デジカメを持って歩こう.

個人の 登山、トレッキング、散歩、海外旅行 の記録です。

 2012年9月 南米.ペルー周遊からブログ参加です

・中山道を歩く(7) ③<八幡宿>-<望月宿>バスターミナル

2016-10-25 00:00:59 | 中山道

中山道も<八幡宿>に入るとおよそ江戸から三分の一歩いたことになるとのことです。 ただ、この時点で<倉賀野宿>から<軽井沢宿>は歩いてなく中抜け状態なので、三分の一は未だです。

すきっ腹の足しにはならないけど宿の入口にある八幡神社で女性陣が持っていたお菓子を分けて食べます。(昔の人の気持ちが分かるようになってきた?)八幡神社正面にある「高良(こうら)社」は国の重文とか。八幡宿は本陣跡が一か所あるだけで昔の風情は殆んどありませんが、国道脇を通って百沢(ももさわ)集落に入ると短いですが格子戸の建物が残っています。集落のはずれに男女が酒を飲みかわす祝言道祖神があり微笑ましいです。 ここからは国道を横切ったり戻ったしてトンネル手前国道脇から右に狭い畑道に入ります。今の中山道は車が通れる様になっているのでもっと手前から分岐してます。   
望月宿>狭い畑道から車の通る中山道に出て坂を上ると「瓜生坂一里塚跡」です。ここは山道の中の土が高くなった場所で説明道標がないと気が付かないでしょう。峠の先から完全な山道を下り急な舗装道路になると長坂石碑群が現れ鹿曲(かくま)川に突き当たります。川を渡った対岸が望月宿です。鹿曲川は木々の緑と紅葉しかかった紅に映え非常に美しいです。 川を渡り緩やかな坂を上ると国道に出ると望月宿・バスターミナルです。    バスの出発時刻まで1時間程あるので食事をする場所を探しましたがなく、バスで佐久平駅へ着いてからになります。   
昼食を摂らずに歩きましたが見るものの多い充実した一日が終わりました。 歩数3万6千歩、16.2Kmでした。

次のルート:⑫望月宿~下諏訪宿      前のルート:⑧横川宿~軽井沢宿 

<八幡宿> … 木曽海道六捨九次之内・八幡[広重] 広重描く図は、宿場はずれの小川を描いている。八幡宿と次の百沢との間あたりであろうか。煙管をくわえ鍬を背に家路をめぎす百姓、籠いっぱいの刈草を背負った少年とすれちがい、こちらの岸に足をかける老人と天秤棒の荷を担ぐ男は手甲をつけており、旅の者とわかる。こうした細かい描写で人々の風俗の違いを描き分けているので、遠景にほどこした虹の横線によって表わした日暮れの暗示が生きている。

宿場の遺構は問屋をかねた脇本陣の一部が残るだけで、昔の面影 はほとんど残されていない。

八幡神社

            

本陣跡・表門                             / 百沢(ももさわ)集落…家紋入りの土蔵が点在

                

祝言道祖神           / 元禄の中仙道道標   / 山道の中山道

          

<望月宿> …  木曾海道六拾九次之内・望月[広重] 

古代の信濃官牧(御料牧場)の中心地で、満月の夜献上馬を天覧に供したことから、望月の地名が起こったという。

新望月宿入口             / むらおこし道祖神   / 瓜生坂一里塚    / 復活した草付き道中山道

            

鹿曲(かくま)川手前の長坂石仏群               / 鹿曲川が美しい

            

                   / 弁財天碑          / 長坂橋            / 馬頭観音

                

≪バス出発までの1時間、望月宿を散策≫

望月バスターミナル      / 旅篭山城屋           /歴史民俗資料館            / 大森本陣跡 

                 

井出野屋旅館                                / 佐久平駅

                           

=おわり=

次のルート:⑫望月宿~下諏訪宿       前のルート:⑧横川宿~軽井沢宿 


・中山道を歩く(7) ②<小田井宿>-<岩村田宿>-<塩名田宿>-<八幡宿>-<望月宿>バスターミナル

2016-10-24 23:59:59 | 中山道

【2日目】
2016年10月24日 中山道歩き7回目・2日目はしなの鉄道御代田駅裏にある宿からスタートです。昨日は山頂付近に雲がかかり全貌が見えなかった浅間山も良く見え、今日は朝からすっきりと晴れています。

