僕を精神的に再構築してくれた岡野先生の13回忌の知らせが飛び込んだのは、8月の始めだった。1995年以前からの付き合いのある、先生の生徒の一人、Kさんからだった。岡野先生は2007年9月2日に沖縄で亡くなられた。その年の9月24日に市ヶ谷のアルカディアで開かれたお別れ会には、僕はそのころ、仙台で心臓君の病気との戦いの最中で、とても上京できる状況ではなかった。欠席した。結果として、ちゃんとお別れはしていなかった。
<岡野先生の遺影>
Kさんとの往復書簡(E-Mail)を中心に書いてみる。
Kさんより
岡野先生十三回忌の案内です。予定日は8月31日です。残暑が厳しい状況でしたら、ご無理をなさいませんように。
僕より
岡野先生の13回忌の件ですが、Kさんの情報と、僕の持っている1994~6年の研究会リストで、僕の印象に残っている方々の名前をマッチングしてみました。
残念ながら、Nさんだけでした。彼が亡くなったと聞いて寂しくなりました。Iさんには、その後も研究部会で、何度か会っていますが、特に…ということはありません。リストにはありませんが、KJさんやUZさん、SKさんなどが記憶にありますが、今回の招待リストには入っていないようです。
今の形での「研究部会」への移行について、検討会が2000年に大井町の「きゅりあん」で行われたのをよく覚えています。そして、僕は自主ベースの研究部会には、反対だと、先生の前で話したことを記憶しています。先生の「属人性のカリスマ性」があってこその研究部会でしたから。それに、昔は深い勉強もしていました。TA論文もオリジナルの原稿(英文)で沢山読みましたね。
FさんとKさんが頑張っている自主運営「研究部会」にも、何度か出ましたが、カルフォルニア、タホ湖のミュリエル・ジェームスの主催する二週間のワークショップの同級生が、講師になって出ています。SCさんとか、亡くなったNKさんとかです。彼らのことは、よく知っています。彼女たちから、得るものは??となったので、出席しなくなりました。
こんなことを考えている今日、正式なメールをYさんから頂きました。電話でも話したように、僕一人で岡野先生の墓参りは済ませようと決めました。あまりよく知らない人たちと一緒に、僕の「父」、岡野先生を語りたくないというのが本音です。体力的にも、ちょっと自信がないので、「欠席」のメールをだしておきます。Kさんが、誘ってくれて嬉しかったのですが、こういうことにします。
I社の早期退職後、1995年に始めた、TAベースのパーソナリティ&コミュニケーション・カウンセラーの仕事は、心臓君の機嫌が予測できないので、アポイントメントが取れなくなり、ドタキャンでクライアントに迷惑をかけることもあったので、2007年で新しいクライアントを取るのはやめました。古い人が数人、今も付き合いがありますが、もうボランティアベースです。
Kさんより
お一人での墓参、了解です。私も一人で...駅から向かいのモールへ渡り、花店でバラを買って、あれこれと昔を思い出しながら、ゆるゆると坂道を上っていく…。時間も気にせず、ゆるゆると時を過ごすほうが好きなのですが…。
あれから四半世紀、OHさん、Sさんも旅立たれてしまいました。一緒にご冥福を祈っておきます。まだ猛暑が続きそうです。ご自愛ください。また、時おり勝手な生存連絡メールします。
以上が、8月のメールのやり取りでした。
僕は、8月10日に一人で、岡野先生の墓参にまいりました。戸塚の静かな墓苑で、よく手入れされていました。
<墓苑>
先生には、本当に感謝しています。今思い出すと、とても鼻持ちならない、若い僕の性格と行動を見て、僕に対するコーチングをひき受けていただきました。
<先生の研究所リーフレット>
徐々に、僕自身が、僕自身の行動をモニターししながら、相手の受け取りかたを推測できるようになりました。そして、リアルな自分と、行動に現わしている自分とのギャップを埋める努力を続けました。そんな時間が十年ほど経過し、そのギャップが消えていったのは幸せでした。自然体で生きることができるようになっていました。
僕は、自分自身の意識から自由になったわけです。そんな変化を、僕の部下達も認めてくれているというデータも取れました。本当に岡野先生に救われました。
<岡野先生の墓>
9月が終わり10月の秋、僕の単独墓参の報告がてら、合同の墓参りはどうだったのかとKさんにメールしました。
Kさんより
合同墓参の件、司会と進行係りで、ゆっくり岡野先生との時間も持てず慌ただしい流れでした。
<合同墓参の写真 Tさん撮影>
生きているうちに、どこかでKさんとは会っておこうと思っています。
僕にとっては、心の「父」、岡野先生を2007年に、そして、心の「母」のミュリエル・ジェームス博士を、昨年(2018)のバレンタインに102歳で亡くしました。
<ミュリエル 99歳当時>
これで、実母、実父のみならず、心の父母を亡くしたことになりました。わがままな僕を見守ってくれる人たちを失って、ちょっと、空っぽの気持ちです。
P.S.
そういえば、ミュリエル・ジェームズのワークショップへの参加は、岡野先生の紹介で実現したものでした。