M.シュナウザー・チェルト君のパパ、「てつんどの独り言」 

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焼き鳥の店たち

2021-08-01 | エッセイ

 これまで、沢山の店に行ったけれども、記憶に残る店は数少ない。

  焼き鳥と言うと本当の鶏の方、ネギ間などを思い出すとかもしれないが、僕が言っているのはもっと安いもつ焼きで、関西では ホルモン焼きといっている店の話だ。

 関わりの古い方から話していくと、まずは浅草の 鈴芳ということになる。 もう50年以上通っている店になった。 最初、この店を見つけたのは、もう亡くなった親友の炬口勝弘と浅草を歩いた帰りだった。貧乏な学生二人が、金がないけれども何か飲みたいということで、見つけたのは浅草寺の裏の方にある、薄暗い屋台をつないだような店の一つだった。

<煮込み通り>

  毎年、1回は必ず女将の顔を見に行くことになっている。注文するものは常に決まっている。飲み物はまずレモンハイ、そして焼き物としては、タン、カシラと、お新香は必ずだ。 大体は、もつ煮も追加するのが定番だ。時には、ツブ貝という珍しい一皿を取ることもある 。

<ツブ貝>

 ここの女将は、口数少なく淡々とお客を扱っている。 顔見知りだからと言って、愛想もない。いらっしゃいとも声はかからない。僕にとってはそれが普通だけれど、口コミなどを見ると、つっけんどんだと映ることもあるらしい。それはそれでいい。一つ嫌なことを挙げるとすれば、それは禁煙ではないことだ。もともとは浅草の馬券売り場の近くで、競馬新聞を見ながらラジオやテレビを見ているという客たちの姿が思い出される 。僕も、タバコ好きだったけれど、あるきっかけであっさりやめた。その後、タバコの煙が気になってしょうがない。人っていい加減なものだ。一度、女将さんにその話をしたけれど、ここは禁煙にはできないと断られた。 競馬の客のおじさんたちが大多数だったのだから、当然だった。

 女将の焼き物は、本当にうまい。もともとは本当の炭で焼いていたが、最近は違うようだ。しかし、時間をかけてじっくり中まで遠赤外線で火を通した焼き物は、しかし、柔らかい。これはやっぱり一つの技術だと思う。

 一度、40年も前から来てるよと声かけたら、旦那を覚えてるかいと聞かれて、僕は覚えてなかった。話はそこで切れた。

 もともとは女性の客は見られない店だったが、最近は客層もどんどん変わって、女性一人で飲みに来るという姿も普通になった。 子供連れで飲みに来る客もいる。チビたちが騒いでいる前で、レモンハイを飲んでるのには、ちょっと違和感があるが仕方がない。

 コロナのせいで、この一年ほどは一度も行っていない。 店は大丈夫だろうかと思いながら、僕自身が ウィルスの抗体ができるまではと我慢している。 

 次に古いのは、やはり今もやっている新宿の思い出横丁にある宝來だ。

<第一宝来>

 ここは元祖、もつ焼きの店と言われている。最近10年ほど行ってないけれど、大学時代は、ここでウンとお世話になった。大学の助教授Mさんが、西武新宿線の下井草に住んでいたので、他の友達と一緒に遅くまでMさんをはさんで、間口の狭い店で呑んでいた。ここは、隣の人と肩と肩が触れ合うようなカウンターだけの店だ。 ここでも、タン、ハツ、レバー、そしてレモンサワーとお新香は欠かせない。問題は、すごい煙(焼き鳥とタバコ)で煙いということと、混んでいて必ずしも座れないということだろうか。 並んで待つしかないけど、でも入りたい店だ。

 大人数の時には、当時第三宝来と呼ばれた、中央線のすぐ下にある大きな店の方に行っていた。 ここには、二階もあって、大勢でも集まることができたので、M先生を交えて、飲み会をここやったこともある。今は第二宝来と言っているようだ。