旅館から中山道へ少し戻り、御代田駅表方から暫らく緩い下り坂を下っていけば  <小田井宿>に入ります。道が急に広がり東の枡形になります。古ぼけた出桁造りという縦格子の家が多くあり風情のある町並みです。道の片側には用水路があります。かつては道の中央にあったものが寄せられたとか。「寶殊院」というお寺の茅葺屋根の鐘楼は1779年建立とかで格式があります。問屋跡の建物も切妻造りの母屋が堂々として風情があります。宿を抜け国道沿いに「皎月原」という伝説の原っぱを覘き先に行きます。ちょっと休憩して休みたいのですがまだ9時過ぎ、コンビニはなくレストラン等も開いていません。途中の馬頭観音前にあった柿を失敬したけど渋柿でペッペッ。     
その先<岩村田宿>江戸口にあった「住吉神社」、樹齢四百年たち火災で空洞があっても立派に立っているケヤキに圧倒されます。 朝方少しあった浅間山の雲も取れすっきり見えます。  武田信玄が再興し、遺骨があるという「龍雲寺」、山門が見事です。「西念寺」は岩村田藩主内藤氏の菩提寺でこの寺も立派で風格もあります。 岩村田のはずれから田園地帯になり高い建物が減り右手に浅間山の山並み、左手に八ヶ岳連峰を常時見ながら歩きます。また、稲刈りの終わった田圃とたわわに実った林檎園が多くなり絵になります。この時点で正午ですが千曲川端の川魚料理で昼食を摂ることにして「諏訪神社」の境内で軽食を摂り先に行きます。   塩名田宿手前で道を間違え田圃の中を歩きましたが無事旧道に戻ります。   
塩名田宿>は千曲川手前から川端にかけてあり河岸段丘の上部に本陣、下部に200m程 旧宿の旅情を感じさせ静かな雰囲気の川原宿があります。  13時を過ぎましたが、川原宿にある昼食予定の川魚料理店は予約をしていないとダメという事で別の店を探します。 千曲川を渡る時、右手に浅間山、左手に八ヶ岳連峰がきれいに見えます。  千曲川渡り坂を上る途中の大日如来像と芭蕉句碑があります。 昼食の店を探したけれどある雰囲気はなくイラつく人も出てきましたが なだめつつ先に行きます。   
すぐに<八幡宿>に入ります。中山道も八幡宿に入るとおよそ江戸から三分の一歩いたことになるとのことです。

   =八幡宿以降の頁へJUMP

 <小田井宿> … 木曽海道六捨九次之内・小田井[広重] 広重は、広いススキの原を行き交う本堂造立の旗を手にした勧進僧と親子づれの巡礼を描いている。広重は物悲しい情緒あふれる風景を描く場合、いわは浮草のような生活を送る勧進僧・虚無僧・巡礼といった人々を画材の一つとして描き、そのムードを盛り上げることに努めている。この図でもそうした作画傾向をみせて成功している。この原に流れる流れは小田井宿で用水として用いられたもので、追分に近い前田原から引いたのだという。

小田井宿は飯盛女が少なく静かなことから隣宿の追分を避けて浅野宮や皇女和宮等女性が安心して宿泊したことで、「姫の宮」とも呼ばれた。本陣・問屋・旅篭など江戸時代からの建物がよく残る。

出発時に望む浅間山                        / 御代田駅にD51が!

