デジカメを持って歩こう.

個人の 登山、トレッキング、散歩、海外旅行 の記録です。

 2012年9月 南米.ペルー周遊からブログ参加です

・鉄道唱歌

2030-08-24 11:03:20 | 鉄道唱歌

第一集 東海道編   第四集 信越・北陸編   第三集 奥州・磐城編


<第一集 東海道編> …

  「汽笛一声新橋を‥‥」で始まる『鉄道唱歌』は、国鉄時代の車内放送の前に鳴らされたオルゴールに採用されたこともあり、おそらく誰もが耳にしたことのあるメロディだろう。19世紀最後の年である1900(明治33)年に発行された、明治期を代表する日本のベストセラー書籍として知られているが、その売れ方は半端ではなかった。   1900年といえば、今で言う東海道本線が11年前に全通し、東北本線や常磐線も全通、北海道・山陽本線・九州の各線もかなり広いエリアをカバーしていくという、急速に幹線鉄道網が顔を揃えつつあった時代である。

~房総を遠望できた潮風の品川駅~ 新橋ー横浜

 一、
汽笛一声新橋を                【新橋】
はや我(わが)汽車は離れたり
愛宕(あたご)の山に入りのこる
月を旅路の友として

 二、
右は高輪泉岳寺(たかなわせんがくじ)
四十七士の墓どころ
雪は消えても消えのこる
名は千載(せんざい)の後までも

 三、
窓より近く品川の                【品川】
台場も見えて波白く
海のあなたにうすがすむ
山は上総(かずさ)か房州(ぼうしゅう)か

 四、
梅に名をえし大森を              【大森】
すぐれば早も川崎の               【川崎】
大師河原(だいしがわら)は程ちかし
急げや電気の道すぐに

 五、
鶴見 神奈川あとにして            【鶴見】【神奈川】
ゆけば横浜ステーション           【横浜】)
湊(みなと)を見れば百舟(ももふね)の
煙は空をこがすまで

~横須賀線に寄り道する~ 大船ー横須賀

六、
横須賀ゆきは乗換えと
呼ばれておるる大船(おおふな)の      【大船】
つぎは鎌倉 鶴ヶ岡                【鎌倉】
源氏の古跡や尋ね見ん

 七.八幡宮の石段に
立てる一木(ひとき)の大鴨脚樹(おおいちょう)
別当公暁(べっとうくぎょう)のかくれしと
歴史にあるは此(この)蔭よ

 八、
ここに開きし頼朝が
幕府のあとは何(いず)かたぞ
松風さむく日は暮れて
こたえぬ石碑は苔あおし

 九、
北は円覚(えんがく)建長寺(けんちょうじ)
南は大仏星月夜
片瀬 腰越 江の島も
ただ半日の道ぞかし

 十、
汽車より逗子(ずし)をながめつつ      【逗子】
はや横須賀に着きにけり           【横須賀】
見よやドックに集まりし
わが軍艦の壮大を

~いでてはくぐる「箱根」隧道~ 大磯ー三島

 十一、
支線をあとに立ちかえり
わたる相模の馬入川(ばにゅうがわ)
海水浴に名を得たる
大磯みえて波すずし (大磯)

 十二、
国府津(こうづ)おるれば馬車ありて*   【国府津】
酒匂 小田原とおからず
箱根八里の山道も
あれ見よ雲の間より

  *12番……後に「電車あり」に変更される。

 十三、
いでてはくぐるトンネルの
前後は山北(やまきた) 小山(おやま)駅  【山北】【小山】
今もわすれぬ鉄橋の
下ゆく水のおもしろさ

 十四、
はるかにみえし富士の嶺(ね)は
はや我(わが)そばに来りたり
雪の冠 雲の帯

 十五、
ここぞ御殿場 夏ならば                  【御殿場】
われも登山をこころみん
高さは一万数千尺
十三州もただ一目(ひとめ)

 十六、
三島は近年ひらけたる                 【三島】
豆相(ずそう)線路のわかれみち
駅には此地(このち)の 名をえたる
官幣(かんぺい)大社の宮居(みやい)あり

 ~白帆の川舟下る富士川を渡って~ 沼津ー静岡

 十七、
沼津の海に聞えたる                  【沼津】
里は牛伏(うしぶせ) 我入道(がにゅうどう)
春は花さく桃のころ
夏はすずしき海のそば                 【鈴川】現 吉原

