デジカメを持って歩こう.

個人の 登山、トレッキング、散歩、海外旅行 の記録です。

 2012年9月 南米.ペルー周遊からブログ参加です

・中山道を歩く(22)③京都

2018-09-28 23:59:59 | 中山道

2018年9月28日

前のルート:㉑武佐宿~草津宿・瀬田の唐橋

         1日目:比叡山観光、2日目:街道歩き、3日目:京都観光

 【3日目】   … 京都観光 …

 今日は朝からすっきり晴れ、暑くなりそう。元京都在住のメンバーの案内で<中山道歩きの最後>を締める<京都観光>を行う。
 メジャーな観光地ではなく観光客が少ない穴場的な場所を案内してくれると!

「知恩院」/「青蓮院」/「金戒光明寺」/「京都大学※」/「相国寺」/「京都御所」 … ※学食で昼食  を観光する。好天でも午前中は良かったが京都大学で昼食を摂った後、非常に暑くなる。
今回最後の観光地「京都御所」、緑がなく残暑厳しい中、玉砂利の上を歩かなければならず汗だくになり、皆ばて気味になる。  時間も早くもう一か所他の場所に行こうという意見もあったが「京都御所」で打ち上げとする。


 ※気心の知れた仲間・9人での<中山道歩き>※
 ◆途中足裏が痛く泣き言をいう人が出た岐阜への道、◆残雪のため何回か順延した和田峠越え、◆昼食抜きで歩き機嫌の悪くなった人が出た佐久平の道 塩名田宿、◆雨の中 側を走るトラックに怖い思いをした国道歩きのうとう峠、◆突然の夕立に靴の中までずぶ濡れになった草津宿、

 つらい想い出だけではない。
 ◆素晴らしい紅葉の中を歩いた碓氷峠越え、◆右手に浅間山 左手に八ヶ岳を見ながら林檎畑の中の街道を歩いた佐久平と千曲川の清々しい流れ、◆江戸時代から続く旅篭の2階に泊まり動くと建物全体が揺れた想い出の細久手宿、◆犬山城・関ヶ原古戦場・彦根城・安土城址・近江八幡の街並 等往古に思いに馳せる、 
歩くことでなければ味わえない貴重な素晴らしい体験であった。


  三条大橋から鴨川

     

≪知恩院≫

                    

 

                    

 

                    

≪青蓮院門跡 しょうれんいんもんせき≫ …別名「栗田御所」と呼ばれ、平安時代から皇族や摂家が住職を務めた

                    

現代の壁画絵師が描いた青の幻想・生命賛歌・極楽浄土の三種の蓮の襖絵がある

 

               

≪平安神宮の前、横にそれる≫

               

≪金戒光明院≫

                    

≪京都大学≫                                      ≪相国寺≫

                            

≪京都御所≫

                    

 

                    

          

=おわり=

1日目:比叡山観光、2日目:街道歩き、3日目:京都観光

 


