M.シュナウザー・チェルト君のパパ、「てつんどの独り言」 

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海外の空港たち-3 ドイツ

2019-04-28 | エッセイ・シリース

 


海外の空港たち-3 ドイツ

 

 ドイツには、一か月位は住んだことになる。

 

  <飛行図> 

ストウットウガルト 

 リナーテ ⇔ ストウットウガルト :計2往復 

 実は僕は、国外退去処分を受けたことがある。それは、ミラノのIBMで働いている時だ。悪いことをしたわけではなく、強いて言えばIBMイタリアと、イタリア警察の間の見解の相違から起きたことだ。僕の駐在が、イタリアでの就労に当たるとして、ミラノの警察が48時間以内の国外退去を僕に求めたのだ。僕は慌てた。 

 イタリアIBMの対応は早かった。早速、ドイツIBMと話をつけて、ストウットウガルト近くのIBMジンデルフィンゲンで、僕のデスクを確保してくれた。彼らの読みでは、イタリアの就労ビザは1か月もあれば降りると見込んで、僕をドイツに一時避難させてくれたのだのだ。

 

<ストウットウガルト空港> 

 ジンデルフィンゲンにいても、ミラノと日本との電話とテレックスで、なんとか仕事はできた。幸い、7月のど真ん中だったから、夏休みの時期に当たっていて、プロジェクト自体がスローダウンしていた。思わぬ南ドイツでの一か月を手に入れたのだ。素晴らしい夏休み(?)のような時間だった。

 

<メルセデス本社工場@ジンデルフィンゲン> 

 ジンデルフィンゲンといえば、メルセデス・ベンツの本社工場があるところで、日本で言うベンツの持ち主は、ご存じだろう。それ以外、あまり知られていない田舎町だ。ただ、とてつもなく、朝が早かった。6時にはIBMは始業で、終わりは午後4時だった。それが、ドイツの働き方だった。朝が早いから、朝食の休み時間が30分くらいあったと思う。

 

<ジンデルフィンゲンの朝市> 

 森に囲まれた素晴らしい公園プールで、トップレスの女性たちを目にして、びっくり。冬の長いドイツでは、太陽を浴びることが大切な習慣で、夏場は出来るだけ太陽の下で肌をさらして過ごす。 

 実は重要な会議があると、僕はこっそりミラノに飛行機で戻っていた。そのころはまだオンラインシステムが税関になく、パスポートを見せて問題なくリナーテ空港経由で、出入国が来た。もちろん、僕は緊張していたが、パスポートをちらりと見せて素通りできた。 

 

フランクフルト 

リナーテ → フランクフルト → 成田  

 なぜマインツに立ち寄ることになったのか、それは全く覚えていないが、とにかくIBMマインツに立ち寄ったことがある。印刷技術を生み出したグーテンベルグの出生の地のマインツには空港はないから、リナーテからフランクフルトに飛んだ。ドイツ最大の空港で、ドイツの威信がかかった素晴らしい空港だった。

 

<フランクフルト空港 by Cristian Bortes Creative Commonns 2.0> 

 驚いたのは、タクシーの運転手が、英語がペラペラだったことだ。空港からマインツまで、30kmほどだが、俄然、楽しいツアーガイドになってくれた。もちろん、タクシーはメルセデスだった。 

 ここで素晴らしかったことは、初めて本場ドイツのアイスバインを楽しんだことだ。この料理は、豚のすね肉を、香味野菜と香辛料でじっくり煮込んだもので、ザワークラウト(キャベツの漬物:ドイツではザワークラウトを漬けられないと、嫁には行けないと言われている)と一緒に、マスタードで食べる。これが、僕をドイツ料理の虜にしたのだ。内緒で言うと、銀座1丁目店から発展した「つばめグリル」が、日本では一番だと思っている。 

