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M.シュナウザー・チェルト君のパパ、「てつんどの独り言」 

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伊豆高原へ #1

2019-08-04 | エッセイ

 伊豆高原への旅が、15年ぶりにやっと実現した。カスケットリスト(棺桶リスト)にある、くたばるまでに達成しておきたい項目の一つだった。

 

 <大室山> 

 実は、今回が3度目の正直。2017年の春に計画し、ホテルも、スーパービュー踊り子も、レンタカーも予約していたのだが、大雨の天気予報でキャンセル。2018年秋にも、同じ準備をしたのだが、天候が悪く中止となってしまっていた。今回(2019・5)の旅も、3泊3日の旅のうち、1.5日は雨の予報だったが決行、やっと達成できた。 

 旅の目的は、大きく言って、4つ。

  ・姉の句碑を、もう一度、城ケ崎の蓮着寺で見ておくこと

  ・7年間暮らした、伊豆高原の我が家のその後を見ておくこと

  ・僕のボランティアの原点、伊東・イタリアの国際交流モニュメントの確認

  ・IBM時代、10回以上も訪れたお客様研修の天城ホームステッドの訪問 

 天城ホームステッドは、天城山の中腹、812mの高さにあるから、雨だと霧が巻いてとても近づけたものではないから、天候は大切な条件だったのだ。 


さて、1つ目 

 亡き姉、徳山暁美は、俳句に生涯傾倒し、晩年、女流作家としてちょっと有名になった俳人だった。作品は、牧羊社の「現代俳句女流シリーズ」、「紀の山」で発刊され、有名な、河野多希女が序文を書いている。そんな彼女の句碑が、伊東市・城ヶ崎海岸にある蓮着寺の庭の、つつじに囲まれた句碑群の中心にある。 

<徳山暁美の句碑>

 句は、「かの世にて 花の曼荼羅 描きたまえ」という、洋画家だった父への献歌だ。

 親父にかわいがられた暁美の、天国にいるおやじへの、やさしい句だった。とてもいい句だと僕は思っている。全部で10個ほどある句碑たちは、蓮着寺の一角、つつじの群れの中に立っている。少し字がぼけているか、苔むしていないかと心配だったが、どっこい、暁美さんの字はやさしく美しく彫られていて、しかも彫が少し柔らかくなって、小雨の中に立っていた。久しぶりと、声をかけた。 

 この暁美には、僕はよく面倒を見てもらったと思っている。彼女が長津田のマンションで、心筋梗塞によると思われる孤独死の身元確認を僕がやって、葬式を仕切った。だから、僕がくたばるまでに、この句碑の安否は確認しておきたかったのだ。宿題がやっと終わった。 

 

2つ目 

 横浜脱出の地として選んで、7年間住んだ伊豆高原の家の状況を知っておきたかった。本当は、オーストラリア・メルボルンへの移住を予定して、準備を進めていたのだが、最後になって、僕の心臓君の問題が発覚してヴィザ申請ができなくなった。

<城ケ崎海岸 大室山の溶岩が作り出した風景>

 そこで、日本国内の移住先として決めたのが伊豆高原だった。後で述べる天城ホームステッドへの出張の際、伊東や城ケ崎を知っていたから、ここになったとも言える。仕事の関係で、東京へのアクセスが大切だったことが決め手だった。他には、仙台、四万十川、高知市、八ヶ岳東麓などが候補だったが、実際に行ってみての判断から、伊豆高原に決めた。


<15年ぶりの我が家> 

 ここでは、ミニチュア・シュナウザーのチェルト君を中心とした、楽しい日々があった。犬友達もたくさんできて、多くの脱都会派との交流ができていた。家は、僕が「Casa Verde」と名付けて、色も塗り替え、素敵な住処になった。海抜300mのベランダからは、伊豆の島々が見え、特に神津島が美しく見えた。ここは伊豆高原でも最も高い位置ある小さな住居だった。大室山の麓からちょっと下ったところにあった。思い出のあるカロライナ・ジャスミン、ブラジル原産のフィージョア、ここで知ったオガタマの木などを、横浜のサカタに探してもらって、家の庭と側の遊歩道に植えた。この植物たちはどうだろうかと気になっていた。 

