮人街道 右:中山道

行事神社                   銘酒「玉の春」酒造    道祖神群

        

十輪院                    野洲川を渡る

        

野洲川の橋のたもとにあり、川の橋が架けられていなかった頃は毎晩ここに燈籠をかかげ目印となった。

野洲川 … 琵琶湖へ流入する最長の川。三上山麓を過ぎると天井川となり、八つの瀬に分かれ八洲川とも呼ばれた。

馬路石邊(うまじいそべ)神社            雨に濡れた守山宿                                 帆柱観音分岐

                

馬路石邊神社 … 雨の中、皆と逸れたため見学せず 参道300mに沿う川にはゲンジボタルが生息。茅葺の神門は宮津藩代官所から移築された。

 

石部道分岐道標                                                 天満宮

                             

石部道分岐道標 … 「すぐいしべ高野郷新善光寺道」と彫られ、草津宿まで行かずに東海道の石部宿への近道を示す

天満宮 … (本陣跡地)

本陣跡・井戸跡 … 本陣や問屋役の家 跡地                           木浜道との分岐石造道標

                                    

東門院 … 延暦寺四門の一つ                                                   土橋 … 木橋の路面だけ土で覆った

                             

東門院 … 延暦寺四門の一つ東門にあたる 比叡山を守る寺から守山と呼ばれたことが地名となった

樹下神社 … 日吉大社山王七社権現の一つ十禅師宮                      今宿一里塚

                             

今宿一里塚 … 滋賀県で原形を留めた唯一の一里塚

焰魔堂町                  住蓮房母公墓標石         十王寺閻魔堂

                    

「焰魔堂」という地名の由来となった寺。平安時代の歌人 小野篁(たかむら)が閻魔王を祀った

                           「綣」へそ                        大宝神社脇に建つ 芭蕉綣句碑

                              へそむらのまだ麦青し春のくれ 

大宝神社 … 

             

 大宝神社 … 大宝元年に疫病が流行し創建と伝わり、祭神は疫病の神、牛頭(ごず)天王。木造狛犬(重文)、境内社に追木神社本殿(重文)がある。

         

ホテルで宴会

3日目へ続く

 1日目:ドライブ(伊吹山・長浜城址・佐和山城跡)、2日目:(武佐宿-守山宿)、3日目:(守山宿-草津宿・瀬田の唐橋)



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