M.シュナウザー・チェルト君のパパ、「てつんどの独り言」 

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好奇心の旺盛さを垣間見た

2016-12-18 | 2016 イタリア


 基本的に、イタリア人は行列して待つのが嫌いな人種だと思っている。他の人が並んで待っているのを見たら、日本人だったらなんだろうと思って並んでみようかという人さえいるが、イタリア人は列を作って待つのが大嫌い。他人の選択に影響されることなく、自分の選択を第一にするからだと思う。

 そんな中で、今回、異常な光景を見た。時は今年の(2016)6月23日。



 <フレッチャ・ロッサ>

 その日は、ミラノからヴェネチアに行く日だった。トレニタリアの新幹線、フレッチャ・ロッサ(赤い矢)9715号のファーストクラスで、ウエルカムドリンクを飲みながらガルダ湖に近づいた時だった。左側の席から、通り過ぎる駅を何気なく見ていたら、ある駅でプラットホームにたくさんの人が待っている。長い、長い人の群れが、ホームを埋めていた。ちょっと、他では見られない光景だった。駅名はブレシアだった。



 <ブレシア駅の人の行列>

 そのまま、なんだったのだうろと思いながらヴェネチアで5日を過ごし、帰りのフレッチャ・ビアンカ(白い矢)号でミラノに帰るとき、同じくブレシア駅に、この前と同じようにホームいっぱいに人が並んでいた。それが6月28日だった。ますます、なんだろうと好奇心が沸いた。その好奇心は、行列を作り待ち続けるイタリア人への僕のそれだった。何とかこの謎を解きたいと思った。

 翌日、1970年からの付き合いのミラネーゼの友達に会った。14年ぶりだった。話の中で、この疑問をぶつけてみた。なぜこんなに人が列を作っているのか、イタリア人らしくないだろう…と訊いてみた。以外にも、答えはすぐに帰ってきた。

 それはおそらく、イゼオ湖の湖面に浮くフロートの上を歩くイベントだと言う。クリスト&ジャンヌクロードの二人が構想した大イベントだった。The Floating Piers (Project for Lake Iseo, Italyというプロジェクトだった。



 <フローティング・ピア プロジェクト>*1

 このプロジェクトは、2014年から2年間かけて準備されて、やっと今年の6月18日から7月3日までの15日間だけ、無料でみんなに解放されるという。その為の人の群れだろうということだった。



 <小島に繋がるピア>*1

 ドイツ製の輝く金色の布が張られた20万個の高密度ポリエチレンのキューブ、それは、水深90mの湖底にアンカーで固定されたものだが、その上を、まさに水上の桟橋というフニャフニャした上を4.5km歩けるという。イゼオ湖の小島にも通じていて、皆は好奇心から、イタリア中から人が集まったという。

 そんな機会は、一生に一度しかないから、僕だって、歩いてみたかった。そういえば、イタリアのテレビでも、金色の浮きで出来た道を、バランスを取りながら人がたくさん、歩いている映像を見た。面白そうだ。



 <歩く人たち>*2

 ブレシアからローカル線に乗って、20㎞先のイゼオ湖に行くために、大っ嫌いな行列を作って、イタリア人が順番待ちをしていたのだ。僕がヴェネチアに行くときも、帰りも、ブレシアの駅でトレノルドのローカル線に乗るために、押し合いへし合いの待ち行列を作っていたのだ。

 期間中には、風と雨が強くなって、危険だから中止になったこともあったようだ。だが、好奇心には逆らえない。結果として、この15日間に150万人が、このThe Floating Piers プロジェクトに参加したという。強い好奇心の現れだと納得したわけだ。ご本人のHPがあるから、これを見てていただくと、もっとよくわかる。

 クリスト&ジャンヌクロードのホームページ
 http://christojeanneclaude.net/projects/the-floating-piers


 さて、このプロジェクトのほかにも、イタリア人の好奇心が、列を作って待つことへの嫌悪感を凌駕したプロジェクトがあった。

 それはEXPO2015:ミラノだった。この混乱を避けるために、僕のイタリア行きを1年延ばし、今年になったのだが。



 <EXPO 2015 Milano>*3

 イタリアの総人口が7000万人のところに、昨年5月から10月までの6か月間に、2000万人もの人が、世界中から訪れた。大盛況で、大混雑だったのを、日本で毎日、読んでいるコリエーレ・デラ・セーラで見ていた。



 <混雑のEXPO>*3

 テーマは、“Feeding the Planet, Energy for Life”。「地球に栄養を与え、生命にエネルギーを」 とでも訳せるテーマだった。サブテーマは、7つに分かれ、サステイナブルな地球を救うための、科学的研究やテクノロジーの紹介と、世界の飢餓対策の安全な食料と提供、飢餓問題への対応だった。



 <飢餓とのたたかい>*3

 日本は、最後の「多様性な食」にテーマを絞り込んで、もっぱら、日本食のPRにパビリオンを使ったようだ。この日本館の意味付けには疑問があるが、日本食の魅力につられて、たくさんの人が押し掛けたようだ。入館までの待ち時間が、8時間から11時間という日も結構あったようだ。そんな時間があれば、飛行機で日本まで行けると揶揄もされていたが、イタリア人の待ち行列は、半端じゃなかった。