 元気でいるのを確認できたのは、2階のベランダ迄育て、伸ばしたカロライナ・ジャスミンだけだった。年に2回咲く、素晴らしい香りの存在に救われてか、新しい家の持ち主にも、大切にされているらしく、ベランダに健在だった。オガタマは庭の中だから、貝塚いぶきの生け垣に阻まれて見えなかった。遊歩道に植えたフィージョワは、この15年の間に大きくなった、空木の林の中に埋没していた。残念。 

 伊豆高原近辺には、他にいろいろあったけれど、本当に見るに値する美術館は、二つ。その一つは、「伊豆ガラスと工芸美術館」だったが、今年の4月に閉館してしまった。あのたくさんの、アールヌーヴォーのガラスたちはどこに行ってしまったのか。見ることができなくて、とても残念。単品で散らからないで、まとまっていることを祈るだけだ。

 <アールヌーボーのガラススタンド>

 後の一つは、健在だった。確かに絵を見たと実感できる、一碧湖近くの「池田20世紀美術館」https://www.nichireki.co.jp/ikeda/?lang=en だ。ニチレキ(日瀝化学工業)の創始者、池田氏が個人的に集めた1400点もの絵と彫刻と、それを展示するためのデザインされた建物が、ヒューマニティをテーマとして存在している。ゆっくり見れば、半日はかかるだろう。ルノワール、マティス、ピカソ、シャガール、A.ウオーホール、ミロ、ダリなどの作品が物理的に近くで見られるようにデザインされた美術館だ。

 <池田20世紀美術館>

 久し振りだったから、美術館のインフォーメーションの女性と話してみた。ガラスの美術館も一碧湖美術館も閉館し寂しくなったから、頑張ってくれなくては…と声を掛けたら、頑張りますと戻ってきた。ここは今や、伊豆高原、いや伊東市が誇れる唯一の世界に通用する美術館だと思う。

<シャガール> 

 皆さんの旅行プランには、ぜひ加えてあげてください。その価値はあると確信します。


(あと2つの目的については、伊豆高原へ #2に続きます)


「帰ってきたムッソリーニ」を見た

2019-06-09 | エッセイ

 「注:前回の「定番の春を取りもどす」3っ目です」 

 

 <イタリア映画祭・2019のHP> 

 2001年のイタリア年から始まった19年の歴史を持つ「イタリア映画祭・2019」で、「帰ってきたムッソリーニ」を数寄屋橋マリオンで見て来た。



 <帰ってきたムッソリーニのブローシャー> 

  ここ9年、欠かさず見てきていたのに、昨年はチケットを買って待っていたのだが、僕の足の痛みとしびれで、行くことはできずに悔しい思いをした。今年は頑張って、映画を見ることができた。毎年、ゴールデンウイークに開催しているこの映画祭は、前年のイタリア映画の新作を何本か(今回は11本)を選び、この映画祭のために特別に日本版を作り、日本で初上映するのだから頭が下がる。すばらしい企画だと思う。  

 毎回、作品はコミカルなものを選んでいる。分かりやすくて聞き取れれば、僕のイタリア語の勉強にもなるし、イタリア人特有のウイットに触れることができるからだ。今回は、ミニエーロ監督のコミカルと言われる作品を選んだ。

<ミニエーロ監督のプロフィール> 


作品紹介 

題名:帰ってきたムッソリーニ

原題:Sono tornato [2018/99分] 

監督:ルカ・ミニエーロ Luca Miniero

出演:マッシモ・ポポリツィオ、フランク・マターノ


映画祭の作品紹介: 

 

 奇想天外な物語で、初めから、最後まで笑って見ていた。1945年、スイスへの逃亡中に、ミラノの北、コモ湖でパルチザンに61歳で射殺されたファシスト(束、団結を意味するイタリア語のファッショと呼ばれたナショナリストの集団)の総統だったムッソリーニ。彼の死体はその後、ミラノのロレート広場で、見せしめに逆吊りをされた。その彼が、突然、ローマの古代遺跡で現代によみがえったところから物語は始まる。

  

<ムッソリーニと映像作家> 

 ムッソリーニを発見した若いドキュメンタリー映画の制作者カナレッティと共に、現代のイタリアの社会に入り込んでいく。ムッソリーニのソクッリさんとして持てはやされ、テレビにも出て、みんなの関心を集めていく。彼はイタリアの各地を回り、現代のイタリア社会を理解していく。そうした人々との接触の中で、戦前を知らない若者の人気者になっていく。本物のムッソリーニだと気が付いたカナレッティは彼を殺そうとするが、それはできずに警官に捕まってしまう。そして、ムッソリーニはイタリアを再度、征服しようとする...。ここで、映画は終わっている。