 十八、
鳥の羽音におどろきし
平家のはなしは昔にて
今は汽車ゆく富士川を
下るは身延(みのぶ)の帰り舟

 十九、
世に名も高き興津鯛(おきつだい)      【興津】
鐘の音ひびく清見寺(せいけんじ)      【江尻】現 清水
清水につづく江尻より
ゆけば程なき久能山(くのうざん)

二十、
三保の松原 田子の浦
さかさにうつる富士の嶺を
波にながむる舟人は
夏も冬とや思うらん

二十一、
駿州(すんしゅう)一の大都会
静岡いでて安倍川(あべかわ)を       【静岡】
わたればここぞ宇津の谷(うつのや)の
山きりぬきし洞(ほら)の道

 ~燃ゆる火の焼津、春さく花の藤枝~ 焼津ー舞阪

 二十二、
鞘より抜けておのずから
草なぎはらいし御剣(みつるぎ)の
御威(みいつ)は千代に燃ゆる火の
焼津の原はここなれや (焼津)

 二十三、
春さく花の藤枝も                 【藤枝】
すぎて島田の大井川              【島田】
むかしは人を肩にのせ
わたりし話も夢のあと

 二十四、
いつしか又も暗(やみ)となる
世界は夜かトンネルか
小夜(さよ)の中山 夜泣石
問えども知らぬ よその空

二十五、
掛川 袋井 中泉                  【掛川】【袋井】【中泉】現 磐田
いつしかあとに早なりて
さかまき来(きた)る天竜の         【天竜川】
川瀬の波に雪ぞちる

 二十六、
この水上(みなかみ)にありと聞く
諏訪の湖水の冬げしき
雪と氷の懸橋を
わたるは神か里人か

二十七、
琴ひく風の浜松も                【浜松】
菜種に蝶の舞坂も                【舞坂】現 舞阪
うしろに走る愉快さを
うたうか磯の波のこえ

~煙を水に横たえて浜名湖風景を走る~ 鷲津ー大高

二十八、
煙を水に横たえて
わたる浜名の橋の月
たもと涼しく吹く風に
夏ものこらずなりにけり

二十九、
右は入海(いりうみ)しずかにて
空には富士の雪しろし
左は遠州 洋(なだ)ちかく
山なす波ぞ砕けちる

三十、
豊橋おりて乗る汽車は               【豊橋】
これぞ豊川 稲荷道(いなりみち)
東海道にてすぐれたる
海のながめは蒲郡(がまごおり)      【蒲郡】

三十一、
見よや徳川家康の
おこりし土地の岡崎を              【岡崎】
矢矧(やはぎ)の橋に残れるは
藤吉郎のものがたり

三十二、
鳴海しぼりの産地なる
鳴海に近き大高を                【大高】
下りておよそ一里半
ゆけば昔の桶狭間

~金の鯱から関ヶ原を越えて~ 熱田ー草津

三十三、
めぐみ熱田の御(み)やしろは         【熱田】
三種の神器の一つなる
その草薙の神つるぎ
あおげや同胞四千万(しせんまん)

三十四、
名だかき金の鯱(しゃちほこ)は
名古屋の城の光なり              【名古屋】
地震のはなしまだ消えぬ
岐阜の鵜飼も見てゆかん           【岐阜】

