M.シュナウザー・チェルト君のパパ、「てつんどの独り言」 

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天空の野反湖へ

2020-01-19 | エッセイ

 バケットリスト(くたばるまでにやっておくことのリスト)に残っている、ちょっと大切な項目が、この野反湖(のぞりこ)に行くことだった。

 

 今も、あまり知られてはいないと思うが、野反湖は大げさに言えば秘境だろう。似た名前の信州の野尻湖とは違い、群馬県と新潟県の県境の頂上にある小さな人口湖で、「天空の湖」と地元ではPRしているアクセスの悪い湖だ。しかも何もないところだ。

<野反湖へのルート:Google>

 アクセスが悪いとは、高齢の部類に入る僕にとってのことかもしれない。ここへは、車でしか行けない。急カーブが連続する細い山道を、緊張しながら登って行かなくてはならないからだ。もちろん対向車も来る。時には、ダンプカーだったりして。ここでは、右へ、左へと連続するハンドルさばきと、素早いアクセル、ブレーキの操作が要求される。軽井沢から片道65キロの山道を、日帰りでこなすことになる。

 

 ここにはその昔、高速・信越道もない40年ほど前だが、友達と二人で、誰も知らない山にドライブに行こうと、東京から軽井沢経由で片道10時間以上かけてたどり着いた確かに天空に一番近い湖だった。あれは、8月だったと思う。藤岡で高速を降りて、一般道で安中を通り、横川から国道18号線のカーブだらけの碓氷峠を超えて、軽井沢に入った。

 軽井沢でガスを入れ、少し休んで、浅間の東麓を横断して、吾妻線の長野原駅に下り、そこから少し下って、またまた登り。六合村(くにむら)へと登り詰めて、左側に、志賀高原のてっぺん、草津白根山と横手山を見ながら、視界が開けたところに野反湖はあった。周りには、人気はなく、静かな深い青さの上にさざ波が渡っていた。自然の持つ静寂の世界だった。四方を山に囲まれた、形のいい小さな湖だった。道はここで行き止まり。

<野反湖>

 ぼんやりしていたら、もう夕暮れになった。そのころは若さに任せて旅をしていたから、泊る宿など予約などしていなかった。夕暮れの中で、どうしようということになり、最悪は途中の六合村にあった温泉宿まで、暗闇を戻ればいいやと高を括くくっていた。しかし、これだけ美しいところに泊りもしないで帰るのは悔しいから、遠くにかすかに見えたロッジ風の建物で尋ねてみることにした。行ってみたら、キャンプ場だった。ほかに貸しバンガローもあったが、その日は予約でいっぱいだった。

 キャンプ場の管理人さんに事情を話して、どこでもいいから、雑魚寝でもいいから、一泊させてくれと頼み込んだ。センターロッジに泊めるわけにはいかないからな~と考えていたが、もしかしたら、今日は六合村からの駐在さん(おまわりさん)が来ない日かもしれないと、予定表を調べてくれた。僕たちは、話が呑み込めなくて、駐在さんって何だろうと話していた。

 そして本当に幸いなことに、この夜は駐在さんの野反湖での宿泊予定はないので、空いている駐在さん専用のバンガローを、特別に僕たちに寝る場所として提供してくれたのだ。いや~、ほんとに助かった。1,513mの海抜だから、東京より10度も低い山の一夜は大変だったと、後で感謝し直した思い出がある。

 

 今回は、宿は軽井沢だから、日帰りでも、老齢でも大丈夫だろうと、今回の旅の目的にしたのだ。レンタカーを走らせて中軽井沢から右折して、若いころ、子供たちを連れて何回か泊った懐かしいリス庵や、大学村と呼ばれている法政大学村が起源の北軽井沢を過ぎ、前よりかなりよくなった道を、吾妻渓谷に向けて高原を146号線で突っ走る。幸い、心配していた天気も良い。山への旅では天候が一番気がかりだが、今回は神様が、想いに応えて、素晴らしい秋空を提供してくれた。

<北軽井沢大学村>

 助けてくれた駐在さんがいた六合村(くにむら)は、今は中之条町に編入されて、残念ながら、なかなか、ちゃんとは読んでもらえない六合村は無くなっていた。古い名前は大切にしたほうがいいと思うのだが…。

 大型のダンプカーと、クネクネの細い上り坂で会ったりしながら、なんとか急カーブの連続の坂を上って、パッと野反湖が現れた。長年の願いがかなった瞬間だった。

 湖は、今日も美しい。

<野反湖湖畔>

 周りの山も、少し黄色くなり始めているようだ。

<コントラスト>

 新潟側のダムの法面は、コンクリートではなく、大きな岩を積み上げたロックヒルダム。

<ロックヒルダム>

 ダムの堰堤を走ってキャンプ場に入った。すると、忘れもしないバンガロー群が、今もそこにあった。

<バンガロー群>

 しかもよく見ると、バンガロー1番に、警察のマークが光っている。嬉しくて飛び上がっていた。もう間違いなく、このバンガローに一泊させてもらったのだ。

 古いバンガロー群の改築が始まっていて、古びたバンガロー、そのものを見られるのは後わずかで、本当に幸運だった。もう少し遅かったら、まったく違ったイメージのバンガローになっていただろう。山には似つかわしくないモダンな改築された新しいバンガローも、もうすでに数戸、建っていた。1番は昔の姿で残っていて、僕の希望をかなえてくれた。