  

 <ムッソリーニと若い人たち> 

僕の感想 

 ムッソリーニが、現代で権力を握ったらどうなるのか? を考えさせられた。皆さんもご存知の通り、イタリア人は徹底した個人主義で、皆が一人一人、自分の意見を持っている。現在のイタリア政府は、日本のような巨大な一党独裁的な政党に支えられた存在ではなく、連立・連立の、不安定な政治体制になっている。同時に、ポピュリズムに乗った、極右も力を得つつある。 

 こんな社会では、物事を決められないという自己撞着が起こり、強い人に決めてもらいたいという希求が、どこか自然に生まれてきていると思われる。現在のイタリア社会には、政治に対するある種のむなしさを感じている人々がたくさんいるようだ。これからイタリアが何所へ向かって行くか分からないという恐ろしさを感じているのではないかと思う。逆に、方向性を示してくれる誰かを渇望しているのではないかとも感じてしまう。特に、過去の悲惨さを学んでいない世代は、ファシズムに対しての警戒心は全くないだろう。ムッソリーニが、本気で再度イタリアを収めようと動き出すと、果たしてどうなるのか…。 

 では、この話を、現代日本に当てはめて考えてみたらどうだろうか。強大な権力者の確信的な行動と、ポピュリズムの政治、それを非難するどころか、それを後押ししている御用ジャーナリストを批判する勇気ある人は、数少ない。ある意味、既にファシズム(全体主義)ではないかと思うことさえある。この映画を始めは笑って見ていたが、最後は、厳しい現在の政治環境にぶち当たっている自分を発見させられた。コミック映画なんかではなかった。どちらかといえば、仮想ドキュメンタリーかもしれない。  

 <ミエーロ監督のQ & A > 

 上映後、ミニエーロ監督とのQ&Aの時間が設けられていたが、日本人の悪い癖で、「質問」にならない質問、つまり自分の考えを延々と述べて、最後にちょこっと質問をするという人ばかり合計3人。これに30分以上も時間を使ったのは、もったいなかった。もっと、監督の考えを聞きたかったのだが。通訳の人も、質問者の長い質問(?)をメモに取るのに忙しく、いい回答を監督から聞き出すことはできなかったようだ。残念。

  僕の頭に浮かんだのは、「熱狂なきファシズム」*という言葉だ。リアルな現実を見ないで、政治を他人のものだと思っている現代日本の若者たちは、すでに五右衛門風呂の中で、「茹でガエル」になっているのに、それに気が付いていないのかもしれないと。

 <会場風景> 

 帰りの銀座には、たくさんの幸せそうな日本の人々が見えた。本当に、これでいいのだろうかと自問している自分がいた。  

P.S.

数日後、ある友人から、この映画は「帰ってきたヒットラー(2015年)」のイタリア版リメイクだと聞かされた。ただ、ファシズムに対する対応も、個人主義のイタリアと、集団で考えるドイツ人とでは、自ずと違ってくるだろうというミニエーロ監督の言葉を思い出した。 

ノート*:

「熱狂なきファシズム」とは、2014年に河出書房新社から出版された、想田和弘氏の評論集の書籍名。現代のファシズムは目に見えにくいし実感しにくく、このことから人々の無関心の中から気付かれないで進行していくということから、「熱狂なきファシズム」と名付けたとのことだ。


定番の春を取り戻す

2019-05-26 | エッセイ

 

 昨春の足のしびれと痛みから、10か月くらい掛かって、完全ではないものの、一応歩けるようになった。原因は、足の動脈のどこかで石灰化が始まっていて、それが足先の血流を阻害して、しびれと痛みを出しているようだ。毎日飲む薬が一つ増えたが、行動の自由さには替えられない。今年は、何とか、例年の春のメニューを楽しむことができた。感謝! 