 <日本館のオープニング:リオの安倍さんはこのコピー?>*3

 最終的には、フランス館、ドイツ館と並んで、日本館は金賞を受けたようだから、成功と言えるだろう。

 これも、イタリア人の旺盛な好奇心を見ることが出来たケースだろう。ただし、どちらも期間が限られた、入場無料の催しだった。


 今回の「ミラノ帰り」のエッセイは、以上12個で、一応終わることにします。お楽しみいただけたでしょうか。僕自身の人生の記録としての意味が強いものです。


 P.S. 使用した写真のクレジット情報
  *1:フローティングピア プロジェクト
  *2:New York Times
  *3:EXPO 2015 official Site


ミラノのシスティーナ : サン・マウリツィオ

2016-12-04 | 2016 イタリア


 ミラノの美術館と言えば、サンタマリア・ディ・グラッツエ教会の「最後の晩餐」とか、ブレラ美術館を思い出される人も多いだろう。カナコロのダヴィンチは待ち行列ができて、ゆっくりは楽しめないし、ブレラはあまりにも作品が整理されていなくて、混然一体となって、どこか気に入らない。

 もし前回の僕の「ミラノ里帰り」を読んでいただいた方なら、そこで紹介したアンブロジアーナ絵画館(ほんとは内緒にして、静かなままであってほしいと思っている)をご存知の方もいらっしゃるだろう。僕が大好きなのは、やはりアンブロジアーナ絵画館だ。



 <アンブロジアーアナ絵画館>

 そんな話をしたら、ミラノの古い友達が、サン・マウリツィオに行ったかと聞かれた。知らないと答えたら、ローマ・ヴァチカンのシスティーナ拝堂に引けを取らない16世紀、ルネサンスのフレスコ画の殿堂だと教えたくれた。興味を惹かれて行ってみようと、カイロリでメトロを降りた。スフォルチェスコ城の最寄り駅だ。ダンテ通りで、工事をしていた人に聞いたら、一本隣の道を行けと教えてくれた。ミラネーゼによく知られた教会らしい。

 カイロリから10分も歩いたか、ちょっと不安になって、通りすがりの中年の女性に再度訊いたら、隣だから教えてあげるといわれて、ついていった。



 <外観>

 外観はロマネスク建築様式の、地味な変哲もない白い教会だった。えっ、ここなのと、扉を開けて内部に入ったら、天井、左右の壁、正面の全面を埋め尽くした、フレスコ画に圧倒された。これがサン・マウリツィオ教会だった。

 ここは、8世紀くらいからの教会で、16世紀になって、ルネッサンンス時期にダヴィンチの影響を受けたベルナルディーノ・ルイーニを中心とするロンバルディア・ルネサンス派のフレスコ画で飾られたと、案内のヴォランティアのおばさんが親切に教えてくれる。イタリア語で反応したら、表情か柔らかくなった。イタリア人は、イタリア語を話す外国人にとても親近感を持つらしい。表情がコロッと変わる。入場は無料。



 <主聖壇の全面>

 ヴォールトを含めて、全面を埋め尽くすフレスコ画に圧倒されて、見入ってしまった。入ったところは、一般の人が入れる公的な教会部分で、その裏側には女性修道院のままの別のホールが広がる。つまり、この建物は、完全に独立した二つの空間から成り立っているのだ。昔は、この二つのホールは壁で仕切られて、修道院と教会に分かれていたのだが、いまは主聖壇の左に小さな通路が作られていて、人が通えるようになっていた。



 <修道院サイドの全面>

 僕には、表の教会の公の顔よりも、裏の修道院を飾る絵の方が美しく、優しく見えた。中でも、ベルナルディーノ・ルイーニが描いた聖カタリナは、ラファエロの聖母にも劣らない優しさで、僕を迎えてくれた。



 <優しい聖カタリナ>

 同じく、ルイーニの最後の晩餐も眺められる。



 <ルイーニの最後の晩餐>

 ヴォールト様式がよくわかる裏側には、1500年代に作られたパイプオルガンもあり、今も演奏されているようだ。このオルガンを作ったのは、ミラノのドゥオモの大パイプオルガンを作った人らしい。



 <パイプオルガン>

 ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂には、スケールも、迫力も劣るけれど、これはこれで、立派なミラノの誇れるフレスコのモニュメントだ。

 どのくらいの時間、このサン マウリツィオいたか定かでない。無意識の時間が流れていたようだ。外に出ると、7月の暑さが襲ってきた。



 <水飲み場>


 カイロリに戻る途中に、小さな木立の小公園があった。30℃を超える暑さの中では、水は欠かせない。鳩と一緒に、ミラノの水飲み場で、冷たい水を飲んだ。



 <木立の中の本屋>

 ホッとして周りを見たら、木立の中に古本屋が店を開けていた。こんなところに…と思いながら、眺めていた。なんだか、奥が深い街だ。