 話し足りないと、下井草の先生の家まで押しかけて深夜まで酒を飲みながら話したものだ。新婚の奥様には、大迷惑な学生たちだったに違いない。大学時代の先生との交流としては、この M先生が一番深い付き合いになった。しかし、僕の卒業後、70年安保では学生との大学側の交渉役となって、最後には大学を変られたと聞いている。残念ながらもう故人だ 。今でも、人を引き込む笑みを思い出すことができる。

 三番目に古い店は、大阪難波の焼き鳥だと思う 。

<カンテキ>

 関西ではホルモン焼きという。小さな七輪 (関西ではカンテキと言っていたと思う)で、客自身で焼くことになっている。ここには親しい友達と大阪・神戸の旅のスナップとして、昔の市大時代の記憶をたぐりながら探し当てた店だった。 焼き物はもつ。 なぜか関西ではホルモン焼きという。 東京と違うのは細く刻んだ柔らかい青ねぎがふんだんに乗っけられて、香味として使われていることだ。焼く人は客自身。店の人は焼き加減を見ていて、食べ頃を教えてくれる。

 一緒の友達と東京弁で喋っていると、店の人は2回目には覚えていて、肉の盛が良くなった気がする。 南海の難波駅から千日前に向かう通りの、店の前にはカンテキが並べられて、炭をバタバタしながらカンテキに炭火を入れている様子が懐かしく思い出される。 大きな声の関西弁で店の人が、客とおしゃべりを楽しんでいたことを思い出す。 コロナなんかでは、どうなっちゃったんだろうと心配している。

 四番目に記憶があるのは僕が 自由が丘に住んでいたころ、駅を降りて左の方に道を辿って行くと右側にモンブランがある。その手前を左に曲がっていくと、これが自由が丘かと思うほど細い地味な道が続いていて、その 入り口には豊川稲荷と書かれた鳥居が立っている通りにある店だった。

<豊川稲荷の赤鳥居>

 自由が丘を離れてからも、何度か覗いて楽しんでいたの だが、最近無くなったようだ。残念。 ここへは、一人で行ったことの方が多いと思う。一人の客を一人にしておいてくれる店は、僕はいい店だと思う。

 最後は、ちょっと気になってもいるのだが、コロナのせいで行ってない店がある。お加代だ。

<お加代>

 横浜駅西口を鶴屋町の方向に歩いて行くと、運河の手前にある店だ。ここも小さな店で、カウンターのみで10人も入ったらいいところだ。ただ裏道から登っていくと2階もあるから、同じものをそこでも食べることができる。こことの付き合いも長い。

 今は息子さんが店を継いでいるが、最初に行った頃は、強烈なジャイアンツファンの親父が居て、ジャイアンツの話をお客としていたことを思い出す。 ちなみに僕はアンチ・ジャイアンツなのだが、店に惚れて通っていた。 ここは タン、ハツの他にも、気になるネタを焼いてくれた。いわしだとか、じゃがいもだとか、野菜類も串焼きで焼いてくれる。銀杏が大好きだから、必ず注文していた。 もちろんお新香は焼き鳥にはつきものだから、必ず頼んでいた。 焼き鳥は目の前で焼いてくれるが、2階が料理の厨房になって居て、料理を運ぶための木製の箱のエレベーターが、下と二階を往復していた。

  ただここで問題だったのは、まずは隣の人が平気でタバコを吸うこと。飲み物にレモンハイがなかったことだ。しょうがないから 焼酎をウーロンで割って飲んでいた。 コロナが要求する「客と客との距離」をどう稼ぐか、見てみないとわからない。 でも必ず行ってみたい店だ。

 付録として、銀座で昼間に酒を飲みたくなったら有楽町のガード下、とんとんがおすすめ。昼間は、なかなか居酒屋は見つからない銀座だ。緊急避難的な店としておすすめする。

<登運とん>


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