【2日目】
前夜、川の音がうるさかったが宿の人が濡れ縁の板引き戸を閉めると、静かに。 その引き戸を開ける音、そして明るくなり目が覚める。 快晴の<妻籠宿>大妻籠の朝を迎え出発する。今日は昨日より晴れる予報である。 宿から出て程なく山間の石畳道を歩きそして中山道をそれる。 鬱蒼と木々が茂る中の男滝・女滝を見る。最近の雨続きで両滝とも水量豊富、豪快である。 滝脇の道を車道へ、中山道に戻り馬籠峠に向かう。 山の開けた所にある外観が美しい一石栃(いっこくとち)の立場茶屋で休憩。
ほどなく馬籠峠に着き車道と合流。 景観が一変し先に美濃の平野が望め、狭い木曽谷とはうって変って明るく伸びやかな斜面が前景となり木曽をようやく抜けるのだという感慨がおこる。 旧道から江戸時代の建築遺構民家が残っているという集落を抜けると恵那山が良く見える「馬籠上陣馬跡」の公園に出る。 <馬籠宿>は高札場すぐ、石畳の下り坂、両脇に軒を重ねる町並みが始まる。木曽五木の実物を見、島崎本陣跡・藤村記念館に入り藤村の『夜明け前』原稿や初版本を見る。 水車小屋手前の店で昼食後、馬籠宿を離れ中津川方面の展望が開けた場所に「子規句碑」、新茶屋一里塚に着くと「芭蕉句碑」や「北木曽路碑」<是より北木曽路>がある。
一部江戸時代の石畳が残る歩きずらい「落合の石畳」十曲峠を下る。平坦になり落合川を渡ると<落合宿>、宿場風情は少なく常夜灯と本陣跡が残る静かな街並みである。宿を出ると中山道は国道に分断され、急な上り下り坂のある道を歩く。
街道歩き終盤、疲れた脚を鼓舞、やっと<中津川宿>に入り中津川駅・終着である 。 歩数2万7千歩、13.8Kmの歩き。
次のルート:⑯中津川宿~大鍬宿 前のルート:⑭上松宿~三留野宿
大妻籠・宿を起つ 倉科祖霊社
男滝・女滝:吉川英治「宮本武蔵」で武蔵とお通ロマンスの場所 マムシグサの実
神居木(かもいぎ):樹齢三百年サワラの大樹 一石栃立場茶屋跡
<馬籠宿> … 無款(英泉)/木曾街道・馬籠駅 峠ヨリ遠望之図 英泉描く図は、『木曾路名所図会』に、「十曲嶺・落合と馬籠の間にあり、里人は十石峠と云う。十曲とは坂路九折多ければ名に呼ぶ」とあるあたりを描いたものである。山の陰に落ちる滝は男滝、女滝であろう。遠景の処理に広重調があって面白い。
木曽11宿南端の宿は木曽谷から離れ、美濃国が見渡せる位置にある。長野県馬籠宿はH17年、全国唯一の越県合併で岐阜県となった。 標高約600mの高地にある宿は山の斜面に石垣を築いて建てられ、石畳の坂道に沿って広がっている。妻籠宿の様な古い建物は残っていないが、島崎藤村の出身地で、『夜明け前』の舞台ともなっていることから中山道を代表する観光地となっている。
馬籠峠:801m 正岡子規句碑:白雲や青葉若葉の十三里
妻籠宿と馬籠宿の中間の間の宿
美濃の平野:空が広い 十辺舎一句狂歌碑 秋空 恵那山遠望
陣馬坂
馬籠宿・復元 高札場 中山道馬籠宿碑
木曽の五木:ひのき、さわら、こうやまき、あすなろ、ねずこ
島崎本陣跡・藤村記念館(中庭)
水車が回る車屋坂 枡形
諏訪神社 正岡子規:
中津川を眼下に見る 芭蕉句碑: 北木曽路碑:
中津川を眼下に望み、信州サンセット百選の一つ
北木曽路碑:島崎藤村揮毫「是より北木曽路」
<落合宿> … 広重/木曾海道六拾九次之内・落合 広重の描いた「落合」の図は、現在の国道十九号線と旧中山道とが交差したあたりの風景に近い。長かった木曾の険路の旅を終えて坂を下ってくる大名行列も間延びして長い列となっている。それにしても、前の「馬籠」の図では、遠景の処理に広重風がみえるのに対して、この落合の図は、連なる丘の描写、そして凹凸を表現するための茶の陰影の描写法などは、広重の画法というより英泉の作風に近く、スケッチを基とした作画であるためともいえようが、興味深い図である。
「木曽路を出てここに出れば、まず我家に帰り着きたる心持する」貝原益軒はこう表現した。空が急に広く感じられる。 南北に2つの枡形、宿場用水も寄せられ残る。宿内には加賀藩から贈られたと伝わる門構え、上段の間など、旧態をよく留めた本陣跡が現存している。
新茶屋の一里塚 信濃・美濃 国境 新茶屋の一里塚碑 十曲峠の石畳 へび
「信濃美濃国国境」碑~(県境を信濃→長野県、美濃→岐阜県としたいが馬籠宿の村が岐阜県中津川市に合併されてる)
十曲(じっきょく)峠の3ケ所に江戸時代の石畳71mが残っており、昭和63年以降に840m復元。さらに120mを石畳に変えた
医王寺 芭蕉句碑 落合川
医王寺・山中薬師:虫封じの薬師 芭蕉句碑~「梅が香に のっと日の出る 山路かな」
落合宿・下の枡形 脇本陣跡 井口本陣跡
卯建のある家 助け合い大釜 善昌寺「門冠の松」
与坂立場跡 子野の一里塚
御嶽神社
<中津川宿> … 広重/木曾海道六拾九次之内・中津川 この「中津川」の図には、俗に「雨の中津川」と愛称される図と「晴れの中津川」とする図の二種類ある。
前者の「雨の中津川」と称される作品は、稀少価値という点から、また広重の傑作が多いという雨の景であることから、この「木曾街道六拾九次」中、五指にはいる傑作とされる。
それに対して、「異版」とされる図は、凡々とした草原の中を蛇行する街道が伸び、中津川の宿、その背後に折り重なった木曾の山山、苦労の多かった山間の旅の感想がより深いものとなったことであろう。
四ツ目川橋を境に、宿場町本町と商人町新町からなり、本町界隈には卯建をあげた家並みや枡形の道が残っており、昔を偲ぶことができる。
尾州白木改番所跡 高札場 中津川駅
次のルート:⑯中津川宿~大鍬宿 前のルート:⑭上松宿~三留野宿
=おわり=