M.シュナウザー・チェルト君のパパ、「てつんどの独り言」 

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コロナの10か月

2020-12-27 | エッセイ

 

 僕の2020年月間カレンダーは、3月~12月まで各月に「コロナ」という赤字で埋められ、基本的には空白です。

<COVID-19>

 この10ヶ月間、生きるために最低限、必要な行動をやっているのみです。

 ・生活のために必要な買い物

 ・心臓に持病の僕は、通院が必要。 最低限オンラインで薬を出してもらう

 この二つは欠かせません。今年は何もない空白が過ぎて行くということです。バケット・リスト(くたばるまでにやっておきたいことのリスト)を眺めてみると、僕は幸運だったのかもしれないと思います。やっておきたいことや、旅などにおいては、ほとんどが昨年(2019)で完了しています。

 残念なのは、オーストラリアの「メルボルン行き」ということになりました。しかし、考えてみると、11時間もかかるフライトでは心臓への負担大ということで諦めるべきかもしれません。コロナ禍で密閉空間 11時間は、精神的にも耐えられないと思います。だから、このことは達成することは不可能だろうと思っています。仕方がない。

 お世話になっている Facebook に、僕の好きなオーストラリア固有な動物、ウォンバットを扱っているグループがあって、そこを見ながらクスクス笑っています。まあこれで我慢するしかないのかもしれません。ウォンバットを飼うというのが、オーストラリア永住プランの一要素でしたから。

<ウオンバット by Wombat Awareness Organisation シェアOK>

 旅というのは大げさですが、ここ横浜から見て、どうしても行きたいなと常に思っているのは東京です。僕の故郷です。行ってみたいところは、銀座、浅草、そして谷中ということになるでしょう。何か残念かと言うと 、僕が毎年見ていた上野の展覧会、日比谷の映画祭などの行事が全て中止になり、リスクを犯して見に行こうかなと思っていた西洋美術館の展覧会も、内容をネットで見るとリスクと比べて結果としては…ということになり中止。とにかく電車には乗りたくないので、行くとしたら車で行ける所に基本的にはなってきます。

 会っておきたい人のリストを眺めてみると、未達は他人が4名。身内が6名いますが、なかなか、お互いに会おうという機会はできなくて、未達のままです。まあしょうがないかとも考えています。このまま何もできずに12月が終わると、速、歳をとるとことになります。

 どこかで書いたのですが、新型コロナは、地球の創造主からの人間に対する警告だと思っています。あまりにも人類が地球に対していろいろ、やりすぎたということへの厳しい警告ではないかと考えています。つまり1950年を境として、人口が増え、GDP が増え、結果としてCO2が 異常に増えています。これは統計で裏打ちされている事実です。

<GDP>

<CO2>

 その結果、僕たちは自然を失い、さらに必要以上に自然を壊して入り込み、結果として人間には未知だったウイルスの新型コロナに遭遇し、その結果、今の辛い時間が始まったわけです。

<COVID-19 vs 人類>

 創造主としては、CO2を排出しない 他の動物達や優しい植物達に、やさしい地球を取り戻す必要を感じているのかもしれません。彼には人間は動物の中の一種でしかないのです。

 人間の生活の仕方を、大きく変える必要があるのだろうと思います 。GDP 至上主義で大きくなればいいという世界ではなく、折り合いをつけた生活に戻らざるを得ないという状況を、コロナと言う武器を使って創造主は警告しているのだと理解しています。

 皆さんはワクチンで完全に予防できると思っていますか?どうも、抗体の寿命は期待に反して短く、数か月の免疫効果しか持てないようです。常にワクチンを打ち続けなくてはなりません。

 先進国のなかでは、SGDS (Sustainable Development Goals = 持続可能な開発目標)を公式に掲げて、国の運営を、もしくは都市の運営を考え、実行し始めているところも見られるようになりました。

<アムステルダム リング>

 一番進んでいるのは、オランダ・アムステルダムだと思います。基本コンセプトは、イギリスの経済学者ケイト・レイワースさんの発明です。それを、アムステルダム流に解釈し、展開し、実行可能なアクションプランに起こし、動き始めています。

 オランダは先進国の中では、異常気象から最初に、しかも最大に大きな影響を受けると思います。オランダは人間が作り出した国土が大半で、海面が5メートル上昇すれば、ほとんどの土地が消えうせることになるでしょう。だから、環境破壊に対しては、厳密な計画を持って対処する必要があるのでしょう。

 こんなことは、日本では遠い将来のことのように思われていますが、オランダは本当に危機感を持っているのです。ちょっと能天気な日本も、海面が5m上昇したら、少ない日本の平野は瞬間的に減り、人の住む場所がなくなるというデータも存在します。

  速報によれば、 12月26日も東京では949人の新規感染者が発見されたということです。こうした状態は2021年末までは続くだろうという予告する人が多くなりました。さて、どうするか。