三十五、
父やしないし養老の
滝は今なお大垣を               【大垣】
三里へだてて流れたり
孝子の名誉ともろともに

三十六、
天下の旗は徳川に
帰せしいくさの関ヶ原              【関ヶ原】
草むす屍いまもなお
吹くか胆吹(いぶき)の山おろし

三十七、
山はうしろに立ち去りて
前に来るは琵琶の海
ほとりに沿いし米原(まいばら)は      【米原】
北陸道の分岐線

三十八、
彦根に立てる井伊の城 (彦根)
草津にひさぐ姥ヶ餅(うばがもち)      【草津】
かわる名所も名物も
旅の徒然(とぜん)のうさはらし

~近江八景を詠み込む大津付近~ 馬場ー大谷

三十九、
いよいよ近く馴れくるは
近江の海の波のいろ
その八景も居ながらに
見てゆく旅の 楽しさよ

四十、
瀬田(せた)の長橋横に見て
ゆけば石山観世音(かんぜおん)
紫式部が筆のあと
のこすはここよ月の夜に

四十一、
粟津(あわづ)の松にこととえば
答えがおなる風の声
朝日(あさひ)将軍義仲の
ほろびし深田(ふかた)は何(いず)かたぞ

四十二、
比良(ひら)の高嶺(たかね)は雪ならで
花なす雲にかくれたり
矢走(やばせ)にいそぐ舟の帆も
みえてにぎわう波の上

四十三、
堅田(かただ)におつる雁(かり)がねの
たえまに響く三井(みい)の鐘
夕ぐれさむき唐崎(からさき)の
松には雨のかかるらん

四十四、
むかしながらの山ざくら
におうところや志賀の里
都のあとは知らねども
逢坂山はそのままに

~大正に路線変更した大津ー京都間~ 山科ー京都

四十五、
大石良雄(おおいしよしお)が山科(やましな)の  【山科】
その隠家(かくれが)はあともなし
赤き鳥居の神さびて
立つは伏見の稲荷山

四十六、
東寺(とうじ)の塔を左にて
とまれば七條ステーション          【京都】
京都京都と呼びたつる
駅夫のこえも勇ましや

四十七、
ここは桓武(かんむ)のみかどより
千有余年の都の地
今も雲井の空たかく
あおぐ清涼紫宸殿(ししんでん)

四十八、
東に立てる東山
西に聳(そび)ゆる嵐山
かれとこれとの麓ゆく
水は加茂川 桂川

四十九、
祗園(ぎおん) 清水(きよみず) 知恩院(ちおんいん)
吉田 黒谷(くろたに) 真如堂(しんにょどう)
ながれも清き水上(みなかみ)に
君がよまもる加茂の宮

~「水力電車」を生んだ琵琶湖疏水~ 京都ー山崎

五十、
夏は納涼(すずみ)の四条橋
冬は雪見の銀閣寺
桜は春の嵯峨御室(さがおむろ)
紅葉は秋の高雄山

五十一、
琵琶湖を引きて通したる
疏水の工事は南禅寺
岩切り抜きて舟をやる
知識の進歩もみられたり

五十二、
神社 仏閣 山水(さんすい)の
外に京都の物産は
西陣織の綾錦(あやにしき)
友禅染(ゆうぜんぞめ)の花もみじ

五十三、
扇 おしろい 京都紅
また加茂川の鷺(さぎ)しらず
みやげを提げていざ立たん
あとに名残りは 残れども

五十四、
山崎おりて淀川を                   【山崎】
わたる向うは男山(おとこやま)
行幸ありし先帝の
かしこきあとぞ忍ばるる

五十五、
淀の川舟さおさして
くだりし旅はむかしにて
またたくひまに今はゆく
煙たえせぬ陸(くが)の道

~先見の明があった大阪駅の形状~ 高槻ー大阪

五十六、
おくり迎(むこ)うる程もなく
茨木 吹田うちすぎて               【茨木】(吹田】
はや大阪につきにけり               【大阪】
梅田は我をむかえたり

五十七、
三府の一(いつ)に位(くらい)して
商業繁華(しょうぎょうはんか)の大阪市
豊太閤(ほうたいこう)のきずきたる
城に師団はおかれたり

五十八、
ここぞ昔の難波(なにわ)の津
ここぞ高津の宮のあと
安治川口(あじかわぐち)に入る舟の
煙は日夜たえまなし

五十九、
鳥も翔(かけ)らぬ大空に
かすむ五重の塔の影
仏法(ぶっぽう)最初の寺と聞く
四天王寺はあれかとよ

六十、
大阪いでて右左
菜種ならざる畑(はた)もなし
神崎川のながれのみ
浅黄(あさぎ)にゆくぞ美しき

~河底に掘られた日本初の鉄道トンネル~ 神崎ー神戸

六十一、
神崎よりはのりかえて                【神崎】現 尼崎
ゆあみにのぼる有馬山(ありまやま)
池田 伊丹(いたみ)と名にききし
酒の産地もとおるなり

