M.シュナウザー・チェルト君のパパ、「てつんどの独り言」 

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久しぶりの野毛山

2018-05-20 | エッセイ


 本当に久しぶりに、野毛山動物園に行ってみた。半日ほどの暇な時間が出来たからだ。冬には家に閉じ込められていたから、無性に出かけてみたいのだ。



 この前、野毛山に行ったのは、ちびたちと一緒だったから、40年くらいも前のことだ。その頃は、横浜の動物園と言えば、野毛山だった。ズーラシアや金沢動物公園などはずっと後になってできた動物園だったからだ。ズーラシアには、野毛山から動物が引っ越したとの記憶がある。

 野毛山での出来事は、僕ははっきり覚えている。ちびたちが覚えてかどいるかは訊いてみないと分らない。記憶、印象の中のどこかに、ひっかてっているだろう。

 その頃の野毛山のチンパンジーの檻は、山の中腹にあった。見る人は、道を登って、檻に近づく位置関係にあった。檻に近づいてみると、看板が立っていた。「サルがウンチを投げることもあるので、ご注意ください」とあった。

 頂上まで上がって、キリンを見た。キリンの檻は、僕たちと同じ高さの地面から上に高く伸びたものだった。だから、僕たちは、キリンを下から見上げる位置関係にあった。キリンに食べ物を上げることが出来たので、何かを差し出した。すると、上の方から、長い舌を出して、食べ物を巻き取って行った。その時、キリンの舌はこんなに長いのだと、驚いた記憶がある。さらに、キリンのよだれが、上から降ってきた。慌てて逃げたと覚えている。僕が下のちびは抱いて、慌てて逃げた。

 一番のお気に入りは、レッサーパンダだ。茶色のフワフワした毛の尻尾と、顔がかわいらしい。みんなでじっと見入っていた。僕は、今でもそうだけれど、ジャイアントパンダより、レッサーパンダの方が可愛いと思っている。上野に子供を連れてパンダを見に行ったのも覚えている。たった15秒間のご対面だった。それが原因ではないけれど、レッサーパンダが好きだ。それはちょうど、僕がコアラより、ウオンバットの方が気に入っているのと同じことだ。

 キリンとレッサーパンダを見て楽しんで、みんなで、帰りの坂を降っていた。すると、チンパンジーの檻の当たりが騒がしい。近づいてみると、みんながワーッと言いながら、檻から逃げていた。僕たちも檻から離れて、逃げた。確かに、彼のウンチが、檻越しに飛んできていた。危険だった。彼が、自分で僕たちにぶつけるために投げていたのだ。匂いと、剣幕に追われて逃げ下った。確かに看板に偽りはなく、危険だった。

 今回行ってみると、キリンの檻は、観客が見下ろすようにできていて、頭の上から、よだれが落ちてくるようなことは無いように設計されていた。僕も、恐れることなく、近づいてシャッターを切ることが出来た。優しい顔をしているなと、イメージが変わった。





 チンパンジーの檻は、観客から遠く離して作られていた。しかも、細かい檻が内側に、外側には普通の檻と、二重になっていて、簡単にうんちが飛んでくることの無いように考えられていた。被害者は、無くなっただろうと、思った。



 僕は心臓君の問題があるので、広くもない園内をすべて周ることはせず、今回は、キリンと、レッサーパンダに時間をかけた。



 レッサーパンダは、本当に可愛い。一頭は、小屋の中から顔を出し、僕たちを見つめていた。もう一頭は檻の周りの小道を、飽きることなく回ったり、逆回りをしたりしていた。仕草は可愛い。撫でてみたいと思ったけれど、それはかなわなかった。見飽きることはなく、かなりの時間、パンダ舎の前に僕はいた。





 今、野毛山動物園の入場料は無料だ。パンダ舎の側に募金箱があったので、500円玉をチャリンと落としておいた。もっとわかりやすい募金箱を造ったら、もっと寄付が集まるのにな…と思った。

 僕は今回、レッサーパンダと、キリンと、シマウマと、チンパンジーだけを見て、出てきた。約2時間位の短い滞在だったが、十分に楽しめた。身近にある動物園は、とてもいい。アクセスがバスだけというのは、ちょっと…だが、小さい子供たちの動物との最初の出会いとしては、十分楽しめる動物との触れ合いの場だ。頑張ってほしい。





P.S.
1.ウオンバットは、前には金沢動物公園にいたのですが、今は天国だそうです。聞いてみると、関東地方にはウオンバットはいないようです。金沢が最後のウオンバットだったわけだ。残念。
2.レッサーパンダは、ズーラアシアにもいるようです。

会社の昼食でワインを飲む

2018-05-06 | エッセイ


 先日、珍しくNHKのTVを見ていたら、「福沢諭吉は、ビールは酒ではない」と言っていたとの話が出た。フッとそれで思い出したことを書いてみる。

 あれは僕が30歳の時、イタリア・ミラノに駐在したときのことだ。初めての外国だったから、いろいろ、新しいことに出会って面食らったことがたくさんある。

 ミラノのオフイスが手狭になって、僕の担当部署だった製品開発製造の仕事は、ミラノから北東に20キロくらいのヴィメルカーテという郊外に新築されたサイトに移転した。僕は、ミラノのガロファロ通りのマンションから、車で通勤していた。



