僕はもともと、カラオケで歌うのは苦手だった。カラオケというと、スナックやバーの他の客の前で、みんなに聞かれながら歌うという形式だったからだ。つまり、レーザーディスクの時代だ。
最後にこの形でカラオケを歌ったのは、僕のI社の早期退職の送別会・二次会だったから、明確に覚えている。ちょうど20年前になる。
この2~3年間、歌ってみたいなと思う自分がいた。理由は分からない。おそらく、テレビで60~70年代のポップスなどを聞いている時に、自分も小さく歌っている自分自身に気がついたからだろう。
大学時代の親友H君とは、クラブ活動のキャンプや飲み会などで二人で歌っていたことがある。いわば、デュオだ。ハモれる曲も何曲かあった。しかし、聴いていた皆が楽しんでいたかどうかは定かではない。要は二人で、歌うことを楽しんでいたというだけだ。
H君を呼び出して一緒に歌ってみたいというような曲に巡り合うと、カラオケをやってみようとメールしてみようかと思ったりしていた。
そうだ、YouTubeがあると思いついた。
大学時代に歌っていた曲を思い出して検索してみると、いろいろ出てくる。最初はポップスから始まって、J-POPS、ジャンルを問わずに曲は広がって行って、演歌あたりまで、歌っていたようだ。
何と言っても、最初はP.P.M.だ。「500マイル」とか、「パフ」とか、「花はどこへ行ったの」とか、「風に吹かれて」とか、リストアップしていくと、大学祭で歌っていた頃のことを思い出す。その頃は、ジョンバエズに始まった反戦歌が中心だったようだ。
<PPMのパフ:マジックドラゴン>
ジョンバエズでは、「Green Grass of Home」とか,「Blowin’in The Wind」とかがはずせない。オリビア ニュートンジョンでは、「The Country Road」などは必ず出て来る。
なんだか、懐かしい気持ちか、鼻のあたりがツーンとする。そんな香りを感じる。
サイモンとガーファンクルになると、もっと新しい。ビートルズは聞くことはしたが、自分で歌えるものではなかった。難しかったのだ。
もうこうなったら恥ずかしげもなく歌えるH君を呼び出し、カラオケに行くしかない。くたばる迄の宿題・棺桶リストにものっけた。そんな風に僕の中で、カラオケへの気持ちが高まっていった。
大学時代に歌っていた曲を離れ、スナックでレーザーディスクのカラオケで歌っていた頃の曲を探してみた。自分でも、メチャクチャなジャンルに歌が広がっている。まあ、僕の持ち歌というとこんなものだ…。
・平岡精二の「爪」や「あいつ」:1962
・シューベルトの「風」や「花嫁」:1969
・ちあきなおみの「喝采」:1972
・風の「22歳の別れ」や「なごり雪」:1974
・森進一の「襟裳岬」:1974
・荒井由美(決して松戸谷由美ではない)の「卒業写真」:1975
・ファイファイセットの「フィーリング」:1977
・サーカスの「ミスター サマータイム」:1978
・ボロの「大阪で生まれた女」:1979
・上田正樹の「悲しい色やね」:1982
・小林旭の「熱き心に」:1985
などなどが浮かんでくる。1990年代の曲はほとんどない。
これらの歌を歌ってみたいと思い始めると、たまらない。結局、現役で忙しいH君を呼び出すことにした。
場所は、僕の住んでる横浜と、彼の住んでる埼玉県のO市の中間点、上野・御徒町あたり。カラオケ屋を検索して見る。色々あるけれど、カラオケ専門店に行ったことない僕はどの店が良いのか分からない。写真の雰囲気だけでこんな店と、広小路のPという店を候補にした。
<インドネシア、バリ風カラオケ屋さん>
二人、御徒町で待ち合わせ。まずは昼飯と、古くからのそば屋に入る。桜の香りのする期間限定のせいろを食って、花見でにぎわう上野広小路をかすめ、カラオケ屋さんに入った。
選んできた曲を二人で歌い始めると、二人で一緒に歌った大学時代の感触が立ち返ってくる。歳のせいか、歌っていないせいか、僕は高音が出なくなっている。仕方ないから、曲の途中でオクターブ下げて、ドス(?)の利いた声で歌う。
<カラオケの二人>
H君は現役だから、お客様とカラオケ接待もやっていて、チャンと高い声も出る。懐かしいビブラートのきいた声を聞きながら、ハモってみる。
H君の選んできた曲は、半分くらいしか知らない。しかし、知っている曲が出ると、僕は付いていってみる。
歌っていると、その曲を歌っていた時代を脳が覚えていて、こんな思い出が、この曲に隠れていたのだと気づかされる。
例えば、ちあきなおみの「喝采」。日本レコード大賞をうけて彼女が歌った時、僕は家族四人で夕飯を食っていていた。子供たちの前だったのに、テレビを見ながら急に涙があふれてきて、ボロボロ泣いてしまった、なんて。
そう、一つ一つの曲に、僕自身の思い出と、H君の思い出が交錯する。あっという間の2時間だった。
上野広小路に出たら、上野公園からの人の流れと、これから公園に花見に上っていく人の流れが交錯する春の夕暮れが近づいていた。
次の日、僕のメールに、H君から、森山直太朗の「さくら」もいいから勉強してみると書いてあった。やる気十分のようだ。うれしい。でも、いつになるかはわからない。