六十二、
神戸は五港の一つにて              【神戸】
あつまる汽船のかずかずは
海の西より東より
瀬戸内がよいも交じりたり

六十三、
磯にはながめ晴れわたる
和田のみさきを控えつつ
山には絶えず布引の
滝見に人ものぼりゆく

六十四、
七度うまれて君が代を
まもるといいし楠公(なんこう)の
いしぶみ高き港川(みなとがわ)
ながれて世々(よよ)の 人ぞ知る

六十五、
おもえば夢か時のまに
五十三次(ごじゅうさんつぎ)はしりきて
神戸のやどに身をおくも
人に翼の汽車の恩

六十六、
明けなば更に乗りかえて
山陽道を進(すす)ままし
天気はあすも望みあり
柳にかすむ月の影


 <第四集 信越・北陸編> … 

『鉄道唱歌』第四集は、上野から現在の高崎線・信越本線で新潟へ出て、そこから海路を佐渡経由で北陸を目指す経路をたどる。それほど遠回りをするのは、天下の険・親不知を経て富山までの区間がまだ開通していなかったからである。この頃は船便で直江津から富山へ渡るしか方法がない。当時は上野から日本海側へ出られる路線はこのルートだけで、直江津へ出るだけで約12時間かかった。

~石神井川の豊富ま水で王子に製紙場~ 上野ー赤羽  

一.
車輪のひびき笛の聲
みかへる跡に消えて行く
上野の森の朝月夜                    【上野】
田端は露もまださむし         【田端】

二.
見あぐる岸は諏訪の臺
それにつづきて秋の夜は
道灌山の虫のねを
ここまで風や送るらん

三.
見よや王子の製紙場                 【王子】 
はや窓ちかく來りたり
すきだす紙の年にます
國家の富もいくばくぞ

四.
春はさくらの飛鳥山
秋は紅葉の瀧の川
運動會の旗たてて
かける生徒のいさましさ

五.
まもなくきたる赤羽は          【赤羽】
品川ゆきの乘替場
目白目黒の不動へも
よれや序の道なれば

~本庄から秩父まで通じていた馬車~ 蕨ー神保原  

六.
蕨すぐれば浦和にて         【蕨】【浦和】
その公園は調の宮
埼玉縣の縣廳も
この地にこそは置かれたれ

七.
大宮おりて八九町           【大宮】
ゆけば氷川の公園地
園は螢に名も高く
宮は武藏の一の宮

八.
上尾桶川鴻の巣に          【上尾】【桶川】【鴻巣】
近き吉見の百穴は
古代穴居の人のあと
見るも學びの一つなり

九.
吹上すぎてながめやる        【吹上】
熊谷土手の花ざかり          【熊谷】
次郎直實生れたる
村の名今につたへたリ

~養蚕、温泉王国を活写した『唱歌』~ 新町ー足利  

十.
深谷本庄神保原            【深谷】【本庄】【神保原】
左に雲のあひだより
みゆる秩父のふもとなる
大宮までは馬車もあり

十一.
はや新町も倉賀野も          【新町】【倉賀野】
またたくひまに行きすぎて
今ぞ上州高崎の                        【高崎】 
繁華の町につきにける