 定番のメニューは、3つ 

 最初は花見。桜の花を見に、横浜の某所に出かける。某所とは、桜見物で有名ではない、人の知らない秘密の場所だ。箱根駅伝で有名な権太坂の近くとだけ言っておこう。素敵な場所は、内緒にしておかなくては、すぐ詰まんなくなる。 

 今年はタイミングがドンピシャで、いい桜を見ることができた。天気もよかった。2年ぶりの花見ということで、写真をたくさん撮ってきた。他には、通り過ぎる人が数人のみ。

 

 <2019の桜> 

 花見の帰りには遠回りをして、坂を上ったり下りたりして、必ず立ち寄るところがある。昼食を楽しむためだ。NRIの近くの神戸町(ごうどちょう)にある。そこの大戸屋で、焼き魚と五穀米の定食を頂く。いつも時間を考えて、昼休みの大混雑が始まるちょっと前に入るようにしている。サバの焼きものが、身も厚く皮もパリパリで、そのまま食べられた。自分んちでは、身の厚いサバをふっくらと焼きあげるのは難しい。また匂いが残るのも嫌で、ほとんど食べられない。箸を入れて、身がきれいに骨からはがれると、口の中に唾液が出てきてサバの味を待っている。 

 2年前まで、隣のビルの軒先にいたハトの姿は見えなかった。ハトの為に、はげかかっていた配管もきれいに彩色されていて、もう彼の住処ではなくなっていた。どこに行ったんだろうとか、独り言を言ってみる。ビルの管理人に聞くほどのことでもないから、行方知らずだ。

 <庭のモニュメント> 

 そのあと、ちょっとした公園になっている芝生の広場を青空の下で歩いてみる。いつものモニュメントのほかには、繋がれたワンが飼い主を待って、寂しそうな、心配そうな姿を見つけてカメラに収めた。

 

 <主人を待つワン> 

 そうそう、大戸屋の支払いが前は現金だけだったのに、クレジットカードでも可能になっていた。いいことだ。 

 

 二つ目は上野の都美術館のモダンアート展で、僕の初恋の人の油絵を見ることだ。


 

 <モダンアート展> 

 昨年までは10年ほどは欠かさずに見ていたのだが、昨年の体調不良で、一回パスしてしまった。もちろん、悔しいからネットで絵を見つけて、ダウンロードしてあるが、本物にはかなわない。 

 同じようなモチーフながら、毎年、変わってきている。その変化の裏に何があるのかは、推測するしかない。もうせん、本人にコンタクトを試みたが、もう昔のことですから…と、丁重に、しかし厳しく断られたから、本人との会話は無くなっている。

 <2019の絵と僕> 

 並べてみてみると、3年前の整理されていたものが、一昨年あたりから、また激しい形に出てきていたが、今年は少し整理されているようだ。作品が小さくなった(F130→F100号)のは気になるところだ。 

 上野も今年の桜は早く、ピークを過ぎていて、ひどい人込みからは逃れることができた。

 

 <都美術館と散りゆく桜> 

 上野に来たら、どうしても行かなくてはならないところが浅草にある。もう40年以上通っている(年に1、2回だけど)焼き鳥の飲み屋だ。そこの女将の顔を見るのが目的だ。元気でやっているかなあと、店に入る前からカウンターの中を目が探している。元気そう。元気ですかと聞いたら、そちらは…と戻ってきた。そうだ、僕と女将は恐らく同年代だ。帰り際に、僕がお元気で…と言ったら、そちらもね…と返ってきたのには、後で納得。

 

 <飲み屋の女将さん> 

 伝法院通りを浅草寺に向かっていたら、ミミズクで人集めをしている若い女の人を見つけた。鳥類の中で好きなのは、唯一フクロウ君とミミズク君だから、僕が捕まってしまった。銀ちゃんという、かなりデカいミミズク君だ。撫でさせてもらって、コトンと100円玉を箱に落として、浅草寺に向かった。天気が良くてよかった。

 

 <ミミズクの銀ちゃん> 

三つめはイタリア映画祭だが、長くなるから、別途に残しておく。


講義を受けに大学に

2019-03-17 | エッセイ

 

 久しぶりに、金沢八景駅の改札を出た僕は少し興奮していた。

 

 <金沢八景駅 by 京急>

 

 この前、ここで降りたのは、2017年12月だから、1年2か月ぶりということだ。あの時は、関東学院大学の「イタリア都市探訪」という講座に3か月ほど通っていたから、懐かしい駅でもある。 

 長い間、工事中だった八景駅もおおかたがた完成し、線路の橋上駅の改札口から、山の方へも、海の方へも簡単に出られるようになっていた。さらに、シーサイドラインにも、同一平面のペデストリアンデッキで繋がっているから、とても便利になったと言えるだろう。 