・中山道を歩く(22)②瀬田の唐橋~京都・三条大橋【完】

2018-09-27 23:59:59 | 中山道

2018年9月27日

前のルート:佐宿~草津宿・瀬田の唐橋

         1日目:比叡山観光、2日目:街道歩き、3日目:京都観光

 【2日目】 … 草津宿・瀬田の唐橋ー京都・三条大橋 …

 今日は曇り空、すっきりしない天気。 朝 8時前に空身で「瀬田の唐橋」を見に行く。前回は大雨の中でゆっくりと見る事が出来なかったので周囲を観光しながら橋を渡り<草津宿>側へ。木製の橋ではないがくすんだ橙の欄干で天下の橋という風情を醸し出す。前回 雨宿りと昼食を摂ったうなぎ料亭を懐かしく確認し宿へ戻る。
 ザックを持って街道歩き開始。  <大津宿>東海道53番目、中山道で通算すれば69番目の宿場。    くねくねと曲がり分かりずらい道を行くと「膳所ぜぜ城勢田口総門跡」、ここから城下に入り街道沿いに古い民家が散見できる様になる。
 今回初めて知ったが膳所城という水城が琵琶湖畔にあり、湖面に天守閣が映え美しいものだったとのこと。<水に映るは膳所の城>だが、城跡は膳所公園になっており想像するだけである。  
 この辺り歴史的見どころが多く、石田三成が捕らわれ繋がれた大銀杏の木が残る和田神社や木曽義仲と芭蕉が眠る「義仲ぎちゅう寺」等がある。歴史の教科書で習った「大津事件」の碑もある。大津宿中心部分は現代建物が多く賑やかになる。
  左折し東京では珍しい路面電車が走る坂道を上ると聞いたことのある「蝉丸神社」、さらに切通し道になった国道1号線を行くと「逢坂の関」。ここは歌枕の地、百人一首逢坂の3歌碑がたっている。    大津市内で予定の昼食場がなく、逢坂の関先の峠の茶屋でまたしても<うなぎで昼食>である。

京へ向かう山科の町並みを歩き「天智天皇陵」先で脇道に入り坂を上る。都会の近くでありながら落ち着いた集落になっている。  県道に出て間もなく蹴上交差点。すぐ近くの「南禅寺」に寄ることにする。 この頃から黒い雲が空を覆い雲行きが怪しくなり、インクラインを見ている時に大粒の雨が降り出す。  天は中山道歩きはそう簡単に終わらせてくれない様だ。   南禅寺は傘をさし完全装備で観光。外国人を含め大勢の観光客で賑わっている。寺裏にある琵琶湖疏水路を見てから街道歩き・三条大橋へ向かう。この頃には雨も止み、大きな建物が多く人が賑わってきた広いなだらかな坂を下ると間もな三条大橋に着く。   写真で見ていた「高山彦九郎像」を見、いよいよ「三条大橋」を渡る。

  ついに、江戸日本橋から百三十五里余の旅が終わった。2年半、都合22回、542Kmを完歩した。 
  鴨川の河原に降り、缶ビールで乾杯。 皆で河原に座り、暫時中山道完歩の達成感・余韻に浸る。 

  中山道歩き最終日 歩数3万4千歩、17.2 Kmの歩きである。

 
  宿にザックを置いてから、今日は若干豪華な居酒屋で夕食。      夕食後、京都に住んでいたことのあるメンバーの案内で八坂神社、先斗町を散策する。

 <大津宿> … 70 広重/木曾海道六拾九次之内・大津   江戸を出立して132里22町の長い道程の中山道、木曾街道は、大津宿で終わる。
図は大津宿の旅籠が軒を連ねるあたりを描く。そして旅籠の目じるしとなった長い竿の先のマークに右側では「金」「ヒ口」「重」、左側には版元伊勢利の版元印を、そして「大吉」など。この「木曾街道六拾九次」の版行に関係した絵師広重、版元伊勢利などをもじったマークを示し、さらに掛行燈(かけあんどん)の「金」「いせり」「大當」、そして壁に「全」のマークは、このシリーズ版行に要した長い歳月、版元の交代など、いろいろの困難を乗り越えて完結した喜びを表わしている。
 広重はここでも両側の家並をほぽ均等な遠近描写とし、二台の牛車の描写で図に奥行を与えている。そして中央奥にひろがる琵琶湖の描写はやや俯瞰的な描写となっているが、湖水の広さを表現しようとする苦心の構図といえよう。

中山道69番目の宿場町は、琵琶湖の舟運の港町としても栄えた。 牛車が通る街道は電車通りとなり、ビルが建ち、今は琵琶湖が見えなくなった。

瀬田の唐橋                                                      山崎茶酔句碑        前回の雨宿り場・うなぎ料亭

                    

瀬田の唐橋 … 唐風の古風な擬宝珠は歴代受け継がれ、日本三古橋とされる 「唐橋を制する者は天下を制す」と言われた

山崎茶酔句碑 「松風の 帆にとどかず 夕霞」

石山駅                   膳所城勢多口総門跡碑       地蔵祠                若宮八幡神社

                    