十二.
町の東北前橋へ            【前橋】
汽車にてゆけば十五分
群馬縣廳所在の地
上野一の大都會

十三.
若葉紅葉によしときく          
伊香保の温泉榛名山
高崎よりは程ちかし
避暑にも人のゆくところ

十四.
みわたすかぎり青々と
若葉波うつ桑畑
山のおくまで養蠶の
ひらけしさまの忙がしさ

十五.
線路わかれて前橋の
かたにすすめば織物と
製絲のわざに名も高き
桐生足利とほからず         【桐生】【足利】

~標高差553メートルを「アプト式」で上る~ 安中ー熊ノ平 

十六.
高崎いでて安中の           【安中】
つぎは磯部の温泉場
うしろをゆくは碓氷川
まへに立てるは妙義山

十七.
鉾か劍か鋸か
獅子か猛虎か荒鷲か
虚空に立てる岩のさま
石門たかく雲をつく

十八.
あとに見かへる松井田の      【松井田】
松のみどりもかげきえて
はや横川につきにけり        【横川】
おりよ人々水のみに

十九.
これより音にききゐたる
碓氷峠のアプト式
齒車つけておりのぼる
仕掛は外にたぐひなし

二十.
くぐるトンネル二十六
ともし火うすく晝くらし
いづれば天地うちはれて
顏ふく風の心地よさ

~諏訪湖は大屋から南下するのが近道~ 軽井沢ー坂城 

二十一.
夏のあつさもわすれゆく
旅のたもとの輕井澤         【軽井沢】
はや信濃路のしるしとて
見ゆる淺間の夕煙

二十二.
くだる道には追分の
原とよばるる廣野あり
桔梗かるかや女郎花
秋の旅路はおもしろや

二十三.
御代田小諸とすぎゆけば      【御代田】【小諸】
左に來る千曲川
立科山をながれ出て
末は越後の海に入る

二十四.
諏訪の湖水をみる人は
大屋をおりて和田峠
こゆれば五里の道ぞかし
山には馬も駕籠もあり

二十五.
上田をあとに走りゆく          【上田】
汽車は坂城に早つきぬ
川のあなたにながめやる
山は姨捨月見堂

二十六.
田毎の月の風景も
見てゆかましを秋ならば
雲をいただく冠着の
山はひだりにそびえたり

~長野県都を過ぎ列車は信越国境へ~ 屋代ー高田 

二十七.
屋代篠井うちすぎて
わたる千曲と犀川の
間の土地をむかしより
川中島と人はよぶ

二十八.
ここに龍虎のたたかひを
いどみし二人の英雄も
おもへば今は夢のあと
むせぶは水の聲ばかり

二十九.
長野に見ゆる大寺は         【長野】
是ぞしなのの善光寺
むかし本田の善光が
ひろひし佛なりとかや

三十.
ここにとどまるひまあらば
戸隱山にのぼり見ん
飯綱の原のほととぎす
なのる初音もききがてら

三十一.
豐野と牟禮と柏原
ゆけば田口は早越後
軒まで雪の降りつむと
ききし高田はここなれや

三十二.
雪にしるしの竿たてて
道をしへしも此あたり
ふぶきの中にうめらるる
なやみはいかに冬の旅

~距離以上に遠かった上野からの越後方面~ 直江津ー長岡 

三十三.
港にぎはふ直江津に         【直江津】
つきて見そむる海のかほ
山のみなれし目には又
沖の白帆ぞ珍しき

三十四.
春日新田犀潟を
すぐれば來る柿崎の
しぶしぶ茶屋は親鸞の
一夜宿りし跡と聞く

三十五.
鉢崎すぎて米山の
くぐるトンネル七つ八つ
いづれば廣きわたの原
佐渡の國までくまもなし

三十六.
みわたす空の青海川
おりては汐もあみつべし
石油のいづる柏崎
これより海とわかれゆく

三十七.
安田北條來迎寺
宮内すぎて長岡の
町は名だたる繁花の地
製油の烟そらにみつ

~日本最大の油田地帯をゆく~ 見付ー沼垂 

三十八.
汽車の窓より西北に
ゆくゆく望む彌彦山
宮は國幣中社にて
參詣男女四時たえず

三十九.
彌彦にゆくは三條に
おりよと人はをしへたり
吾身は何も祈らねど
いのるは君が御代のため

四十.
加茂には加茂の宮ありて
木の間の鳥居いと清く
矢代田驛の近くには
金津の瀧の音たかし

四十一.
十一年の御幸の日
かたじけなくも御車を
とどめ給ひし松かげは
今この里にさかえたり

四十二.
もみぢは新津秋葉山
櫻は龜田通心寺
わするな手荷物傘鞄
はやここなるぞ沼垂は

四十三.
おるればわたる信濃川
かかれる橋は萬代の
名も君が代とときはにて
長さは四百數十間

~北陸本線の全通阻んだ難所・親不知の険~ 新潟ー佐渡 

四十四.
川のかなたは新潟市
舟ゆく水の便よく
わたせる橋をかぞふれば
およそ二百もありとかや

四十五.
春は白山公園地
一つににほふ梅櫻
夏は涼しき日和山
鯛つる舟も目の前に

四十六.
汽船の煙海をそめ
商家の軒は日をおほふ
げにも五港の一つとて
戸數萬餘の大都會

四十七.
新潟港を舟出して
海上わづか十八里
佐渡に名高き鑛山を
見てかへらんも益あらん

四十八.
佐渡には眞野の山ふかく
順徳院の御陵あり
松ふく風は身にしみて