 今回は、陸側の横浜市立大学(YCU)に行くために、この駅で降りることになった。YCUに行くことしたのは、ここの大学院、「都市社会文化研究科」の4名の准教授たちが開催する、アドバァンスト・エクステンション講座、『「他者」とはなにか?』という講座に出て、新しい社会観を開拓するためだった。 

 大学は土曜日ということもあって、学生の姿はほとんど見えず、静かなたたずまい。

 <横浜市立大学 金沢キャンパス> 

 もともと、パーソナリティ&コミュニケーションのTAカウンセラーをやっていた僕は、日ごろから、僕には理解できない現代の若者たちの世界・社会観に興味を持っていた。その理解のヒントでも得られればと、この講座に応募した。特に、社会心理学的に、若者たちをどう理解すればいいかを模索していたからだ。

 

 <モラトリアム時代の人間> 

 根っこには、僕に大きな影響をあたえた、小此木圭吾の「モラトリアム人間の時代」という本(1978年初版)の存在がある。彼は精神分析家、精神科医で、そのころの世代の若者をモラトリアム(大人となるまでの猶予期間にいる存在)と定義していた。僕には、とても納得できた。では、今はどうか…というのが、基本的な参加の動機だった。

 <講座概要> 

 今回の講座は、「他者とは?」をキーワードとして、4つの異なった視点からの考察を聞き、議論するものだった。4つの分野とは、心理学、社会学、歴史的政治思想、及び、イランの女性史・教育史と幅広い。 

 開始前に配布された資料を眺めてみて、ああ、これでは深い話は聞けないと思った。4講義とその後のディスカッションで、計3時間のコースだ。休みなどを入れると、各講義、30分しかない。しかも各講座とも資料が多い。パワーポイントの画面をコピーしてあるのを数えてみたら、心理学で49頁、社会学で18頁、政治思想史で19頁、列強とイランの女性史では32頁もあった。講義の前に目を通しておこうなんて、全く不可能だった。

 

 <ハンズアウト:4講義分で118頁、読めなくて当たり前> 

 窓のある教室で、プロジェクターとポインターを使った講義が始まった。明るいから、レーザー・ポインターの位置がわからず、先生が画面の何処を指しているのかを懸命に見ながら、自分の資料にメモをしていく。でも時間がないから、先生は超早口。大学では、普通90分で1コマだと思うが、そこで投げる量のデータを30分で投げ終わろうとするのだから、どだい無理。結局、自分でメモをとる時間は無かったから、持っていたマーカーで重要な点に色を付けるのがやっとだった。 

 しかも、4講座全体を通しての「他者」の共通定義がないようで、各先生は自分の定義で、「他者」を語る。聞いている方にとっては、定義は何だと迷いながら、30分の講義は、すっ飛んでいく。アイコンタクトも取れないから、先生だって、我々がどういう状況で講義を聞いているかを知ることもない。ダメだとあきらめて、焦点だけを探り当てることに切り替えた。 

 順序は狂うが、3番目の講座では、共同体の中の自分vs他者を、その共同体の寛容さと捕らえて話された。4番目の講座では、西欧列強を他者ととらえ、イスラーム社会、特にイランの女性への他者のインパクトを話された。 


 結果的には、僕にとって意味があったのは、1番目の講義、心理学的に見た自己と他者が相互構成的で、他者がいて自分がいるという内容と、2番目の講義、社会学的に見た(自己)は、どう他者と向き合っていくのか(いくべきなのか)をテーマに、監視カメラの例を導入部として語られた講義だった。 

 この中で、T先生は、社会の動きと自己との関係で、次のことを話された。 

 ・他者に見られないこと = 自分が存在しないこと

 ・自分の存在意義を支えてくれる他者

 ・他者の不透明性が上がり、自己にとっては液状不安(液状化不安?)が起こり、

  自分が崩れていくかのような恐怖感を持つ若者たち

 ・異質な他者のグループと同質の他者のグループが存在し、前者を排斥し、

  後者に引力を感じる属性

 ・困難と制約となる他者 vs 自己に意味を与え、喜びを与えてくれる他者

 ・自己と他者の両義性がある 

 そして、これからの若者はどうなって行くのか分からないと話された。この問題提起は、非常に興味深かった。今の若者たちに対して僕が持つ感覚とも、全く一致していた。

 