若宮八幡神社・表門 … 表門は膳所城の犬走り門を移築したもの

京阪石山線・瓦ケ浜駅                           左右にばったん床机    晴好雨苛亭址碑‥        

               

膳所城跡公園                                    膳所城祉碑        膳所城は琵琶湖に面した水城

               

膳所城は琵琶湖に面した水城、左手に近江大橋

膳所神社                                                            石坐神社 … 天智天皇、伊賀采女、大友皇子を祀る

                                 

膳所神社 … 表門(国重文)は膳所城大手門を移築

和田神社                                     捕らわれた石田三成が繋がれた銀杏の木                              膳所城北総門跡碑                         

                            

和田神社  捕らわれた石田三成が京都に送られる途中、繋がれたという大銀杏の木(樹齢6百年) …今年の台風で葉が落ち、みすぼらしい

石坐いわい神社 … 父 天智天皇、母 伊賀采女、子 大友皇子を祀る

義仲寺 … 義仲の愛妾巴御前が建てた草庵が開基とされ、義仲の墓・巴地蔵堂などがある        翁堂          天井絵・伊藤若冲筆

                         

義仲公墓 … 

芭蕉翁墓 … 芭蕉の遺言<骸は木曽塚に送るべし>により義仲の隣に葬られた     「木曽殿と背中合わせの寒さかな」(又玄)

                                                            大津事件碑(露国皇太子遭難之地)  

                     

大津本陣跡碑                  京阪京津線            関蝉丸神社・下社             

                    

関蝉丸神社・下社 … 蝉丸は平安前期 百人一首にも歌を残す歌人。盲人で琵琶の名手であった。

蝉丸  「これやこの ゆくもかえるも 別れては しるもしらぬも あふ(逢)坂の関」 … 祭神の蝉丸は 生没年・出自は不詳

逢坂の駒迎え 「逢坂の関の清水に影見えて いまや牽くらむ望月の駒」:紀貫之

逢坂 …                      蝉丸神社・上社       畿内と東国の国境逢坂の切通し               逢坂山関跡碑

                    

逢坂 …(百人一首より)「夜をこめて鳥の空音ははかるとも よに逢坂の関は許さじ」清少納言 

逢坂の関 … 平安遷都後に天下三関<不破の関、鈴鹿の関、逢坂の関>のひとつになる

 

 

 

 追分道標                        車石                              六地蔵(四宮地蔵)     諸羽神社鳥居

                    

 閑栖寺の車石 … 牛車専用道路として車の轍を刻んだ花崗岩の石を敷き並べた

五条別れ道標                      天智天皇山科陵                     水芙蓉の寺            車石広場 

                    

「左ハ五条橋 右ハ三条通」

南禅寺・ねじりマンボ               蹴上交差点          琵琶湖インクライン(傾斜鉄道)

          

復元された琵琶湖インクライン ~ 黒い雲が空を覆い今にも雨が降り出しそう

南禅寺                                          法堂          琵琶湖疏水・水路閣(水道橋)

                    

法堂

我が国初の水力発電所         坂本竜馬・お竜 結婚式場                         高山彦九郎正之像

                    

勤王の志士彦九郎が京都御所に向かって遥拝する像

  <三条大橋> … 71 広重/三条大橋   英泉・広重合作の「木曾街道六拾九次」は、江戸を起点として、草津追分で東海道と合流する地点で終わり、さらに大津を加えて、七十図で完結している。
 ここに単色図版として取り上げた『岐蘇名所図会』は、京の三条大橋を出発点とした梅屋鶴子、檜園梅明撰の中本仕立三冊の狂歌本である。その二編には嘉永四年(一八五一)、三編には嘉永五年(一八五二)のそれぞれ奥付がつけられている。そして淡彩摺三十二丁の挿絵はすべて広重が担当し、彼の狂歌絵本の代表作の一つとされる。
 図はその最初の挿絵である。ここで興味をそそられるのは、図中の三条大橋上を行き交う茶筅売り、日傘の女たち、被衣(かづき)の上臈(じょうろう)などは、すべて広重の保永堂版「東海道五拾三次」の「京師」の図に登場する風俗で、広重の考える京風俗の代表的なイメージであったのであろう。

