海外の空港たち-3 ドイツ
ドイツには、一か月位は住んだことになる。
<飛行図>
ストウットウガルト
リナーテ ⇔ ストウットウガルト :計2往復
実は僕は、国外退去処分を受けたことがある。それは、ミラノのIBMで働いている時だ。悪いことをしたわけではなく、強いて言えばIBMイタリアと、イタリア警察の間の見解の相違から起きたことだ。僕の駐在が、イタリアでの就労に当たるとして、ミラノの警察が48時間以内の国外退去を僕に求めたのだ。僕は慌てた。
イタリアIBMの対応は早かった。早速、ドイツIBMと話をつけて、ストウットウガルト近くのIBMジンデルフィンゲンで、僕のデスクを確保してくれた。彼らの読みでは、イタリアの就労ビザは1か月もあれば降りると見込んで、僕をドイツに一時避難させてくれたのだのだ。
<ストウットウガルト空港>
ジンデルフィンゲンにいても、ミラノと日本との電話とテレックスで、なんとか仕事はできた。幸い、7月のど真ん中だったから、夏休みの時期に当たっていて、プロジェクト自体がスローダウンしていた。思わぬ南ドイツでの一か月を手に入れたのだ。素晴らしい夏休み(?)のような時間だった。
<メルセデス本社工場@ジンデルフィンゲン>
ジンデルフィンゲンといえば、メルセデス・ベンツの本社工場があるところで、日本で言うベンツの持ち主は、ご存じだろう。それ以外、あまり知られていない田舎町だ。ただ、とてつもなく、朝が早かった。6時にはIBMは始業で、終わりは午後4時だった。それが、ドイツの働き方だった。朝が早いから、朝食の休み時間が30分くらいあったと思う。
<ジンデルフィンゲンの朝市>
森に囲まれた素晴らしい公園プールで、トップレスの女性たちを目にして、びっくり。冬の長いドイツでは、太陽を浴びることが大切な習慣で、夏場は出来るだけ太陽の下で肌をさらして過ごす。
実は重要な会議があると、僕はこっそりミラノに飛行機で戻っていた。そのころはまだオンラインシステムが税関になく、パスポートを見せて問題なくリナーテ空港経由で、出入国が来た。もちろん、僕は緊張していたが、パスポートをちらりと見せて素通りできた。
フランクフルト
リナーテ → フランクフルト → 成田
なぜマインツに立ち寄ることになったのか、それは全く覚えていないが、とにかくIBMマインツに立ち寄ったことがある。印刷技術を生み出したグーテンベルグの出生の地のマインツには空港はないから、リナーテからフランクフルトに飛んだ。ドイツ最大の空港で、ドイツの威信がかかった素晴らしい空港だった。
<フランクフルト空港 by Cristian Bortes Creative Commonns 2.0>
驚いたのは、タクシーの運転手が、英語がペラペラだったことだ。空港からマインツまで、30kmほどだが、俄然、楽しいツアーガイドになってくれた。もちろん、タクシーはメルセデスだった。
ここで素晴らしかったことは、初めて本場ドイツのアイスバインを楽しんだことだ。この料理は、豚のすね肉を、香味野菜と香辛料でじっくり煮込んだもので、ザワークラウト(キャベツの漬物:ドイツではザワークラウトを漬けられないと、嫁には行けないと言われている)と一緒に、マスタードで食べる。これが、僕をドイツ料理の虜にしたのだ。内緒で言うと、銀座1丁目店から発展した「つばめグリル」が、日本では一番だと思っている。
フランクフルトでの思い出では、もう一つ、ペリカンの万年筆がある。東京の伊東屋でガラスケースの中のペリカンを横目で睨みながらも、高くて買えなかったものだ。フランクフルト空港の免税ショプでも十分に高かったのだが、こんなチャンスはそうざらにあるものではないと、エイヤッと買ってしまった。今でも、太字が使いたいときには、取り出して使っている。そういう意味では、マインツ訪問はとても大切な思い出の中にある。今も僕の机の中にある。
<ペリカン万年筆>
やはり、記憶を強化してくれるのは、驚きや、リスクや、舌の知る味や、感動しての決断といえるようだ。