移住先に選んだメルボルンのことは、もう書いたから、その他のオーストラリアの印象も書いておこうと思う。
僕が最初に(1986年)オーストラリアに着いたのはシドニー。日本からクアンタスで9時間。屈強な男のCA(スチュワード)に睨みつけられながら到着して、座席でオーストラリアの防疫官に頭から消毒スプレイを掛けられた。とても野蛮な国だった。
オーストラリアには、僕は3回、行っている。
一度は、コンサルタントの仕事。オーストラリアのI社から依頼されての旅だった。この時に、シドニー、キャンベラ、メルボルン、名前も覚えていないいくつかの町(タクシーのような飛行機でしか行けない場所)、そしてI社の事業所があったワンガラッタ。
二度目は、半分仕事で半分は自分の、アジア・パシフィック製造業IT学会でのシドニーとメルボルンの論文発表。
そして、三度目は、住処を探すハウス・ハンティングの為のメルボルンで、これはまったくの私用。
ホテルは、いつもリージェントだった。しかし、今は、メルボルンはソフィテルに、シドニーはフォーシーズンズに買われて名前が変わっている。
首都キャンベラはコンサルのクライアントのある町だったから、いやでも、最初は挨拶と背景の説明を受けるのでキャンベラへ。最後もやはり、総括をしなければならなかったから同地へ。オーストラリアン・サルートの出迎えを受けたのはここ。羊が多すぎて蠅だらけ。顔に飛んでくる蠅を追い払う姿が、歓迎の為に手を振っているように見えた。決して、挨拶ではなかった。
<キャンベラ>
シドニーとメルボルンが張り合って、その中間に人工的に作った首都がキャンベラ。何にもない人口の町。国会議事堂から、オーストラリア政府庁舎など、全てが人工的だ。大噴水を除いて、全く魅力のない町だった。
一つ発見があったのが、スパナー蟹(Spanner Crab=工具のスパナー、レンチともいう)だ。キャンベラのショッピングセンターのウインドーで見つけた。日本にはいない蟹だった。腕と爪が、スパナーの格好をしている。了解を取って、写真にとったけれど、美味いと言われたが食べてはいない。
<スパナー蟹>
シドニーは、オーストラリアで今は一番大きな街。メルボルンとその地位と大きさを張り合ってきた街でもある。18世紀の末にイギリスに発見され、植民地化されたオーストラリアだが、最初にイギリス人が住み着いたのがシドニーだと言われている。さらに、イギリスから囚人たちが、労働力としてたくさん運ばれてきたようだ。
リージェントホテルから見るオペラハウスのあるシドニー湾は美しい。ハーバーブリッジも印象的だ。しかし、おおざっぱにいうと、シドニーは狭い土地に沢山の建物が建て込んで、まるで東京か、ニューヨークのマンハッタン、香港のようだという印象を持った。これはメルボルンとは大きく違った。
<ハーバーブリッジ>
ホテルはリージェント。一番印象的だったのは、ウエルカム・ティーの素晴らしさだった。まっしろのカップに、濃い赤紫の液体が入っている。ハイビスカスティーだった。甘酸っぱさが、疲れをすっと失くしてくれた。(日本でも探して、その後も、愛用させてもらっている)
せまい街だから、市内はだいたい歩いて行ける。シドニーでは仕事をほとんどしていないから、楽しんだ記憶だけだ。国際的なコンピュータ利用の製造業学会で、論文発表した時に楽しんだわけだ。
一番心を打たれたのは、クラシックなクイーン・ヴィクトリア・ビルディング(QVB)だ。えっと思った。まるで、ヨーロッパのアーケードのようだ。考えてみれば、イギリスの植民地だったのだから、そんなモールがあっても不思議はない。内部の装飾、4階建ての吹き抜けの大きな時計、個々の店の個性あふれるウインドーも楽しめた。
そして、これと対照的なのがダーリング・ハーバーのコンヴェンションセンター。ここで学会が2日間にわたって行われた、モダンで近未来の建物。ホテルや、ショッピングセンター、食事が出来る店がダーリング湾に面してセットされている。QVBの近くから、オーストラリアでは唯一のモノレールで、シドニーを俯瞰しながら、短い旅が出来る。こんど調べたてみたら、2013年にモノレールは廃止されていた。残念。
<コンヴェンションセンター>
食べ物では、キングスクロスの怪しげな街を歩いてたどり着くBlue Angelのタスマニアで取れた伊勢海老だろう。彼らはロブスターと言っていたが、明らかにロブスターではない。大きな爪が無いからだ。Spiny Lobsterと言うのが、ほんとらしい。
客は、水槽に泳ぐ伊勢海老を選んで、刺身にしてもらう。この店では、珍しくわさび醤油で刺身が食べられる。日本人がオーストラリアで伊勢海老を食べだしてから、オーストラリア人も伊勢海老を食べ始めたようだ。イタリア人のウエイターもいる、陽気なイタリアンレストランだった。
<ブルーエンジェル>
あとは、日本I社の大先輩、KNさんの家に呼ばれた記憶。シドニーから電車で、北に20~30分で着くGordonのプールつきの自宅に呼ばれ、久しぶりの日本食をごちそうになった。
実は、オーストラリアI社のコンサルの仕事の他に、KNさんが工場長をやっていたI社ワンガラッタ工場のコンピュータシステムと、オペレーションの構築という仕事を頼まれていた。KNさんに頼まれたのだから、やるっきゃない。生産技術の専門家と一緒に、短期間でPCの製造の為のシステム概要を設計した記憶がある。今、調べてみると、ワンガラッタにはもうI社の工場は無い。
僕のオーストラリアへの移住計画は没になったが、オーストラリアは、やはり行ってみたい国だ。シドニーよりメルボルンのほうが、よりやはり懐かしい気がする。
もう一度行ってみるか…と思ったりもするが、9時間のフライトは避けたい気もある。心が揺れている。
P.S.
「住めなかった街 メルボルン その1」は、下記のアドレスから
http://blog.goo.ne.jp/certot/e/b580b5560d9ab51fdbf1b8bd822d3ff7
「住めなかった街 メルボルン その2」は、下記アドレスから
http://blog.goo.ne.jp/certot/e/6e9b463d610daa29b866ff5165532753
注:<ハーバーブリッジの写真は、flickrからGreg O’Brieneさんの“Harber Bridge”をお借りしました>
この 作品 は クリエイティブ・コモンズ 表示 2.5 一般 ライセンスの下に提供されています。