平安京の三条大路が鴨川を渡る位置にあり、中山道・東海道の終点。木造欄干を擬宝珠で飾り、千年の都を実感させる。江戸時代は石柱だった橋脚は、コンクリート主体に変わる。

京都・三条大橋                                  弥次喜多の像                         世界の京都・外人が多い

                    

三条大橋 … 豊臣秀吉の命により小田原攻めの出陣に合わせ、木橋を石柱の橋脚に変えた 欄干擬宝珠に銘を刻んだ

弥次喜多の像

白川 … 白川砂が堆積する                              若干豪華に見える夕食 

                            

八坂神社                                         先斗町      

               

八坂神社 月をバックに

3日目(京都観光)へ続く

1日目:比叡山観光、2日目:街道歩き、3日目:京都観光


・中山道を歩く(22)①比叡山延暦寺

2018-09-26 23:59:59 | 中山道

2018年9月26日~28日   中山道歩き<最終回>22回目、瀬田の唐橋から京都・三条大橋まで最後の街道歩き、約17Km歩きます。フルメンバー9名の参加、フルメンバーになったのは2回目です。  
  今回は1日目は比叡山観光、2日目がフルの街道歩き、3日目は京都観光です。

  前のルート:㉑武佐宿~草津宿・瀬田の唐橋  

近江路(琵琶湖周辺)Map

 

  【1日目】 … 比叡山・延暦寺観光 …

  新幹線・京都駅から東へ戻り、湖西線比叡山坂本駅へ。バス・ケーブルカーと乗り継ぎ比叡山延暦寺へ着く。  曇り空の1日。  ケーブル到着駅前広場から琵琶湖の北方向・琵琶湖大橋や伊吹山が良く見える。スッキリした青空でないのが残念。
  延暦寺は東塔エリア、西塔エリア、横川エリアと3つに分かれており、そこそこに離れた場所にある。最初に<東塔エリア>に入り国宝の「根本中道」に行くが改修中で外側を鉄骨に覆われている。特設設備で屋根等を間近に見る事が出来たが外観は見えず荘厳さは窺い知れない。その後、「文殊楼」 「大黒堂」 鐘楼のある「大講堂」 「戒壇院」 東塔のある「法華総寺院」 を見る。それぞれが重文、荘厳・雄大な建物、このエリアの名前になった法華総寺院東塔の壮麗な二重の塔 など見ごたえのある建物群である。   
  東塔エリアから歩いて20分程の場所にある<西塔エリア>へ向かう。こちらへ歩いていく人は少ない様で我らだけになる。途中、「浄土院(伝教大師御廟」という寺があり寂びた雰囲気の落ち着いていて好ましい。ここで『源氏香』というものではないかと思う卍型みたいな香をみた。  この先、「椿堂」 「にない堂」 「釈迦堂」を見る。 「釈迦堂」は重文、エリアの中心になると思われ堂々とした雄大・重厚な建物。   <横川エリア>はバス10分という事でカット。
  西塔エリアまでで延暦寺観光は中止、バスでケーブル駅に戻る。バスを待つ間に大雨が降り出し良いタイミングで中止したことになる。後は宿に向かうのみ。

ケーブル坂本駅                   ケーブル延暦寺駅前からの展望             朱色の東塔を見上げながら延暦寺入口へ

                    

ケーブル延暦寺駅前から琵琶湖・湖北を望む (真ん中高い山:伊吹山   その下の橋:琵琶湖大橋)

≪東塔エリア≫
根本中堂入口                  大黒堂             大黒堂前 広場            改修中の根本中堂  

                    

 

根本中堂<改修中>:国宝 …

文殊楼                     大講堂へ向かう         鐘楼                 大講堂:重文

                    

文殊楼(文殊菩薩) … 

鐘楼

大講堂(大日如来) … 

戒壇院

法華総持院への階段             全景                東塔               阿弥陀堂             東塔

                    

阿弥陀堂 と 東塔  … 全景

阿弥陀堂(阿弥陀如来) … 

東塔 … 

≪西塔エリア≫
山王院                                                                              椿堂

                                              

浄土院(伝教大師御廟)                                                                    源氏香?  

