これまで、人生で出合った「初めて」という項目をリストアップしてみると、おもしろい塊が見えてきた。皆さんも「最初の○○は…」というのを覚えていますか?
思いだしてみると、その時期の自分と、その後が見えてくると思います。
こんな風に、「初めての…記憶たち」というシリーズを始めてみたいと思います。
人間の記憶は、大体4歳ころから残ると言われている。やはり、僕の場合も、ちゃんと覚えているのは4歳ころからの記憶の断片だ。
最初の記憶は、おそらく3歳の頃。3月10の東京大空襲と関係していると思われるけれど、今はもう確かめる方法は無い。親父も、お袋も、姉も、みんな亡くなってしまったからだ。瞬間的な記憶にあるのは、“火の色をみながら地下に下りていく”だったと思う。これが最初のようだ。東京谷中の親父のアトリエが燃えたのが、この空襲だったから、その頃の記憶の断片なのだろう。
次の記憶は、買ってもらっていたボール紙で作った自動車を、僕が水につけて壊してしまったというものだ。疎開の旅の中で、きっと、かんしゃくを起こしていたのだろう。何だか、赤い色のようだったきがするから、消防車だったのかも。今よりもっと気が短かったのだろう。
もう少し後になっての記憶は、山家のルーツの、岡山の山の中での疎開生活の断片だ。長屋門のある大きな屋敷の小さな薄暗い空間。おそらく、その長屋門の二階の部屋の光景だっただろう。「クッブーダンキ」と書いてある姉たちの絵本があったようだ。
僕たちが借りていたころの二階建ての長屋門は、その後屋敷全体がたてかえられて、平屋の長屋門になっている
その頃から、そそっかしい性格が身に付いていたのだと思う。その大きな屋敷の塀の上で、その家の秀ちゃんと遊んでいたら、踏み外して、塀と建物の狭い隙間に滑り落ちて背中を怪我した思い出がある。その塀に打ちつけてあった何本かの釘が、ずり落ちていく僕の背中をゆっくり切り裂いていった。今でも、その傷が背中に残っているから、これは間違いない記憶だ。
最初のおいしい食べ物は乾燥バナナ。うちは疎開暮らしで、しかも、親父は油絵描き。岡山の山奥に親父の絵描きとしての仕事があるはずもない。高校の美術の講師をして、食いつないでいたようだ。
乾燥バナナ
そんな時に、我が家に乾燥バナナが現れた。おいしかった。忘れられない。本当の生のバナナを食べたのは、もっともっと後のことで、逆にそれが何時だったか記憶がない。
おいしいものの記憶は強いようだ。鮮明に覚えている食べ物がある。
あれは、僕が小学生の3、4年生の時だったろう。親父が親しい日本料理の板前さんの家に僕を連れて行ってくれた。
びっくりしたのは、お吸い物。透明なお湯の中に、ゆずと三つ葉と、おそらく麩が浮いていたと思う。飲んでみて、こんなにおいしいお湯があるのかと驚いた。見た目には何のことは無い透明な汁のだけれど、すばらしい味が作りこんであった。
その時は、よほど感動していたのだろう、もう一品、子供の僕を驚かしたものがあった。
それは山芋。自然薯(じねんじょ)で、小さな器にすりおろした白い塊。箸でつかんでみると、しっかりとした塊でつかめるのだ。その少しを切り取って、それをゆずの搾り汁としょう油の混ざった液体につけて口に入れると、つるりとした感覚の中にゆずの香りが広がった。忘れられない味だった。自然薯って、こんなに濃くておいしいもんだと子供だった僕には驚きだった。
親父の友達は、腕のいい板さんだったに違いない。
その後、そうした感激は記憶に残っていないから、あの日本料理は本当に絶品だったのだろう。でも小学校の低学年のガキがこんなことを覚えているのも変なものだ。やはり記憶って、分からないものだ。
そういえば、記憶というのは、自分の感情や、動物的感覚に裏打ちされたものは、強く心に残ると学んだ覚えがある。どうも、それは真実らしい。こんなことを覚えているのは、それを裏付けているのかも…と思う。