               

寶殊院               / 茅葺の鐘楼            / 小田井宿

                

                                           / 下の問屋跡(尾台家)

                

「皎月原」

    

<岩村田宿> … 木曽道中・岩村田[英泉] 両側の商店街を押しつぶしてしまうように浅間山が見えるのに、英泉はそうした岩村田の風物を描かすに、盲人たちのけんかを描いている。杖を手に争う盲人たちの姿に犬もほえるのを忘れているような迫力のある描写である。人間を描かせては当代を代表する絵師であった英泉の作画力は感じられても、風景画として考えると味気ない作品である。

内藤氏の城下町で、善光寺道、甲州街道、上州下仁田道の分岐点にあたり、交通の要衝として発展した。城下町のためか旅籠は少なく、中山道では高崎宿とともに本陣・脇本陣がなかった。 

 

 

住吉神社 …岩村田宿 江戸口に位置する             / 樹齢四百年の欅…威厳がある

                              

            

龍雲寺

                

   

 西念寺                                                     / 念仏通り

            

 浅間連峰

                

                       

 

 

                                    / 荘山(かがりやま)稲荷社

            

百万編供養塔           / 諏訪神社 … 浅間山を見ながら軽く軽食

        

 のどかな田園風景の中にある集落 門構えの立派な古い家

            

石碑石塔群…浅間山山体崩壊時の岩屑の上

                

         

<塩名田宿> … 木曽海道六捨九次之内・塩なた[広重] 広重描く「塩なた」の図は、千曲川渡船場の風景をとらえている。菰(こも)や派手な布を身にまとい、茶屋で一服する仲間と合流しようとする船頭たちの姿に、寒さの早いこの地方の季節感がよく表現されている。そして三人連れの船頭の一人、手拭で頼かむりをし、手を後ろにくんだ男の表情に、世を達観したようなところがみえて面白い。対岸遠くにみえる山々は、中津橋から眺めた船山、鬼岩山の姿に似ている。 近景をあぎやかな色彩で彩り、遠景を墨の濃淡で処理する手法を、広重はこの「木曾街道」でしばしば用いている。この図もその手法が生きた図といえよう。

西側に千曲川の難所を控え、小諸道への分岐点でもあり、千曲川西岸一帯の米の集散地として賑わった。千曲川は洪水が度々あったので、徒歩渡し、橋渡し、船渡しの三様であったという。 

                                                    / 塩名田宿・問屋本陣

                

千曲川畔にある「川原宿」お滝通り       / 滝不動

                

                 / 川魚料理店「竹廻屋」…ここで遅い昼食のはずだったが予約がないと入れず

    

千曲川を渡る                                                  / 千曲川と浅間山    / 千曲川と八ヶ岳連峰    

                

    

大日如来像・芭蕉句碑‥「涼しさやすぐに野松の枝のなり」

    

   =八幡宿以降の頁へJUMP

八幡宿> 

 <望月宿

   =八幡宿以降の頁へJUMP


・中山道を歩く(7) ①軽井沢<軽井沢宿>-<沓掛宿>-<追分宿>-<小田井宿>

2016-10-23 23:59:59 | 中山道

2016年10月23日~24日 中山道歩き7回目は軽井沢駅<宿>から望月宿までを2日間かけて約30Km歩きます。7月、8月、9月と予定の日に雨で中止、4ケ月ぶりの中山道歩きです。参加者7名、秋の気候に浅間山山麓の高地を歩くため寒さ・暑さ、両方に対応した服装です。

【1日目】 
9時に軽井沢駅に到着。「軽井沢紅葉まつり」の真っ最中でたくさんの人が出ており、マラソン・ランナーが走る道を旧軽ロータリーに着き、<軽井沢宿>から中山道へ向かいます。調度紅葉真っ盛りの街路樹を見ながら中山道途中の雲場池に寄り道をし、紅く・黄色く色づいた紅葉と池を楽しみます。  
沓掛宿>に入ると石碑・道標等が出てきて旧街道らしくなります。調度昼食時になり途中にあった川魚料理屋で蕎麦とビールで腹を満たします。 「遠近宮(おちこちのみや)」という神社は落ち葉が神域に広がり京都のお寺の様な風情のあるもので好ましいです。
18号国道の標高1003m地点を過ぎ<追分宿>に入ると短いながらも宿のイメージと堀辰雄等の文人達のふるさとの雰囲気を残します。追分宿はずれ「分去れの碑」は良く見る絵ですが実物もその通り風情のあるものです。  この後、暫らくは史跡もなく昔は原野だったろう道を歩き、やっと
小田井宿>の入口にある御代田の一里塚に着きます。この塚は道から外れた畑の中にあり両塚とも残っています。片方は良く手入れをされて好ましい雰囲気です。    この一里塚からすぐの御代田駅、その裏の旅館に着き今日の街道歩き終了です。 歩数3万歩、13.8Kmでした。