袂しぼらぬ人もなし

四十九.
波路やすけく直江津に
かへりてきけば越中の
伏木にかよふ汽船あり
いざ乘りかへて渡海せん

~神通川の西に置かれた仮駅だった富山駅~ 富山ー七尾 

五十.
富山は越中繁華の地
ここよりおこる鐵道は
加賀越前をつらぬきて
東海道にであふなり

五十一.
藥に名ある富山市は
神通川の東岸
はるかに望む立山は
直立九千九百尺

五十二.
商業繁華の高岡を
すぎて福岡石動の
次に來るは津幡驛
七尾に行かば乘りかへよ

五十三.
加賀越中の境なる
倶利伽羅山は義仲が
五百の牛に火をつけて
平家せめたる古戰場

五十四.
津幡七尾のその間
すぎゆく驛は八九箇所
邑智の潟の青波に
さをさす舟も羨まし

五十五.
七尾は能登の一都會
入海ひろく舟おほし
ちかき和倉の温泉は
町きよらかに客たえず

~加賀百万石の城下町金沢の威容を紹介~ 津幡ー小松 

五十六.
津幡にかへり乘りかへて
ゆけば金澤ステーション
百萬石の城下とて
さすが賑ふ町のさま

五十七.
名も兼六の公園は
水戸岡山と諸共に
かぞへられたる吾國の
三公園の其一つ

五十八.
柳みどりに花赤く
おちくる瀧の水白し
雲にそびゆる銅像は
西南役の紀念碑よ

五十九.
第九師團も縣廳も
皆此町にあつまりて
海の外までひびきたる
その産物は九谷燒

六十.
松任美川うちすぎて
わたる手取の川上に
雪を常磐の白山は
雲まにたかく聳えたり

六十一.
小松の北におとたかく
ながるる水は安宅川
安宅の關は何くぞと
問はば嵐やこたふらん

~今も語り継がれる敦賀湾の絶景~ 動橋ー敦賀 

六十二.
折りたく柴の動橋
武士が帶びたる大聖寺
こころ細呂木すぎゆけば
いろはの金津むかへたり

六十三.
三國港の海に入る
日野川こえて福井驛
ここに織り出す羽二重は
輸出の高も數千萬

六十四.
大土呂鯖江あとにして
武生鯖波はしりゆく
汽車は今こそ今庄に
つきて燧の城も見つ

六十五.
海のながめのたぐひなき
杉津をいでてトンネルに
入ればあやしやいつのまに
日はくれはてて暗なるぞ

六十六.
敦賀はげにもよき港
おりて見てこん名どころを
氣比の松原氣比の海
官幣大社氣比の宮

六十七.
身を勤王にたふしたる
耕雲齋の碑をとへば
松の木かげを指さして
あれと子供はをしへたり

~中央分水界に初めて掘られたトンネル~ 疋田ー米原 

六十八.
疋田柳瀬中の郷
すぎゆく窓に仰ぎ見る
山は近江の賤が嶽
七本鎗の名も高し

六十九.
豐太閤の名をとめし
轡の森は木の本の
地藏と共に人ぞ知る
汽車の進みよ待てしばし

七十.
縮緬産地の長濱に
いでて見わたす琵琶の海
大津にかよふ小蒸汽は
煙ふきたて人をまつ

七十一.
驛夫の聲におどろけば
眠はさめて米原に
つきたる汽車の速かさ
みかへる伊吹雲ふかし

七十二.
おもへば汽車のできてより
狹くなりたる國の内
いでし上野の道かへて
いざやかへらん新橋に


 <第三集 奥州・磐城編> … 

1994(明治27)年、日本の初めての冊子状の時刻表で、日本鉄道株式会社は上野~高崎間を中仙道線、同線の大宮から分岐して青森に至る方を奥州線と呼んでいたようだ。同社の最初の開通区間は1883(明治16)年の上野~熊谷間で、仙台方面へはその2年後に大宮から分岐して宇都宮へ通じている。大宮駅ができたのはその時のことで、それまで浦和の次は上尾であった。

~花見の名所・飛鳥山と大宮公園~ 上野ー栗橋 

 1.
汽車は烟を噴き立てて
今ぞ上野を出でてゆく           【上野】
ゆくへは何く陸奧の
青森までも一飛に

2.
王子に着きて仰ぎみる           【王子】
森は花見し飛鳥山
土器なげて遊びたる
江戸の名所の其一つ

3.
赤羽すぎて打ちわたる           【赤羽】
名も荒川の鐵の橋
その水上は秩父より
いでて墨田の川となる

4.
浦和に浦は無けれども          【浦和】
大宮驛に宮ありて             【大宮】
公園ひろく池ふかく
夏のさかりも暑からず

5.
中山道と打ちわかれ
ゆくや蓮田の花ざかり           【蓮田】
久喜栗橋の橋かけて            【久喜】【栗橋】
わたるはこれぞ利根の川

~日本鉄道だった水戸線と両毛線~ 古河ー宇都宮 

6.
末は銚子の海に入る
坂東太郎の名も高し
みよや白帆の絶間なく
のぼればくだる賑を

7.
次に來るは古河間々田           【古河】【間々田】
兩手ひろげて我汽車を
萬歳と呼ぶ子供あり
おもへば今日は日曜か

8.
小山をおりて右にゆく            【小山】
水戸と友部の線路には          【水戸】【友部】
紬産地の結城あり              【結城】
櫻名所の岩瀬あり              【岩瀬】