 最後のQ&Aが終り、先生方が席を立たれたので、僕は慌ててT先生を捕まえに前に走った。 

 最近、僕は、モラトリアムの期間が長くなっているのではないかと思っている。つまり自己のアイデンティティが確立していない学生が多いのではないか、これが先生の言う液状化不安ではないかと声をかけた。先生も、流動化、不確実が増大している学生の現状を話され、彼らは今後、どうなっていくのだろうかと不安を持っていると述べられた。

 

 <「液状不安」と不透明化する「他者」:T先生の資料の1ページ> 

 いろいろなデータを見ると、僕にはパラサイト・シングルの期間が長くなり、結果として、モラトリアムが長くなり、アイデンティティの確立が遅くなっているように見えると話した。 

 例えば、2014年の「25~35歳の人口に占める、親との同居未婚者率」では、日本は世界で7番目の42%に達したと言われている。つまり、自立が出来ていない大人が4割もいるということだ。この状態は拡大し、悪化しているわけだ。 

 さらには、「出生動向調査」(厚生委労働省)によると、30歳代の

  男性の童貞率 2002年:24.8% → 2015年:26.0%   +1.2  

  女性の処女率 2002年:26.3% → 2015年:32.6%   +6.3 

 等がある。こう見てくると、やはり、現代の若い年代の人たちのモラトリアムの時間は、さらに長くなり、セックスもできない大人になり、結果、アイデンティティの確立などは、さらに遅くなってきていると見える。 

 一方、自分の周り、つまり他者との関係での距離感が取り切れないので、成蹊大の野口教授が言う、「コミュ力」、つまり他者への批判や、対立への強い不快感を避ける強い力が働き、自己を埋没させていくのではないかと、T先生に述べてみた。 

 こんな会話を交わして、若者たちは容易にはエリクソンの言うアイデンィティを持てていないし、T先生の言われる「液状化不安」に、僕は共感出来た。

 

 <YCUスクエア> 

 読む、聞く、同時に理解する、メモを取る、自分の意見を言うというようなことを最近やっていなかったから、僕の頭は疲れ果てて、その夜、グッスリと寝てしまった。 

 冷静になって考えると、こんな種類の出会い、議論ができる機会を持てたことは、とても楽しいことだった。こんな種類の議論から、僕は何十年も遠ざかっていた自分を知った。またの機会があればと、願っている。


北斎展と発見

2019-03-03 | エッセイ


 今回、六本木森アーツギャラリーで開かれた「新・北斎展」を見てきた。



 <地下の北斎展のポスター>

 実は、率直に言うと、あまり浮世絵は好きではない。美女とか、役者絵とか、名所とか、花鳥図とか、武者絵や、妖怪などが、どうも好きにはなれないからだ。

 さらに、悪い印象も残っている。2011年、東京国立博物館で開かれた「写楽展」での印象だ。写楽にはとても興味があって、並んでまで見た。しかし、思ったより作品が小さくて(後で知ると、昔の版木では大きなものは少ないのは当然だったのだが…)、僕の写楽のイメージとはピッタリとはこなかった。さらに音声ガイドを使っている人たちが、小さな絵にへばりついて、自分のペースで作品を見られなかったことも悪影響。

 もちろん例外の浮世絵もある。北斎の「冨嶽三十六景」や、広重の「大はしあたけの夕立」などは、素晴らしいと思う。動機は不純かもしれないが、フランスの印象派の画家たちにジャポニズムとして影響を与えた原画を、影響を受けたゴッホなどのフランスの絵と比べて観るのは、とても楽しい。



 <広重 大はしあたけの夕立>

 今回は、北斎をまとめて見られる数少ない機会だと知って、六本木まで出かけた。六本木ヒルズは、地下鉄の駅から直結しているので、楽ちん。

 今から170年も昔(1760~1849年)、マンガや、劇画や、読み本の挿絵などを北斎が描いていたとは知らなかった。80歳で亡くなるまで、すごく活発な制作活動を続けていたようだ。この展覧会は、年代順に6期に分けて作品を展示していた。画風がどのように変化して行ったのかがよく分かり、作者の年齢との関係でみると、フムフムと納得できたりする。最晩年の「弘法大師修法図」などは、もう地獄は近い狂いの境地だと感じさせてくれる。

