<飛行図>
オーストラリアには、数えてみると、3回行っている。
最初は、IBMオーストラリアからコンサルタントとしてよばれた3週間。二度目の1週間は、CIM(Computer Aided Mfg.)の論文を、オーストラリアの学会に応募したら選ばれて、シドニーとメルボルンで論文発表することになり、過ごした楽しい時間。そして、最後の2週間は、永住許可が下りたら住む場所と決めていたメルボルンに、具体的な居住地を探す旅だった。合計6週間だが、だいたいはメルボルン近辺で過ごしたことになる。
最初に飛んだのはシドニー。そこから乗り換えて、クライアントのいる首都キャンベラに向かったのだが、各々の空港で不思議な体験をした。
<シドニー空港 By Mathiuemcquire Creative Commons BY-SA 3.0>
一つ目は、シドニーで入国手続きをするためにカンタス機から降りる際、全く考えられない扱いを受けたことだ。機内にすべての乗客を閉じ込めておいて、そこにオーストラリアの防疫官がやってきて、乗客の頭上から薬品を噴霧したのだ。説明もなく行われた、とんでもない仕打ちだった。確かにオーストラリア大陸は、他の大陸とは切り離された独立した大陸だから、オーストラリア特有の動植物の保護のために、他の大陸からの細菌などの検疫を厳しくする必要があるが、まるで乗客を保菌者のように扱かったのは、非常に不愉快だった。二回目以降は、そんなやり方ではなくなっていたが…。
<キャンベラ空港>
次に疑問だったのは、キャンベラ空港に着いたら、空港の屋上からたくさんの人が手を振ってくれるのが見えた。こんなに歓迎を受けるのは変だなあと思ったが、僕たちも、まどから手を振って応えておいた。しかし、後になってオーストラリア人にこの話をしたら、ゲラゲラと笑われた。聞いてみると、人間の人口の8倍ほどの羊がいて、それにたかるハエが多いらしい。キャンベラで手を振っていたのは、自分の目や鼻にたかるハエを払っている仕草だったのだ。これには、“オーストラリアン・サルート(Australian Salute:オーストラリアの敬礼)”というあだ名がついているとのことだった。苦笑しながらも納得。
<スパナー蟹>
メルボルンとシドニー(710km)の中間に、二都市の綱引きの結果の妥協の産物として作られた人口の町、首都キャンベラにクライアントの本社はあった。コンサルタントとして、クライアントの要求を聞き、その後、結果を報告するためにキャンベラに行ったのだが、印象に残ったのはスパナー蟹だ。皆さんは、ご存じですか?形がスパナー(モンキーレンチとも呼ばれる)のような形をした蟹で、うまかった。人工的なキャンベラという街には全く興味はなかったが、この蟹だけは、今でも覚えている。日本では見たことがない。
<メルボルン空港>
メルボルンの郊外に散在するクライエントのサイトを5か所ほど回って、現状調査を行ったのだが、その足がエア・タクシーだった。150キロも離れたところには、車では時間がかかる。そこでオーストラアでは、エア・タクシーといって、小型機をチャーターするシステムがある。
<エア・タクシー>
はっきり覚えているのは、Bendigoというメルボルンから140㎞程離れた田舎町に行ったのがエア・タクシーでの日帰りだった。チャーター機だから、エア・タクシーは空港で、客の帰りを待っている。
<ベンディゴの飛行場>
オーストラリアIBMの仕事のほかに、日本からWangarattaに工場長として赴任された、藤沢の恩人Nさんの要請で、キャンベラから定期便だけど必ずしも飛ばない(客がいないと飛ばない)という定期便に乗った。それが、エア・タクシーより小さな、単発の乗客定員4人の飛行機だった。僕たち二人と、子牛のようなでかい若い女性客一人の飛行だった。彼女はでかくて、二座席でやっと収まるくらいのヒップの持ち主だった。この単発機にしては重くないか…と思ったが、単発機はエンジンを全開にして、ふらふらと飛び上がった。キャンベラらから280キロの飛行だった。途中には、結構高い山もあり、不安な飛行だった。
<ワンガラッタの飛行場>
論文発表は、シドニーではダーリング・ハーバーのコンファレンス・ホールで、メルボルンでは、スインバーン工科大学のホールで行われた。
<スインバーン工科大学でのパーティー>
オーストラリアの真冬のクリスマスのシーズンだった。ホットパンツの、女性のサンタさんがいて、びっくりしたのを覚えている。南半球の真冬は経験したことがなかったから、日本に帰ってきたら真夏。時差がないのはいいのだけれど、その温度差は30度近くて、大変な思いをしたのを覚えている。
最後は、メルボルンに住むと決めていたから、どの地域に住むかを探す旅だった。メルボルンにひかれたのは、トラムでどこにでも行けるということ、四季が明確にあること、そして彼らの話す英語が、日本人が学校で学んだキングスイングリッシュ(?)で、分かりやすかったことにある。大きなクイーンヴィクトリア市場もあり物価も安く、さらには世界中の国の人たちが暮らすから、いろいろな国の食べものが簡単に食べられることも魅力の一つだった。オーストラリア人の友人とも話して、メルボルン郊外のF1でおなじみのアルバートパークの先、南極海に面したセントキルダ地区と決めた。
<メルボルンのトラム>
その後、東京のオーストラリア大使館にVisa Applications Form1025iを出すことになって申請に行ったら、指定のクリニックでの健康診断が要求された。そこで、ぼくの心臓の病気が明らかになり、オーストラアリアに住むという夢は砕けてしまった。
<ウオンバット>
もう一つ、オーストラリアでなくてはできない僕の夢、ウオンバットを飼うという夢もかなわなかったのだ。残念無念だ。
P.S.
メルボルンについては別途、「住めなかった街 メルボルン」として2編のエッセイを書いてます。
https://blog.goo.ne.jp/certot/e/b580b5560d9ab51fdbf1b8bd822d3ff7