 <軽井沢宿> … 広重/木曽海道六拾九次之内・軽井沢  浅間の山も、宿の家々も、そして森も墨色で彩られ、月光に照らされた畠の部分だけがやや明るい。その輸の中で燃える焚火。そしてまた街道のかたわらで勢いのよい炎をみせる焚火だけが動的なものを感じさせる。その焚火から煙草の火をつける旅人。馬子と馬上の客とが煙管の火をつけ合う。こうした人々の動きも、あたりの静寂さに押されて、ひっそりと行なわれているように感じる。焚火や小田原提燈の光に照らされた部分だけを鮮かな色彩で描く手法は、当時としては新しい表現であった。

中山道随一の難所碓氷峠を越え、信濃入りする最初の宿場で、足休みする旅人で繁昌した。その繁栄も天明三年(1783)の浅間山大噴火によって壊滅。その後も大火や大飢饉に襲われて衰退したが明治に入って日本有数の避暑地として知られるようになった。 

軽井沢駅             / 駅前通り          / 旧軽ロータリー 中山道合流    / 中山道の街並木紅葉

                

マラソンランナーを左手に見ながら歩く

                      / 雲場池(浅間山湧水堰止池)の紅葉   / ホテルの上に覗く「離山」浅間山の側火山     

              

 <沓掛宿> … 木曽街道・沓掛ノ駅 平塚原雨中之景[英泉]  英泉描くこの図は、前方にみえる川が湯川と思われ、右手の家並は沓掛の宿であろうから、古宿の坂の下か、湯川の旧道の坂あたりを構図したものといえよう。浅間の山から吹きつける強い雨と風に立木の葉は飛び散り、旅人の合羽の裾はあおられる。そして狩野派の粉本から抜け出したようなずんぐりした牛も、人々も頭を下げて風雨に耐える。山麓地方で体験する風雨の実感を巧みに描写している。

浅間三宿の一つで、草津道の入口にあたり、草津温泉へ向かう湯治客の往来で賑わった。しかし、天明三年の浅間大爆発で甚大な被害を受け、宿場の賑わいは停滞したが幕末にはやや持ち直した。

 沓掛宿碑            / 中軽井沢駅(旧沓掛駅)  / 男女双体道祖神       / 廿三夜供養塔       / ここで昼食を摂る

                

遠近宮‥在原業平「信濃なる浅間の嶽に立つ煙遠近人の見やとがめん」に因む 

                           

馬頭観音            / 草津道分去れ道標    / 標高1003m標識‥国道18号最高地点

        

 <追分宿> … 木曽街道・追分宿 浅間山眺望[英泉] 英泉描く追分宿は、そそり立つ浅間山の麓を巡って続く街道を三人がかりで荷を運ぶ人足、馬の背に荷を積み上げて行く馬子などの姿を前景に配し、泰然とした自然の大きさと労働する人間との対比とを巧みに融和させ、浅間の実感を強調した図となっている.

沓掛から一里半で追分宿に達する。このあたりの街道は、文政版『木曾路名所図会』に、「此の辺浅間の麓故、焼石焼砂多し」と記されているように、火山地帯独特の地質である。また追分宿は標高一千メートル、中山道宿駅中最も高地にある宿場だといわれる。そして中山道と北国街道(善光寺道)への分岐点にあたり、古代の官道時代から交通の要衝として発展した。 

追分一里塚                              / 浅間神社      /芭蕉句碑「吹き飛ばす石も浅間の野分かな」 /堀辰雄記念館 

                

青空文庫             / 旧本陣            / 高札場跡(復元)      / 諏訪神社    / 枡形跡に建つ枡形茶屋・つがる屋                   

                

分去れの碑‥北国街道と中山道の分岐

 <小田井宿> … 広重/木曽海道六捨九次之内・小田井 広重は、広いススキの原を行き交う本堂造立の旗を手にした勧進僧と親子づれの巡礼を描いている。広重は物悲しい情緒あふれる風景を描く場合、いわは浮草のような生活を送る勧進僧・虚無僧・巡礼といった人々を画材の一つとして描き、そのムードを盛り上げることに努めている。この図でもそうした作画傾向をみせて成功している。この原に流れる流れは小田井宿で用水として用いられたもので、追分に近い前田原から引いたのだという。