<駐在さんのバンガロー>

 片道2時間、野反湖に1時間ほどいて、昼をとっくに回っていたから、蕎麦でも食おうと探したが、野反湖にも、六合村にも、それらしい店は見つからない。頑張って、北軽井沢あたりまで戻って来たら、「地のそば粉」という看板につられて、Mという店に入ったが、残念、蕎麦はうまくなかった。

<軽井沢~野反湖の断面図>

 いつかの八ヶ岳の旅でもそうだったのだが、今回もうまい蕎麦屋には当たらなかった。信州の蕎麦は、どうなったのだろうと、頭をひねりながら軽井沢に帰ってきた。

 バケットリストの位置づけでは、この野反湖への旅が急カーブの連続の車の運転が必要なので、年齢を考えると、できるだけ早く完了しておきたかったことだった。ほっとした気持ちがある。


碓氷峠の見晴台

2020-01-05 | エッセイ

これから始まる軽井沢近辺での3篇の旅の目的を書いておこう。すべて、僕のバケット・リスト(くたばる迄にやっておく事のリスト)の項目だ。

目的は大きくは3つ。

1.碓氷峠の見晴らし台に立つこと

2.群馬県と新潟県の境にある野反湖を訪ねること

3.信濃追分での積み残しの調査をやること

フリルとしては、懐かしい旧軽井沢を歩いてみることが頭の中にあった。これで3泊4日の旅になった。

 

本文

<昔の姿を残す旧軽井沢駅>

 最初は碓氷峠。大阪市大の2回生(なぜか関西では2年の事をこう呼ぶ)の時、大阪から座ることができなくて、夜行列車の座席の下に新聞紙を敷いて、ごろ寝しながらたどり着いた初めての信濃を追体験するのが狙いだった。(当時、書いた自由詩を、この文末に参照しておきます)

 あの時は、信越本線で群馬県の横川まで一度下り、そこからアプト式の電車に乗って、軽井沢の手前の一つ手前の熊ノ平駅で降りた。長野新幹線の開通で、今は横川~軽井沢間が廃線になり、熊ノ平駅も消えている。

 そこから、きつい山道を、ザックを背負って、尾根道まで歩いた鮮明な記憶がある。そして、熊ノ平から碓氷峠の見晴台まで、約3kmの登りを3時間ほどかけて上った。尾根道に息を切らせながら、左手の谷の向こうに妙義山を見ながらの時間だった。そして頂上に、群馬と長野を分ける碓氷峠の見晴台があった。

<旧アプト式スイッチバック駅の熊ノ平>

 今回は追体験といっても、心臓君が許してくれないから、もう山道は歩けない。軽井沢でレンタカーを借りての移動しかなかった。

<旧道18号の緑>

 まずは、旧道の18線を、急カーブの続くクネクネ道を下って、熊ノ平駅のあったところを過ぎ、元の碓氷第三橋梁(通称めがね橋)の見えるところまで下りた。こんな急カーブの連続は、もう年齢的にきついかなと感じ、横川まで下ってみようかと思っていたが、下るのはやめにしておいた。悔しい気持ちが残った。

<碓井第三橋梁>

 車を止めてエンジンを切ると、碓氷谷を流れ落ちる沢の音が、ころころと深い緑の山道にこだましていた。これが、本当の静寂だ。時折、スポーツタイプの車や、オートバイが、急カーブにタイヤをきしませながら、通り過ぎていく。でも、空気も酸素が濃いようだ。深呼吸をしてみる。

<碓氷の谷川>

 碓氷峠には、その後、ガキたちと一緒に二度ほど来ているが、一人での旅では、いつも曇りや、雨に降りこめられて、来ることはできないでいた。今回は、一応は晴。安心して、旧軽井沢銀座から三笠通りを右折して、峠まで上り詰めた。ああ、こんな感じだったと思いだしながら、緑の深い碓氷の谷を見下ろし、そして四方の山を眺めることができた。

<碓氷峠の見晴らし台>

 残念ながら、浅間山は雲の中で見えなかったが、妙義山が変らぬ山容のシルエットを見せてくれた。ぽかぽかと暖かい光の中で、時間がたつのを忘れて見入っていた。もう二度と、ここに立つことはないだろうと、自分に言っておいた。

<妙義の山並み>

 やっと、宿題の一つを終えることができたて、ヤッタゼーと言葉が漏れ出した。.

<彼方の山並み>

 

参照

散文詩 「しなの」 (1960年10月)

 

ひとり、横川から碓氷峠への道を、
  ザックをしょって歩く。
   秋の軽井沢、もうだれも帰ってしまって

 しずかな木立の落ち葉をふんで歩けば、
  視界をさえぎる木々の中を歩めば、
   沢の水音がきこえる。
    さわさわという音のみが

 (中略)

 妙義の見える峠に立って、
  浅間の見える峠に立って、
   秋の日差しの温かさを背に感じる

 

参照終わり

 

P.S.

熊ノ平駅のライセンスは、パブリック・ドメイン

碓井第三橋梁のライセンスは、パブリック・ドメイン