9.
左にゆかば前橋を                【前橋】
經て高崎に至るべし       【高崎】
足利桐生伊勢崎は              【足利】【桐生】【伊勢崎】 
音に聞えし養蠶地

10.
金と石との小金井や             【小金井】  
石橋すぎて秋の田を              【石橋】 
立つや雀の宮鼓                   【雀宮】
宇都宮にもつきにけり       【宇都宮】

~「特別な観光地」日光への路線~ 日光ー西那須野 

11.
いざ乘り替へん日光の           【日光】
線路これより分れたり
二十五マイル走りなば
一時半にて着くといふ

12.
日光見ずは結構と
いふなといひし諺も
おもひしらるる宮の樣
花か紅葉か金襴か

13.
東照宮の壯麗も
三代廟の高大も
みるまに一日日ぐらしの
陽明門は是かとよ

14.
瀧は華嚴の音たかく
百雷谷に吼え叫ぶ
裏見霧降とりどりに
雲よりおつる物すごさ

15.
又立ちかへる宇都宮       【宇都宮】
急げば早も西那須野        【西那須野】
ここよりゆけば鹽原の       【塩原】
温泉わづか五里あまり

16.
霰たばしる篠原と
うたひし跡の狩場の野
ただ見る薄女郎花
殺生石はいづかたぞ

~広大な扇状地・那須野原をゆく~ 東那須野ー二本松 

17.
東那須野の青嵐            【東那須野】        
ふくや黒磯黒田原           【黒磯】【】
ここは何くと白河の           【白河】
城の夕日は影赤し

18.
秋風吹くと詠じたる
關所の跡は此ところ
會津の兵を官軍の
討ちし維新の古戰場

19.
岩もる水の泉崎
矢吹須賀川冬の來て         【矢吹】【須賀川】        
むすぶ氷は郡山             【郡山】
近き湖水は猪苗代           【猪苗代】