 僕にとっては、やはり風景が素晴らしいと思った。



 <絵葉書たち>

 技法の説明では、有名な青い波と富士山の「神奈川沖浪裏」(左上)は、六枚の版木を使って、八色を、八度に分けて刷って、あの波頭と、波間に浮かぶ遠景の富士山を現しているのだと知った。大変な集中力だ。

 構図的には、大きな樽の中で働く樽職人の遠方に、富士山が見える「尾州不二見原」(左下)などは、本当に天才の遠近法だと恐れ入った。これらの冨嶽三十六景は70歳代の作品とある。後年に、ここまで来るには長い試行錯誤があったのだと、作者の心を思いやった。

 この展覧会で、今まで、北斎の作としては、あまり取り上げられなかった非常にモダンな構図の絵を見つけて、僕はちょっと興奮した。彼の画業の丁度真ん中の40歳の時期の絵だ。「大仏詣図」という縦長の絵だ。



 <「大仏詣図」の全体像 118.5cmx26.4cm>

 とても近代的だ。シュールといってもいい。でかい東大寺の大仏殿をどうすれば、絵を見る人に分かってもらうかと、よく考えて、こんな構図にしたのだと思う。その発想は素晴らしい。現代美術の若手たちにも見てほしいと思う。

 上半分には、大仏殿の屋根から、瓦、大仏の顔と、大仏殿の建物の下端までの風景を描いている。よく見ると大仏様の顔が、金色に見える。



 <「大仏詣図」の上の部分:屋根の突端から、屋根、大仏のお顔、建物の基礎まで>

 下半分には、描ききれない巨大な大仏殿と距離を、意識的にすっ飛ばして空間を作ってっている。その下端に、大仏殿を見上げる詣でた人々を、遠近法を使って巧みに、しかもユーモラスに描いている。



 <「大仏詣図」の下の部分:大仏殿の建物の基礎から、空間、詣でる人たち>

 こんな構図を、1800年頃の江戸時代に発想することは、驚きだった。40歳の北斎は、この手法を発明した。やはり、天才だ。僕には驚嘆だったし、発見だった。一巡りした後、会場をさかのぼって、この「大仏詣図」を何度か見直してみた。やはり、ユニークだった。

 帰りのミュージアム・ショップで、この絵の絵ハガキや写真を探したが、残念、売っていなかった。


 54階建ての六本木ヒルズまで来たのだから、東京の街を見下ろしながら昼飯をと考えていたが、時間がずれ込んで、昼時間に入ってしまった。ビルで働く大勢の人が、数少ないレストランで食事をするのだから、どこも混んでいる。仕方がない、少しずらすかと53階を歩いてみると、懐かしい神宮の森が斜め下に見えた。250mの高さから、揉めていたオリンピックのメイン競技場も姿を現していた。



 <神宮の森と新・国立競技場>


 後日、北斎展の主催者の日本経済新聞社に電話して、「大仏詣図」の絵について聞いてみたら、高価で分厚い立派な図集には載っているとのことだった。ただ、重要な情報が得られた。もともとこの絵は、島根県立美術館の永田コレクションのものだとわかった。しかも、東京での展示は、僕が見た翌日には、架け替えで島根に戻っていったと聞いた。本当に奇遇としか言えない出会いだったのだ。




 <ヒルズのシンボル、ルイーズ・ブルジ作「ママン」>


 簡単にはあきらめないぞと、島根県立美術館の学芸員さんと連絡を取った。その結果、「大仏詣図」は、島根県立美術館のショップで、永田コレクションの図集にあると教えてくれた。構図の話をすると、確かに北斎の絵の中では、数少ない縦型の構図の一枚だという。とてもモダンではないですかと畳みかけると、そうですねと、お墨付きをもらった。早速、ショップに連絡を取り、永田生慈コレクションの図集を入手することができた。



 <永田コレクション画集>

 永田コレクションとは、津和野生まれの永田生慈が、2000件の自分の北斎のコレクションを一括して、2017年に島根県立美術館に寄贈したものだという。彼はその翌年、2018年に没している。散らかってしまった名画が多いなかで、これだけのコレクションを塊で残されたのには、感謝だ。

 今回の北斎展は、とても素晴らしい僕の思い出となった。画集を開いて、新しい北斎を探そうとしている僕がいる。

P.S.
六本木の新・北斎展は3月24日までです。「大仏詣図」は島根県立美術館に展示されていて、六本木では見られません。