2017年7月24日~25日 中山道歩き13回目は木曽路・奈良井宿から上松宿まで2日かけ約40Km歩きます。今回は街道歩きフルメンバーの予定が直前に2名減って7名の参加者です。
【1日目】
奈良井駅へ11時過ぎに到着。3回目の来訪で見慣れた<奈良井宿>を歩き、宿 南はずれの蕎麦屋で昼食。 お腹の準備もできた処で街道歩きスタート。 太平洋に注ぐ木曽川、日本海に注ぐ奈良井川(信濃川)の分水嶺となる<鳥居井峠>を登る。登り口に石畳道が残るが基本的に山道である。峠を越えると栃ノ木の大木が群落している場所があり壮観。 やがて<藪原宿>が見えてくる。こちら、峠下り側にも石畳道が復元整備されている。 藪原神社は立派な社を持つきれいな神社。暫時休憩。 お六櫛の主生産地ということだが店は数軒しか見られない。 <宮ノ越宿>へ入ると巴御前とか木曽義仲の名前が多く現れる。今日はJR宮ノ越駅から木曽福島駅まで電車で移動し、木曽福島の宿に泊まる。歩数2万9千歩、14.8Kmの歩きである。
次のルート:⑭上松宿~三留野宿 前のルート:⑫下諏訪宿~奈良井宿
<奈良井宿> … 英泉/岐阻街道・奈良井宿 名産店之図 奈良井宿の西はずれ、鳥居峠の登り口で、お六櫛を製造販売する家を主題とする。谷の奥に見えるのは木曽駒ヶ岳である。板葺石置屋根の石が落ちそうに見えるが、実際は緩勾配である。
街道筋には旅籠や茶屋が軒を連ね、裏通りは檜細工や漆器を製造する職人の町として栄えた奈良井宿。現在残つているのは天保8年の大火後の建築物だが、古い絵図を見ると基本的な町の構造がよく継承されていることがわかる。外観は保存して内部はアレンジ、自然な形で職住一体の暮らしが息づいている。南端に位置する鎮(しずめ)神社から散策すると、信州側には青々とした山並みが広がる。
奈良井駅スタート
水場 本陣跡 長泉寺:横から見る 枡形・鍵の手
中村邸:櫛問屋跡 昼食
高札場 宮の沢水場 鎮神社 奈良井宿を振り返る
鳥居峠へ:石畳道 鳥居峠
トチノキ群 子産の栃~実を煎じて飲むと子宝に恵まれる
<藪原宿> … 英泉/木曾街道・藪原 鳥居峠硯ノ清水 奈良井と藪原の間には鳥居峠がそそり立つ。かなり大きい右の鳥居が峠の上に残っている。この頂上にはまた「雲雀よりうへにやすらふ峠かな」の芭蕉の句碑がある。 英泉の描く図で左隅に描かれているのがそれである。その前の松樹の下の泉は、木曾義仲が願文を書いたという硯清水だという。はるかにみえる山は、木曾御岳である。いこう旅人の後ろの、たき木を背負い、かるさんをはいた女たちは、小木曾女とこのあたりで呼ぶ女性たちだそうである。
お六櫛の産地として栄えた藪原は飛騨街道追分の宿 薮原宿は難所の鳥居峠を控えて多くの旅人が草鞋を脱いだ宿場町であり、野麦峠へと続く飛騨街道との分岐点でもあった。本陣跡や高札場跡の標識が立てられているものの、今は宿場町としての賑わいはない。しかし、街道筋には伝統の特産品であるお六櫛の看板を掲げる店や飛騨の工女たちが泊まった旅籠の建物があり、郷愁を誘う。 宿場の中心には櫛を祀る薮原神社がある。
峠先の御嶽神社:江戸から最初に御嶽山を見れる(石造鳥居や霊神碑・石像が40基林立)
丸山公園・鳥居峠の戦の古戦場:芭蕉句碑 藪原宿を見下ろす 石畳道
天降社:村内唯一の大モミジ 原町清水 尾州御鷹匠役所跡
藪原神社
湯川酒造 お六櫛屋 高札場跡 藪原一里塚碑 D51:かつて中央線を走る
<宮ノ越宿> … 広重/木曾海道六十九次之内・宮ノ越 「木曾街道六十九次」七十図中、「長久保」、「洗馬」とともに三役物とされるのが、この「宮ノ越」である。この図は、この一シリーズの名作というだけでなく、広重の代表作の一つとして紹介されている。
広重描くこの図はどこを描いたものであろう。広重は、前景だけに描線を用い、中景、遠景を色面構成で描く画期的手法を用いて、山国独特の霧の深い様子を巧みに表現している。 橋を渡る家族を近景に、中景は輪郭線のないシルエットで霧を表現している。 川は木曽川、橋は引塚大橋(現葵橋)で遠景右は宮ノ越宿へ続く。
中山道中間点に最も近い宿。木曽山脈と木曽川が並行する縦谷のため、平野の少ない木曽では珍しく広い平野の中にある。木曽義仲を育み、史跡や伝承が多い。
宿入口:「巴が淵」…木曽義仲の愛妾・巴御前の名にちなむ
宮ノ越駅前 駅 木曽福島駅 夕食
【2日目】 に続く ……
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