追分宿でわかれて、右が北国街道、左が中山道。左の道をとって一里半で小田井宿である。その途中の街道は『木曾路名所図会』にも「追分の駅まで家なし」と記されているが、今でもススキやカラマツ林などが日立つ、あまり人家をみないさぴしい所で、広重の描く図に近い。

 

 御代田の一里塚 … 畑の中に両塚が残る

            

 

 しなの鉄道「御代田駅」     / 宿の夕食です

    

2日目に続く


・那須)三本槍岳

2016-10-13 23:59:59 | 登山

2016年10月13日 W校友会クラブで那須・三本槍岳に行きました。 参加者は7名。前日は天気良かったのですが今日は生憎の曇り空で山の上は零度近くまで冷え込んでいるという情報です。

黒磯駅から予約してあったタクシーに乗りマウントジーンズ・ゴンドラ山頂駅から登山開始です。山頂駅展望台では茶臼岳・朝日岳が眼前に雄大です。登山道の砕石を金網で覆い滑り止めしている歩きずらい道を登ります。予想していた程は寒くないですが稜線で風が通る場所にくると風が冷たいです。登山道左右の尾根は笹原の緑の中に灌木の紅葉が美しいです。     全体的にそれ程急な登りのないコースを歩き山頂に着くと曇り空で展望は何もありません。風はそれ程ないのですが気温が低く非常に寒いです。持ってきた防寒具を全部着て昼食を摂り、早々に来た道を戻ります。   登りの時より雲が多くなり見晴しの悪くなった道をゴンドラ山頂駅に戻り今日の登山終了です。

タクシーから那須連峰         / 展望台から茶臼岳

                

朝日岳

            

緑のカーペットと紅葉

                

                                                                         /正面右手に覗いているピークが三本槍                                                          

        

雲の中の三本槍山頂

    

=おわり=

 


・戦場ヶ原

2016-10-11 21:07:51 | 登山

2016年10月11日 K校友会のクラブで日光・戦場ヶ原散策に行きました。 13名の参加です。 雲りかなという天気です。 戦場ヶ原を歩くのは2回目で2014年2月に雪原を歩きましたが小田代ケ原は初めてです。 

東武日光駅に集合、駅に降りると非常に寒く上着を羽織らないときつい感じで戦場ヶ原の寒さが気遣わられます。いろは坂はガスの中で回りは良く見えません。でも戦場ヶ原に着くと時々薄日が出てきて日光駅前程寒くありません。  低公害バスで小田代ケ原へ行き、散策開始です。バスを降りると眼の前の草原の彼方に1本の白樺の木「貴婦人」が見えます。ちょっと遠すぎて肉眼ではその美しさがわかりません。紅葉しかかった樹林帯の木道を歩き泉門池で昼食です。日光に繁げく通っている人の提案でガスバーナーを持って行きコーヒーを沸かして食後のコーヒーを楽しみます。   
当初の計画では竜頭の滝方面に行く予定でしたが、バスが混んで乗れない可能性があるという事で湯滝から湯ノ湖へ行く事にします。こちらの道は木道が少なくなって山道になります。足元に気を付けながら湯川沿いに湯滝に向かいます。湯滝では観光客がいて混雑しています。ここでバスで湯ノ湖へ向かう組と湯滝の横の山道を登り湯ノ湖を半周してバス停に行く組とに分かれます。  湯滝の横の山道は急登ですが短いので大したことありません。湯ノ湖畔に出て半周しますがこのルートを歩く人はあまりいません。滑らかなフラットな山道で自然が一杯の好ましいものです。湯ノ湖バス停に着き、先行しているメンバーと合流し今日の散策終了です。

小田代ケ原            / 貴婦人の白樺

        

                   / 男体山               / 紅葉しかかった樹林の中を行く

            

泉門池

                                

 

            

湯滝                                                   / 湯ノ湖

                            

 

         

=おわり=