デジカメを持って歩こう.

個人の 登山、トレッキング、散歩、海外旅行 の記録です。

 2012年9月 南米.ペルー周遊からブログ参加です

・中山道を歩く(20)②=続= <愛知川宿>-<武佐宿>武佐

2018-04-13 12:56:28 | 中山道

 1日目:街道歩き(醒井宿--高宮宿)、2日目:彦根城、街道歩き(高宮宿--武佐宿)、3日目:近江八幡・八幡山城址・安土城址

もっとゆっくり見ていたい彦根城であったが本来の街道歩へ戻る。近江鉄道で高宮駅へ戻り、昨日駅に着くのにひと悶着あった道を歩き中山道へ。<高宮宿>は近江商人を輩出した地で現在の伊藤忠商事や高島屋、西武鉄道、西川産業など多くの産業に進出している人が多いと。宿氏神・高宮神社や多賀大社鳥居、布惣ぬのそう(麻織物問屋)、円照寺等がありそれぞれ立派である。また、袖卯建を持つ漆喰壁の建物等古い家並も一部だが残っている。丸紅&伊藤忠創業者・伊藤忠兵衛の生家を見学。総合商社の創業時逸話・品物が残っており凄い才覚を持つ人であることを知る。    伊藤忠の生家の向かいにある蕎麦屋で昼食。       暫く歩き平将門の伝説がある「歌詰橋」を渡ると<愛知川宿>である。宿の入口を跨ぐ標識ゲート下を通るといくつかの古い民家も現れるが、本陣など、・・跡碑ばかりである。大きな愛知川を渡りその先のMacで休憩。先に帰る二人がもっと先まで行けるか検討、結局当初の計画通り近江鉄道・五個荘駅入口で別れる事になる。2人いなくなりちょっぴり寂しくなったが先をいそぐ。
 この辺り近江商人発祥地といえる五個荘(ごかしょう)の町である。近江八幡・日野と並び近江商人を輩出し、行きは売り物、帰りは仕入れ物の往復で商いをする「ノコギリ商法」で活躍したとある。また、茅葺き入母屋の民家も点在する。石塚の一里塚の近くには近江商人が天秤棒(てんびんぼう)を担いだ行商人姿の銅像も立ち近江商人を強調。   湖東三名の一つ「清水鼻の名水」ではシャガの花が涼しげに咲いている。   新幹線の高架下をくぐると左前前方に鬱蒼とした森が現れる。その森をなぞる様に歩くと「老蘇(おいそ)の森」・奥石神社とあり見学して観たかったが先行者が先に行ってしまい素通り。   間もなく<武佐宿>である。醒井宿にあった西行法師の子供が泡になったと同じ「泡子地蔵碑」伝承がここにもある。宿氏神・牟佐神社を過ぎると古い建物が連なりだす。切妻造り桟瓦葺の2階建て商家などがあり当時の雰囲気を伝える。武佐宿本陣跡標識や、後で知った「象が通った道」絵を過ぎると今回の街道歩き終着「武佐駅」である。

     本日は歩数3万2千歩、16.2Kmの歩きである。

次のルート:㉑武佐宿~草津宿         前のルート:⑲赤坂宿~醒井宿 

 <愛知川宿> … 66 広重/木曾海道六拾九次之内・恵智川(えちがわ)    柱に「むちんはし はし銭い らす」と示す橋の完成から8年後に描かれた。広い河原は、天井川の特徴を持つ大河の愛知川である。馬に代わって牛が荷を運ぶのは近畿の風習で、京都に近いことを暗示している。左に観音山、右に伊庭山と和田の山があり、今は御幸橋がかかる。

湖東平野の中央を流れる愛知川の東岸に、宿が誕生した。五箇荘・近江八幡・日野と共に近江商人の輩出地で、平将門伝説のある歌詰橋・不飲橋、商人が架けた無賃橋を商人や旅人が利用した。

伊藤長兵衛家屋敷跡          伊藤忠兵衛旧宅の家訓    江州音頭発祥の地碑     歌詰橋

            

将門の乱を平定し、首を都へ運ぶ途中「平将門この場所にて歌に詰まりて倒れし」と伝わる

愛知川宿ゲート                                 愛知川宿北入口標                       本陣跡

                      

八幡神社                       旧旅篭・竹の子屋(現竹平楼)             不飲橋(のまずばし)

            

びんてまり(口の狭いガラス瓶の中に刺繍した手毬が入り、縁起物として飾られる)をデザインする不飲橋…平将門の首を洗った伝承から呼ばれる

愛知川一里塚跡碑               祇園神社                            愛知川           睨み燈籠

                             

今は穏やかな流れだが、かつては「人取り川」の異名もある暴れ川であった。増水すると自力で渡れず溺死する人がしばしばいた。
そこで地元の篤志家が資金を集め橋を架け、無賃で人々を通した。

 

★★★★★★ ここ (近江鉄道:五個荘駅) で2人 先に帰る ★★★★★★

大神宮常夜燈                  名残松             旧五個荘局         京町風商家         大郡神社   

                

金毘羅大権現常夜灯             茅葺き民家           石塚一里塚跡碑      てんびんの里・近江商人像       

            

近江商人像 … 近江から天秤棒一本で近江の産物を持ち行商、行商先からその地方の産物を購入して上方に運び商っていた

清水鼻の名水 … 湖東山名水(観音寺山麓)                シャガ                           大神宮常夜燈

                             

奥石神社 …                                                   東老蘇道標          根来陣屋跡 

                

武佐の手前、東老蘇(おいそ)、西老蘇の付近は、中山道の歌どころとして知られる老蘇の森がある。昔、この一帯は湿地で、とうてい人の住める所ではなかった。近くに住んでいた石辺大連という老人が松、杉、檜などの苗木を植え、神に祈った。するとたちまち大森林となった。大連はこの森林の中に住み、百数十年の長寿を保ったというのが、老蘇の伝説で、今も安産守護の奥右(おいそ)神社が森の中にある。

 

 <武佐宿> … 67 広重/木曾海道六捨九次之内・武佐(むさ)   前の恵智川宿から草津までの街道は、近江盆地の広潤な緑野であるため、広重も画材に困ったのか、高宮、恵智川、そして武佐と、橋づくしのように橋ばかりを描いている。   2つの舟を縦にして舟橋としたのは日野川であり、右に村役人が見守り、対岸西横関で橋銭を徴取する。

京都から武佐宿まで46Km、健脚の旅人の1泊目の宿として利用された。万葉の里蒲生野・楽市発祥の地石寺・信長の安土城も近く、歴史が漂う。本陣門・陣屋・問屋・宿役人宅などが残る。

 

 

 

安土:寛永通楽                 轟橋            中山道標石               兼若宮神社 

                    

                           泡子延命地蔵尊御遺跡  西福寺             蛇沢川          武佐宿氏神・牟佐神社 

                   

                         武佐宿本陣跡        旧八幡警察署                         像の通った道の「絵」

                

                           愛宕山常夜燈                       近江鉄道・武佐駅

            

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  1日目:街道歩き(醒井宿--高宮宿)、2日目:彦根城、街道歩き(高宮宿--武佐宿)、3日目:近江八幡・八幡山城址・安土城址



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