                    

浄土院(伝教大師御廟) … 

にない堂 … 常行堂・法華堂

                    

常行堂

釈迦堂:重文 … 

                        

釈迦堂:重文 … 

  =2日目(街道歩き)へ続く

1日目:比叡山観光、2日目:街道歩き、3日目:京都観光

 


・極地研究所・昭和記念公園

2018-09-18 23:56:07 | 旅行

2018年9月18日 W校友会クラブで立川にある国立極地研究所と昭和記念公園に行きました。両者とも初めて行く場所でどの様な所か興味深いです。22名の参加、秋雨前線の影響で雨空が続く中、束の間の晴れです。

 JR立川駅からバスで極地研究所へ。中では南極・北極のジオラマや自然、生物、岩石・隕石の説明資料があり現物を見る事も出来る。只、全体としてこじんまりしておりちょっと拍子抜けであった。もう少し広い場所でたくさんのものが展示されていれば見学者も多くなるのではと思った。
  バスで立川駅に戻り昼食後、昭和記念公園へ。この公園、名称は聞いていて広く素晴らしいとの事たが行ったことなかった。JR駅を降りると眼の前が入場口である。入口でボランティアに合流、園内を説明して貰いながら散策。池畔を歩き、咲き始めた彼岸花を愛でながら大きな原っぱへ。午後の陽射しが暑い。原っぱ真ん中にある大欅の前で集合写真。 原っぱを横切るとキバナコスモスの群落地が、壮観である。  日本庭園の池を一周して元の入口へ戻る。 

極地研究所前                 南極で活躍した雪上車 

     

昭和記念公園                      彼岸花                            大欅                                                

               

 

大欅

キバナコスモス                                                   日本庭園              ムラサキシキブ

                    

オニグルミの実                                     羽毛ケイトウとパンパスグラス  

                            

手前:羽毛ケイトウ   後ろ:パンパスグラス(和名:シロガネヨシ)

 =おわり=


・大國魂神社・甲府城址

2018-09-10 23:59:59 | 城めぐり

2018年9月10日 各駅停車・日帰りで甲府城祉を見学、途中下車して大國魂神社にも寄りました。  天候は午前中曇り、午後は雨の予報です。 甲府城址は2007年8月、2015年5月・甲州街道歩きの途中でも行ってます。

甲府城観光。 JR中央線の車窓から見える「稲荷櫓」の石垣下を歩き、脇の坂道を上って本丸へ。天守閣がないのでこの「稲荷櫓」が一番見栄えがある。  本丸広場内を暫し散策し、天守台へ上る。曇り空で生憎 富士山・南アの山々は見えず手近の壁の様な山が望める。  本丸にある明治天皇臨幸記念碑の石塔を見、復元された鉄門へ下る。さらに内松陰門を潜って甲府城見学終了。結構広い本丸だが建物があまりないので印象が薄い。終盤に雨がポツリポツリと降り出し駅へ戻る。
 帰りは身延線・富士経由で戻る。単線電車、各停で3時間、富士駅に着く。学校の終了時間と重なり学生が入れ替わり乗ってくる。外は本降りの雨、途中下車せずにそのまま帰宅する。

<大國魂神社> by Wikipedia
大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)は、武蔵国の総社。東京五社の一社。また、武蔵国の一之宮(一宮)から六之宮までを合わせ祀るため、「六所宮」とも呼ばれる。例大祭は、武蔵国の国府祭を起源とする「くらやみ祭」である。

 大鳥居                     隋神門                               中雀門               拝殿

                    

