M.シュナウザー・チェルト君のパパ、「てつんどの独り言」 

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ミラノの犬

2016-10-23 | 2016 イタリア

 3頭のシュナウザーと30年以上を過ごしてきたから、犬にはとても興味を持っている。残念ながら、僕の生活は心臓君のご機嫌次第だから、4頭目をブリーダーから勧められたが我慢している。でも、犬には自然に目が行ってしまう。なんだか自分が、犬のストーカーのように感じることだってある。



 <チェルト君>

 だから、ミラノでも、目は自然と犬に行く。



 <犬も人と同じ場所で水を飲む>

 ミラノの街で目に付くことは、飼い主と1対1だとノン・リーシュ(リードなし)で歩いている仔がいっぱいいる。飼い主(この言葉も適切ではないと思う)以外には、まったく興味を示さないで、ご主人に一心に注意をはらっている。僕が声をかけても、アイコンタクトもしないで、すたすたと通り過ぎる。写真を撮らしてもらう暇もない。



 <一人のマルチーズ>

 犬と犬の関係も、日本とは全く違う。ノン・リーシュで歩いていても、知っている犬とは軽く挨拶しているようだけれど、見知らぬ犬とは、アイコンタクトを避けているのがよくわかる。スッとすれ違うのだが、その距離感が微妙にコントロールされている。それが犬の社会の常識のようだ。日本の町でのように、ワンワン吠え合っているような場面に出くわしたことはない。そんな吠え声も聞かない。

 周りの人間も犬に手を出したりはしない。犬の存在がミラノでは当たり前になっている。街中はもちろん、メトロにもトラムにもエレベータにも乗ってくる。バールには犬が主人と一緒にいるし、大部分のレストランに、ワンは入れるのが当たり前。基本は、何でも飼い主と一緒ということだ。



 <ゴールデン>



 <店の中>

 そんな風景を見ていると、その根底に犬に対する考え方の違いがよくわかる。彼らは、犬は「飼う」のではなく、家族の一人として犬を迎えている。飼っているというのは上から目線だが、イタリアの家族にしてみれば、犬と一緒に生活するのだから、仲間目線。彼らは、ブリーダーから直接、もしくはシェルター(犬の保護収容施設)から受けだし、家族として引き取ってくる。



 <シェルターからの新しい家族>

 イタリアでは基本的に、生まれて3か月間は、その犬の家族と一緒に過ごさせるのが一般的だ。この間に、お父さんワン、お母さんワン、兄弟ワン、おじいちゃん、おばあちゃんワンなどから、犬語で教育を受けているようだ。犬として必要な社会性は、こんなところで受け継がれ、育てられていくのかもしれない。

 その後は、人間社会の一員としての必要な教育、しつけは家族の責任。しつけられていない犬を連れていたら、その人が蔑まれるようだ。飼い主ではなく、犬も含めた家族、つまり、群れのリーダーとしての家族に対するしつけとして、ワンにも教育が必須。ヴァカンスの旅行に一緒に行くのは、何の不思議もない。残念ながら、海の砂浜には、ワンは一緒に入れないこともあるようだが…。



 <ドッグラン>

 逆に言えば、他人に自分のワンを触らせるなど、余程のことがなければ、リーダーはそれを許さない。考えてみれば日本でも、自分の子供に無断で手をだしてくる他人がいたら、それには身構えるだろう。ワンは、人間の子供と変わらないと知っておかなくてはならない。

 ミラノの公園に行くと、ほとんどにドッグランがある。基本的には犬と飼い主と、ほかのワンの世界だ。人間も入れるが、飼い主さんに了解を得てから、触れたり、写真を撮ったりすることが出来るのだ。こんなところにも、旅人としての配慮が必要になってくる。



 <若い飼い主と子供>

 最近は、街で犬を売っている店を見ない。家族の一員の犬を得るには、希望の犬種を扱っているブリーダーで、ちびの時に目をつけて3か月たって引き取るか、シェルターから引き取ることが多いようだ。ミラノには、有名なシェルターが数多くあって、ボランティアが犬たちの面倒を見ている。そこから引き取られた犬たちが、たくさん集まって、年一回の一大フェスティヴァルも開催されるようだ。

つまり犬は、商品ではないということ。日本のように一頭ずつガラスの箱の中に入れられて売られているってことはない。それは、動物虐待に当たるようだ。珍しく、犬屋を見つけた。一頭ずつではなく、3匹がくんずほぐれつして遊んでした。



 <ネットの中に3頭>

 ミラノのワンたちは幸せだ。メトロの出入り口のところに、二頭が寝そべって邪魔になっていても、人々はそれを避けて平然と降りていく。ワンが当たり前の証拠だ。

 もちろん、常にミラノが犬にやさしいわけではない。犬を捨てる人がヴァカンスの前になると、うんと増えるといわれている。理由は、犬を連れては行けないところへ行くとか、連れてはいけない人たちが街に犬を捨てていく。アウトストラーダの入り口付近には、不幸な犬が7月に入ると増えるそうだ。



 <捨てられた犬>

 楽しい話をしよう。僕はシュナウザー一筋で30年間過ごしたから、ミラノでもシュナを探した。やっと、一匹だけ見つけた。ナヴィリオ運河のカフェの看板犬、クロエ、5歳。店主のマダムの了解を取って、写真を撮ったり、撫でさせてもらったりした。クロエはママには、べったり。しかし、遊びには一人で行く。車が来ても平気で、道端にうずくまっている。車が徐行して、何事もなかったかのように通り過ぎていく。