20.
ここに起りて越後まで
つづく岩越線路あり
工事はいまだ半にて
今は若松會津まで                     【会津若松】

21.
日和田本宮二本松
安達が原の黒塚を
見にゆく人は下車せよと
案内記にもしるしたり

~上野から福島までトンネルわずか二つ~ 松川ー岩沼 

22.
松川すぎてトンネルを
いづれば來る福島の
町は縣廳所在の地
板倉氏の舊城下

23.
しのぶもじずり摺り出だす
石の名所も程近く
米澤ゆきの鐵道は
此町よりぞ分れたる

24.
長岡おりて飯坂の
湯治にまはる人もあり
越河こして白石は
はや陸前の國と聞く

25.
末は東の海に入る
阿武隈川も窓ちかく
盡きぬ唱歌の聲あげて
躍り來れるうれしさよ

26.
岩沼驛のにぎはひは
春と秋との馬の市
千里の道に鞭うちて
すすむは誰ぞ國のため

~絶景・松島は車窓から見えなかった~ 仙台ー新田 

27.
東北一の都會とて
其名しられし仙臺市
伊達政宗の築きたる
城に師團は置かれたり

28.
阿武隈川の埋木も
仙臺平の袴地も
皆この土地の産物ぞ
みてゆけここも一日は

29.
愛宕の山の木々青く
廣瀬の川の水白し
櫻が岡の公園は
花も若葉も月雪も

30.
多賀の碑ほどちかき
岩切おりて乘りかふる
汽車は鹽竈千賀の浦
いざ船よせよ松島に

31.
汽車に乘りても松島の
話かしまし鹿島臺
小牛田は神の宮ちかく
新田は沼のけしきよし

~霧ふかき好摩の原の停車場の‥‥~ 石越ー一ノ戸 

32.
水は川瀬の石こして
さきちる波の花泉
一の關より陸中と
きけば南部の舊領地

33.
阿部の貞任義家の
戰ありし衣川
金色堂を見る人は
ここにておりよ平泉

34.
すぎゆく驛は七つ八つ
山おもしろく野は廣し
北上川を右にして
つくは何くぞ盛岡市

35.
羽二重おりと鐵瓶は
市の産物と知られたり
岩手の山の峰よりも
南部の馬の名ぞ高き

36.
好摩川口沼宮内
中山小鳥谷一の戸と
すぎゆくままに變りゆく
土地の言葉もおもしろや

~延々25時間の旅の終着・青森~ 尻内ー青森 

37.
尻内こせば打ちむれて
遊ぶ野馬の古間木や
今日ぞ始めて陸奧の
海とは是かあの船は

38.
野邊地の灣の左手に
立てる岬は夏泊
とまらぬ汽車のすすみよく
八甲田山も迎へたり

39.
渚に近き湯野島を
見つつくぐれるトンネルの
先は野内か浦町か
浦のけしきの晴れやかさ

40.
勇む笛の音いそぐ人
汽車は着きけり青森に
むかしは陸路廿日道
今は鐵道一晝夜

41.
津輕の瀬戸を中にして
函館までは二十四里
ゆきかふ船の煙にも
國のさかえは知られけり

~岩沼から常磐線を南下~ 弘前ー原ノ町 

42.
汽車のりかへて弘前に
あそぶも旅の樂しみよ
店にならぶは津輕塗
空に立てるは津輕富士

43.
歸りは線路の道かへて
海際づたひ進まんと
仙臺すぎて馬市の
岩沼よりぞ分れゆく

44.
道は磐城をつらぬきて
常陸にかかる磐城線
ながめはてなき海原は
亞米利加までやつづくらん

45.
海にしばらく別れゆく
小田の緑の中村は
陶器産地と兼ねて聞く
相馬の町をひかへたり

46.
中村いでて打ちわたる
川は眞野川新田川
原の町より歩行して
妙見まうでや試みん

~列車の来ないホームにも満開の桜~ 浪江ー関本 

47.
浪江なみうつ稻の穗の
長塚すぎて豐なる
里の富岡木戸廣野
廣き海原みつつゆく

48.
しばしばくぐるトンネルを
出てはながむる浦の波
岩には休む鴎あり
沖には渡る白帆あり

49.
君が八千代の久の濱
木奴美が浦の波ちかく
をさまる國の平町
竝が岡のけしきよし

50.
綴湯本をあとにして
ゆくや泉の驛の傍
しるべの札の文字みれば
小名濱までは道一里

51.
道もせに散る花よりも
世に芳ばしき名を留めし
八幡太郎が歌のあと
勿來の關も見てゆかん

52.
關本おりて平潟の
港にやどる人もあり
岩の中道ふみわけて
磯うつ波も聞きがてら

~「開山以前」の日立は浜街道の助川の宿~ 磯原ー土浦 

53.
あひて別れて別れては
またあふ海と磯の松
磯原すぎて高萩に
假るや旅寢の高枕

54.
助川さして潮あびに
ゆけや下孫孫も子も
驛夫の聲におどろけば
いつしか水戸は來りたり

55.
三家の中に勤王の
その名知られし水戸の藩
わするな義公が撰びたる
大日本史のその功

56.
文武の道を弘めたる
弘道館の跡とへば
のこる千本の梅が香は
雪の下よりにほふなり

57.
つれだつ旅の友部より
わかるる道は小山線
石岡よりは歌によむ
志筑の田井も程ちかし

58.
間もなく來る土浦の
岸を浸せる水海は
霞が浦の名も廣く
汽船の笛の音たえず

~終点の田端でバックして上野へ~ 牛久ー上野 

59.
雲井の空に耳二つ
立てたる駒の如くにて
みゆる高嶺は男體と
女體そびゆる筑波山

60.
峰にのぼれば地圖一つ
ひろげし如く見えわたる
常陸の國のここかしこ
利根のながれの末までも

61.
松戸をおりて國府の臺
ゆけば一里に足らぬ道
眞間の手兒名が跡といふ
寺も入江ものこるなり

62.
車輪のめぐり速に
千住大橋右に見て
環の端の限りなく
ふたたびもどる田端驛

63.
むかしは鬼の住家とて
人のおそれし陸奧の
はてまでゆきて時の間に
かへる事こそめでたけれ

64.
いはへ人々鐵道の
ひらけし時に逢へる身を
上野の山もひびくまで
鐵道唱歌の聲立てて

 


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