渓流で逢いましょう 
フライフィッシングつれづれ日記
 




昨日怪我も無く戻る事が出来ました。
短い時間でしたが貴重な経験が出来たと思います。
赴いた場所は気仙沼~陸前高田近辺で、私設のボランティアを斡旋していただける機関経由で
復興イベントのお手伝い、瓦礫の撤去、家屋の解体などほんの少しですが参加させてもらいました。

大きな市街地は随分と整理が進んでいるのに比べて、リアス式海岸特有の小さな入り江ごとにある集落ではそれほど手が付けられていない場所もあり
重機が入れないような狭い路地も多く、まだまだたくさんの時間とマンパワーが必要だと感じました。
牡蠣養殖で賑わっていた前浜は津波で跡形も無く、瓦礫の山、基礎だけ残して何も無くなった家の後や住む事の出来なくなった半壊全壊の家々、至る所に残る赤茶色に錆びた車 
やっと復旧した道路 壊れた防潮堤、地盤地下のひどい漁港周辺 無惨に折れ曲がった街灯や電信柱

震災から100日を過ぎても街はひどく傷付いていました

しかし、津波の被害を免れた街は何事もなかったかのようにおだやかに初夏を迎えていて日常を取り戻しつつあって
一方、線引きの下では未だ途方もない惨状の中、、

津波の被害は本当に無情ですね。

それでも
復興の槌音、トラックがうなりを上げて行き交う道路
青空の下で燃料を売る仮設スタンド、戸板で商売を始めたお店
瓦礫の横を学校へと歩を進める子供達
ボランティアの人たちに無償でお風呂を提供してくれている民宿
ざわざわと騒がしい中にも不思議な活気があって
街は着実に前を向いて歩み続けているのだと思えたのは少し救われた思いでした

だからこそ震災直後はいったい、、と想像をすると恐ろしいですね。

短い時間の自己満足のほんの小さな行いですが、それでも現地で石ころ一つでも動かしてこれたのですから
髪の毛の先ほどは役に立ったかもしれないと 行って来て思えます。

また、出来る事ならば秋にでもと思っています
12月には弟の結婚式が東京で行われるので、予定を組むのは何かと大変かとは思いますが
なんとか時間を作って、、と思っています。





どれも作業の合間や移動中になのですが、写真も少し写しました
現地の写真を載せる事は少々気が引けるような思いですが
自分の今の報告として乗せる事にしました。






















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