線路の音

2020-12-13 | エッセイ

 

 ほとんど毎日、朝6時55分のNHKの鉄道の情報を見ている。真面目にみているわけではなく、天気予報を待っている間の時間のまだ。すると背景に目が行ってしまう。

 写真を撮っている場所は、どうも品川の西、八ツ山橋の奥の御殿山マンションの屋上から品川駅方面を見ているようだ。おそらくJRにしてみれば、 他社のJR 東海(JR東日本とは別会社)と京浜急行の車両が映るのが気に入らないのだろう。 しょっちゅうカメラの位置を調整しているのは、そのためだろうと思う。本当に写したいのは、山手線、京浜東北線、東海道線と横須賀線のJR東日本の電車だけなのだろう。

<品川駅方向 by Google Earth>

 

 もし、JR東日本が自分の電車だけを映したいなら、もっといい場所がある。僕だったら、別のところの映像を使うだろうと思う。それはどこかと言うと、東京の谷中から日暮里の下の町へ向かう「芋坂」の跨線橋の上だ。

<芋坂・跨線橋からの眺め Google Map>

 僕の知る限り、こんなにたくさんのJRの路線を見ることができるのは、ここしか知らない。常磐線、東北本線、高崎線、山手線と京浜東北線、そして東北新幹線、関越・北陸新幹線が一望できる。京成電車画は少し離れて走っているから問題ないし、舎人ライン は日暮里駅の駅舎が邪魔で映らない。

<上空から、芋坂の跨線橋を見る by Google Earth>

 僕は谷中の生まれだが、3月10日の東京大空襲で家は焼け落ちて疎開したから、僕が3歳のころだろう。おそらく、お袋かおばあちゃんに連れられて、この鉄橋の上から下を走る電車を見て、喜んでいたのだろうと思う。なぜなら、僕自身が電車の音が好きだということを自覚しているからだ。芋坂は、僕の家から5分ほどで行ける位置にある。

 カランコロン、カタンカタン、カランコロンと遠くの電車の音を聞くと、なにか懐かしい気持ちになる。僕が仙台にいた時も、マンションのベランダで、仙山線の電車が登り勾配を登ってくる音を遠くで聞いて懐かしく思っている自分を自覚した。 おそらくチビの頃、誰かに連れられて電車を見て、その音に惹かれたのだろうと推測している。

 残念ながら最近は線路の長さが伸びて、従来のように25 mで一区切りということではなくなって、200 mレールとか、何 kmも継ぎ目のないレールが使われているようだ。特に新幹線ではそのようだ。東北新幹線では60 km の ロング、ロングレールが使われて、カタンコトンとも言わないで、シャーッと列車は時速300kmで走っている。

<線路の継ぎ目: 「保線ウィキペディア」からお借りしました>

 そういえば、横浜の南万騎が原にちょっと住んでいた時、目の前の切通しを新幹線が走っていたが、シャーという音と空気の響きと物理的な振動を残して走り去っていた。あまりいい音ではなかった。

 これを書いている今も、京浜東北、東海道、横須賀線の音が這い上がってくるのが聞こえる。さらに遠くには京浜急行の焦った様に走る音を聞くこともできる。電車の音がうるさいと決めつける気持ちは全くない。変なものだ。チビのころの思い出がイン・プリントされているのかもしれない。

 

 そういえば、僕が小学校6年か、中学1年の頃、列車を止めた記憶がある。それは、犬と夢中になって、友達と線路を走っていた時だ。そのころは蒸気機関車で、C11が列車を引っ張って単線の線路を走っていたと思う。遊びに夢中になって、線路の上を自分が走っていることをすっかり忘れていた。突然、あるカーブの先に真っ黒い蒸気機関車が見えて、すごいスピードで僕たちの方に近づいてくる。3人は右手の山の斜面に飛び移って難を逃れたが、怖かった。

<新橋駅前のC11:パブリックドメイン>

 列車はギギギ~と急ブレーキをかけて、かなりの距離を走ってやっと止まった。僕たちは、それよりも早く“ヤバイ逃げろ!”と、列車が来た方向へ、つまり列車とは逆方向に走った。最後尾の車両から車掌さんが降りて、僕たちを追っかけてきたが、僕たちは捕まらずに済んだ。学校にも通報はされなかった。列車に轢かれそうになるということは、なかなか経験できるものではない。でも、それも今から思えば懐かしい思い出だ。今では蒸気機関車は引退して、つまんないディーゼルカーの一両か、二両の編成になって、あの線路を走っているのだろう。

 

 そんなこともあってか、電車が走るのを見るのは何かうれしい気がするのだ。すこし変かなぁ? 僕のような“音鉄ちゃん”というジャンルは、あるのだろうか?