<ミラノ・ヴィーメルカーテ>

 驚いたのは、昼食のカフェテリアで、ワインの小瓶を出していたことだ。みんな平然として、会社のカフェテリアでワインボトルを開けて飲んでいた。ちょっと日本では考えられない光景だった。そのうち、それがイタリア流だと知って、僕も小瓶一本を飲むようになった。中には、豪快に2本以上飲んでいる人たちもいた。午後3時くらいまで、赤い顔をして仕事をしているのを見かけた。でも、それは普通だった。



 子供の頃から、家庭でワインを水で薄めて飲んで育ったわけだから、彼らにしては、当たり前だったのだ。それに、イタリアの聖餐は昼食という伝統があったから、みんなしっかり食べていた。日本のように、ラーメンとかうどん一杯で終わりとはいかない。例えば、プリモはパスタ。メインはビステッカ(牛ステーキ)、ホウレンソウのバター炒め添え。サラダやフルーツ、チーズもちゃんと取る食事だったから、ミネラルウオーターだけではもったいないと、ワインは必要だった。



<ドイツ・ジンデルフインゲン>

 ドイツでは、ワインの変わりはビールだ。やはり、スュトゥッガルトの南西18キロくらいにあるジンデルフィンゲンでも、昼間、カフェテリアでビールを出していた。大体、彼らは朝6:30くらいから働き始めるから、朝食の小休憩があった。さすがに、朝は飲んではいないけれど、昼飯にはビールをでかいグラスで、深沢諭吉の言ではないが、水のように飲み干していた。あっけにとられた。同じドイツのマインツの事業所でも、同じ光景が見られた。あまり赤い顔をした人は見たことがない。彼らは大体4時半に仕事を終える。



<ドイツのビール>

 イギリス。ロンドンから南西100キロくらいにあるハンプシャー州ハバントでは、カフェテリアにはビールは置いていなかったが、食事が終わると近くのパブに出かけて、みんなビールを飲んでいた。もう、不思議な感じはなくなっていた。



<イギリス・ハバント>


 フランスでは、言うまでもなくワインだ。南仏モンペリエでは、カフェテリアでワインを飲んでいた。ワインの無い食事は、彼らには考えられない。逆に言えば、ワインと、パンとチーズがあれば、もう立派な食事だと言えるのだ。会社にいるとはいえ、ワインなしの食事はとらない。そのころから、ラングドック・ルッションで、うまいワインが作られ始めたから、それを逃すはずもない。



<南仏・モンペリエ>

 同じく、コートダジュールのニースの近くにあったラ・ゴードでも、ワイン付きの食事を終えて、研究所長をはじめ、お偉いさんも一緒になってペタングをやって楽しんでいる昼休みが思い出される。



<パリ、ラ・デファンス>

 パリのラ・デファンスのヨーロッパ・ヘッドコーターでも、カフェテリアでワインは自由だった。かなりのフランス人が飲んでいた。僕は、ここでは遠慮しておいた。ここに来たのは、EMEA(ヨーロッパ・ミドルイースト・アフリカ)の一週間ほどの会議があって、慣れないフランス語なまりの英語での会議に参加するためだった。で、酔った状況では、会議についていけないなと自戒したからだ。しかし一度、会議の無い日、EMEA本社ビルから、みんなとIBMフランスのカフェテリアに空中歩道を渡って行ったことがある。さすがフランス。ワインの種類も選べて、僕もワインを飲んだ覚えがある。



 アメリカでは、たくさんのサイトを訪れたが、もちろんワインどころか、ビールにすらお目にかかったことはない。やはりピューリタンの国なのだ。オーストラリアでも、昼に飲んだ記憶はない。

 日本においては、昼飯にアルコールが許されるなんてことはない。大和研究所のカフェテリアが最先端のデザインでも、ビールもワインも出なかった。

 逆に、昼飯のビールを羨ましいと思った思い出は結構ある。

 あれは、藤沢のアプリケーションをやっていたころのことだ。土日、休日にはカフェテリアは当然閉まっている。仕方がないので、湘南台駅近くの中華料理屋から出前を大量に、カットオーバーに参加したグループの分を取ったことがある。でも、餃子は、べったりとなり、タンメンは伸びに伸び切ってしまったまずいものだった経験がある。

 仕方がないので、数台の車に分乗して、最寄り駅の中華屋さんに昼飯に出かけるのが常だった。そこで目にしたものは、同じ部の顔見知りが、餃子とビールをうまそうに飲んでいるのに出くわした。気持ちでは咎めそうになったけれど、待てよと考えたら、コンピューターのオペレータの部下たちが、夜勤明けに緊張から解放されて、ビールを飲んでいたのだ。この時ほど、昼間のビールと餃子に惹かれたことはない。

 やはり福沢諭吉は間違っていた。日本では、残念ながらビールは酒なのだ。