 <クロエのベストショット>



 <ママにべったりのクロエ>

 ミラノでシュナに出会えてよかった。こちらが幸せな感情になる。

ティラーノ、雨の半日

2016-10-09 | 2016 イタリア

 今回も天候には恵まれた。6月下旬から7月中旬を、旅の期間に選んでいる訳は、ここにある。日本の梅雨のいやな時期を、スカッと晴れ上がったイタリアで過ごすのが目的。ジュン・ブライドという言葉が日本に入ってきているが、その意味は、正確には理解されていない。ヨーロッパでは、晴れたこの季節に結婚式を挙げようという願いがこもっている。



 <ティラーノの地図>

 イタリアと南部スイス・アルプスを楽しむために選んだ拠点、ティラーノの町について書いておこう。一言でいえば、小さな田舎町だけれど、とてもいい感じの町だった。

 位置的には、ロンバルディア州(ミラノが州都)の一番北の貧しい谷、ヴァルテリーナ谷の入り口だ。ミラノからの鉄道の終点、そこがティラーノだ。



 <Valtellina>

 基本的には貧しい土地。北国の寒さもあるし、急峻な岩山のすそ野を流れるアッダ川にそっている狭い谷で、平な豊かな土地はないから小麦粉は作れない。昔から、日本の信州のように、山の畑で作ることが出来るソバが小麦の代わりに使われていた。だから、蕎麦粉でうったパスタがある。あとは、岩を組んで作った段々畑でワインの製造をして生きている。だから、ヴァルテリーナという品種の葡萄もある。



 <ブドウ畑と教会>

 もちろんティラーノは、ベルニーナ急行の発着駅で、ベルニーナ山塊やサンモリッツに繋がったから、今は観光の町。ただベルニーナ急行への乗り換えという短期の滞在客が多くて、駅の周り以外は観光客は見えない。僕のような4泊もする客は珍しいようだ。今は、駅のある川の北側が町の経済的な中心でもある。ミラノからの列車、サンモリッツからのベルニーナ線が着くからだ。



 <アッダ川>

 町は、アッダ川で南北に分断されている。僕のホテルは、Hotel Centrale。つまりセントラルホテル。実はアッダ川の南のほうが古くからの町で、昔の町=チェントロ・ストリコは川の南側に残っている。町の中心の大きな教会、サン・マルティーノ教会は宿のすぐそばにある。朝、夕、鐘楼からの鐘が鳴る。教会は、イタリアでは町の中心という意味合いがある。駅から10分は歩くが、それが幸いしたと思っている。観光客の町ではなく、土地の人ばかりの町に入りこんだ感じがしたからだ。



 <サン・マルティーノ教会>

 今回の3週間の北イタリアの滞在のうち、唯一、雨が降ったのが、このティラーノの午前中の半日。高い山に囲まれた、山ならではの変わりやすい天気のせいだ。半日、無駄にしたような気もしたが、しかし、ぼんやりと空を眺めて、早く天気にならないかなぁと願っている、ゆっくりした時間も捨てたものではない。

 午後には、雨が上がったから、町を歩いてみることにした。ホテルの女将さんに書いてもらった地図を頼りに、細い道、建物の中をトンネルで通り抜ける道、川沿いの道、車の通れない道、山の見える橋を渡り、広い公園の木陰で、たむろして穏やかな時間を過ごしている老人たちと時間を共有することが出来る。見上げると高い山が、高いカラマツの梢の上にそびえる。駅の周りには、観光客のざわめきが感じられるが、一本、道を渡れば、そこにはゆっくりとした時間が流れている。



 <魚屋>

 山の中の谷の町にも、魚屋があった。びっくりした。金曜日には肉を避けて、魚を食べる習慣が、今も残っているのだろう。大きなタコもガラスケースの中に見え、山の人も、海の魚を食べるんだと感心したりする。アッダ川に近くを歩いていると、面白いものを見つけた。それは、昔の洗濯場。手で洗濯ができるように、縁が広く斜めになった、水場があり、こんなところでおしゃべりしながら、女性たちがゴシゴシやっていた昔の姿が目に浮かぶ。



 <洗濯場>

 旧市街の中心の広場、ピアッツア・カヴールまで戻ってきたら、週末だけの市場、骨董市が開かれている。町の人たちが懐かしそうに眺め、品定めをして値段交渉をしていた。なんだか、デジャヴの世界を見たような気分。



 <骨董市>

 ホテルには、フェラーリの客が来ていた。しかし、ホテルの駐車場には、フェラーリの幅広の車体は入れない。女将は残念そうに、フェラーリを見送っていた。僕には一生、触ることだってできないフェラーリの写真を撮らせてもらって、ホテルに帰ってきた。



 <フェラーリと僕>

 ホテルのレセプションにいた若い女の人と話していたら、ホテルは、3年前まで、彼女のおばあちゃんの持ち物の薬局だったとのこと。今の女将が買い取って、完全に自分の好みでデザインし、リノベートしたものだと説明してくれた。どおりで、窓を開けたら部屋のエアコンが自動的に止まったり、部屋の天井の明り取りをリモコン操作で開閉できたり、部屋のグラスが美しいオーヴァルの形をしていたのだと納得。若い女の子は、おばあちゃんのやっていた薬局だったけれど、ホテルとしてリノベートされて客もつき、今は従業員として満足して働いていると、明るく話してくれた。それがホテルの歴史だった。



 <明日天気になーれ>

 ティラーノの町は、心が落ち着くいい町だし、いいホテルだったと思っている。せかせかしないで、ゆっくりと過ごしてみてはどうだろう。