中雀門

拝殿

<甲府・舞鶴城址> by Wikipedia
甲府盆地北部、現在の甲府市中心街の一条小山に築城された中世から近世にかけての平山城である。
甲斐国では戦国期から甲府が政治的中心地となり、躑躅ヶ崎館(武田氏居館)を中心とする武田城下町が造成されたが、武田氏滅亡後に甲斐を領した徳川氏や豊臣系大名が甲斐を支配し、甲府城を築城して新たに甲府城下町が整備された。豊臣政権では徳川家康を牽制する要所、江戸時代では将軍家に最も近い親藩(甲府藩)の城となった。天守台はあるが天守が建てられていたかは不明である。江戸時代には初期の幕府直轄領時代から甲府藩時代、享保年間に再び直轄領とされた甲府勤番時代を通じて統治の拠点となる。

 

甲府駅前・信玄公像                               稲荷曲輪への入口         稲荷櫓を見上げる

                                 

稲荷櫓

稲荷櫓への坂                                                       天守台を望む

                                 

稲荷曲輪門 横から天守台を望む

天守台上からの展望

                    

 

本丸広場                     本丸から天守台                           内松陰門への道

                            

 

本丸広場

鉄門                                       天守曲輪下の石垣             

          

鉄門 

 

二の丸から武道館               内松陰門             

           

二の丸から武道館 

内松陰門

=おわり=


・掛川城址・駿府城跡

2018-09-03 23:59:59 | 城めぐり

2018年9月3日 静岡・掛川城祉 と駿府城跡観光に行きました。各駅停車・日帰りの旅です。  天候は晴れ、昨日は雨、明日は台風が来るかもという束の間の晴天を狙っての城めぐりです。

掛川城祉
新幹線も止まる駅・東海道本線 掛川に降りると途中の駅と違い開けた感じ。  駅の案内書でガイドmapを貰い、ついでにこの辺りの名産品を聞くが要領を得ない。  Mapを見、北口から天守閣が見える西側の通りを歩く。天守閣は小ぶりだが雲が流れた青空に映え、立派である。   城の下に着き、手前のお堀の道を通り正面入り口へ。今は広場となっている三の丸向かいの本丸に通じる四足門をくぐり本丸広場から天守閣へ向かう。   

掛川城は山内一豊が改築、天守閣を備えた近代城郭になったと。現在の天守は平成六年に木造で復原されたもの。   
天守丸への階段は細く、急、曲がった階段、それに沿って白亜の壁があり防御を考えたものとはいえ天守閣と共に青空に映え美しい。   天守閣からは周りを低い山に囲まれた掛川市を見渡せ、ここが要衝の地であることが分かる。 

天守閣の真下に見えた二の丸御殿を見学。ここは京都二条城と同じ、江戸時代の建物として現存しているものだと。書院造の建物、玄関先から藩主の空間や藩庁、私的広間、等々たくさんの部屋がある。 御殿前の庭から見上げる天守閣が美しい。

掛川駅                        通りから天守閣を望む                                地名・掛川の由来

                

太鼓櫓(中央) と 天守閣(右)

三日月堀                        四足門と天守閣                  本丸広場          

                

広場から天守閣              太鼓櫓   

    

天守閣に昇る

                

≪天守閣からの展望≫
        四足門と太鼓櫓方面                                     御殿を見下ろす

                

 

                

萩と天守閣 

                

現存・二の丸御殿から天守閣を見上げる                                                 御殿から太鼓櫓

                

御殿前から天守閣を見上げる

 御殿から三日月堀を挟んで太鼓櫓

 御殿内部

        

三日月堀と太鼓櫓           三日月堀と天守閣                                         掛川駅 新幹線側

                                          


駿府城跡
静岡駅まで各駅停車で戻る。  駅の案内書でガイドMapを貰う。地下道からのルートを地上に出る場所も含め丁寧に教えてくれる。   

徳川家康の隠居城として元の城を拡張改修を行ったという広大な敷地、今は駿府城公園となり何も残ってない。ただ巽櫓と二の丸御門、坤櫓が復元されているのみ。        現在天守台あたりを発掘調査しており工事現場の様な場所にブルーシートがかかっているのみ。

静岡駅                      駿府城跡        復元・巽櫓と中堀           東御門

                

駿府城公園の内堀                              家康公像           天守台発掘現場        坤櫓(ひつじさるやぐら)

                

坤櫓前から富士山                              再び巽櫓                             帰りの車窓から

                             

=おわり=