 フランクフルトでの思い出では、もう一つ、ペリカンの万年筆がある。東京の伊東屋でガラスケースの中のペリカンを横目で睨みながらも、高くて買えなかったものだ。フランクフルト空港の免税ショプでも十分に高かったのだが、こんなチャンスはそうざらにあるものではないと、エイヤッと買ってしまった。今でも、太字が使いたいときには、取り出して使っている。そういう意味では、マインツ訪問はとても大切な思い出の中にある。今も僕の机の中にある。

 

<ペリカン万年筆> 

やはり、記憶を強化してくれるのは、驚きや、リスクや、舌の知る味や、感動しての決断といえるようだ。



海外の空港たち-2 スコットランド

2019-04-14 | エッセイ・シリース

 

海外の空港たち-2 スコットランド


 スコットランドに行くとは、想像もしていなかった。しかも、極寒の2月。

 

 <飛行地図>    

リナーテ → ヒースロー → グラスゴ → サザンプトン  → リナーテ

 グラスゴーの近くに、IBMのグリーノック事業所があって、日本との間で何か問題が起きているので、行ってくれと命令的なテレックスがミラノに入った。

 

<リナーテ空港> 

 ヨーロッパに飛ぶには、リナーテ空港からだった。そこから、ロンドン・ヒースローに飛んだ。今のミラノ・マルペンサ空港ができたのは、もっと後だったから、ミラノの市街に近いリナーテから1時間のフライトだった。ヒースローから、1時間半のフライトで、グラスゴー空港に着いた。 

<グラスゴー空港> 

 スコットランドといえば、スコッチウイスキー、バグパイプとタータン、そして古都エディンバラくらいしか思いつかない土地だった。まあ、英語が通じるからいいやと、軽く引き受けた。しかし、これがとんでもない間違いだったのは、グラスゴー空港についてすぐ分かった。空港からタクシーを拾った。すると、ドライバーが親切に笑顔で、右とか左の窓の外を指さして、説明してくれるのだが、この英語が全く聞き取れないのだ。困った。不思議だったけれど、僕の英語は彼は理解していたのだ。 

 スコティッシュ訛には、ご用心!イングランドの人からも、わからないとの声を聴いた。 

 帰るとき、グラスゴーからカレドニアン航空に乗ったら、僕の耳はつんぼ状態から解放された。カレドニアン航空のCAはブリティッシュで、僕の英語は通じたのだ。後で聞くと、カレドニアとは、スコットランドそのものの名前だった。オーストラリア近くのニューカレドニア島は、スコットランド人が故郷の名前を付けたようだ。

 

<サザンプトン空港> 

 サザンプトン空港に降り立って、やっと英語のもどかしさから解放された。サザンプトン港を見ながら、でかいジョッキでエール(エール酵母からの香りが高く味わいの深いビール。ラガーとは全く違うロング・ドリンク)を飲んで、ホッと息をついた。やっぱり、言葉は双方向っでなくっちゃねと…。

 

<エールを一杯> 

 この旅での驚きは、グーロックの芝生で見た美しい木製の球を投げる、いや滑らせるローン・ボーリングだった。ピカピカに磨き上げたボールは、芝生の上を、音もなく滑っていた。

 <ローン・ボーリング>

  余談になるが、ロンドン・ヒースロー空港には、悪い思い出が残っている。この旅ではなく、いつだったか日本に帰る時、ボーディングゲートで見ていたら、客のラゲッジをベルトコンベアーから、飛行機へ運ぶトロリーに投げ込んでいるのを見た。ひどい。さらに、鍵をこじ開けようとした形跡のある僕のスーツケースを成田で受け取り、唖然としたことが思い出される。空港の鍵屋さんに開けてもらって、通関したことがよみがえる。悪い印象が残った空港でもある。

 

<ヒースロー空港> 

 今は、ロンドンからヒースロー空港まで、直接チューブがつながったから、かなり便利になったと思う。でも、海外旅行のでかいラゲッジはどうしようもないか。