M.シュナウザー・チェルト君のパパ、「てつんどの独り言」 

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7.初めての汽車の一人旅

2016-04-24 | エッセイ・シリース

 僕んちが東京から疎開して、住んでいたところは、中国山地の山の中、Kという小さな町だった。

 洋画家の親父は、売れることのない油絵を描き続けていた。数少ない、理解のある金持ちの名士が、時々、そんな親父の絵を買ってくれたようだ。ちょっと、脱線するけれど、その赤貧の中で描いた絵には、本当の彼の心が描かれていたのだと思う。近年、69年ぶりにそれらの絵のうちの一点を、僕が買い戻した。親父の遺作の中でも、秀逸の出来だと思いながら、部屋に掛かる「飾り馬」を見ている。

 さて、小学3年生の僕の一人旅は、親父の職業、洋画家と深くかかわっている。親父の使う油絵の具を、親父に代わって国鉄姫新線で1時間くらいの小都市、津山に買いに行く役を頼まれたからだ。油絵の具など、その頃は、そんじょそこらには売っていなくて、津山まで行かなくては売っている店がなかった。



 <油絵の具>

 親父が行けば大人の運賃。僕が一人で行けば子供の運賃。倍半分だったから、僕が津山に買いに行くことになった。親父には絵の具が必要、けれど金はない。そこで僕を一人旅に出したのだ。何か月に一度、小学3年生の僕は一人でK駅から汽車に乗って津山に通った。

 それは、僕にもうれしいことだった。SLのC11型にひかれた汽車に乗ること自体が楽しみだった。僕は一日に数本の列車を眺めに、K駅の周りをうろついていたほどだった。SLの汽笛、蒸気と煙は独特のにおいがあって、子供の僕を興奮させてくれた。今もJRが使っている「ハコ」とか、「ワム」とか、「トム」とかの車両記号の意味を覚えて、楽しんでいた。

 ほんの少しだったけど、親父は僕が買い食いする金を余分に持たせてくれた。昼ごはんは、おそらくコッペパン。そのほかに、ラムネを飲み、駄菓子の何かを買って楽しんでいたのだと思う。

 津山は城下町で、K町に比べればとてつもない都会だ。国鉄の姫新線、岡山につながる津山線、そして、鳥取に抜ける因美線の交わるところだから、人口も多く活気のある町だった。そんな街の雰囲気を味わえるだけで、小学3年生の僕はうれしかった。

 津山でも油絵具を売っている店は、一軒しかなくて、毎回、同じ店に行くことになる。

 親父が必要な絵の具のメモを作ってくれる。ヴァーミリオンだとか、ヴィリジャンだとか、イエローオーカーだとか、ペルシアンブルーだとか、油絵の具の名前が並ぶ。そして、それぞれの本数が書かれている。時には、テレビンだとかの油も入る。筆だって、書かれている。

 店の人は、僕の事情をよく知っていて、お菓子を振舞ってくれたりして親切だった。狭い通りの薄暗い店だったけど、僕にとっては大冒険。津山駅で汽車を降りて、大きな橋で吉井川を渡って、一人で町に入って行くのはとても楽しかった。自分が、少し大人になったような気がしたものだ。

 最初はおっかなびっくりで、心細かったけれど、だんだん、回を重ねていくと慣れてきた。初めのころは、駅から店に行って、すぐに駅に戻って来たのだったけれど、買い物を終えたら、津山の町を一人で歩いてみる余裕もできた。



 <津山城址>

 子供心にも、津山城址は、立派に見えた。しかも高くて、見通しが利く。遠くに中国山脈を眺めながら、桜を見たり、秋の色を楽しんだりと、寄り道ができるようになった。てっぺんから見ると、低い町屋が立て込んでいて、自分の背が高くなったような気もした。

 小さなK町に比べれば、刺激的でもあった。油絵の具屋さんのある通りだけでなく、ほかの商店街も歩いてみることができるようになった。吉井川の堤防に上って、流れを見ていたこともある。少なくとも、子供の好奇心を刺激してくれる都会でもあった。

 

 <扇方機関庫>

 さらに、小学3年生の僕には、国鉄津山駅が楽しいところだった。駅には機関庫があって、いろんな形のSLが入っていた。その扇型の機関庫の真ん中にターンテーブルがあって、時間があれば、そこで蒸気機関車の動物のような動きを見て楽しんでいた。そこには、タンク式のC11や、テンダー式の58型が出番を待っていた。



 <C11型タンク式機関車>

 蒸気機関車はすごく動物的だ。石炭を燃やして、水から蒸気を作る。できたての蒸気で、汽笛がボーっと野太く鳴る。蒸気がゆっくりシリンダーに送り込まれて、ピストンが、やおら動き出す。大きな動輪がきしみながら動き出す。蒸気機関車の匂いは、石炭を燃やすと出てくる、ちょっと酸っぱいような匂いだ。それが、ドラフトの音と一緒になって、子供の僕を虜にしていた。

 僕の学校では、そんな一人旅をする小学3年生は勿論いない。だから、学校では、その一人旅が自慢だった。今でも蒸気機関車を見ると、その頃の心がよみがえってくる。なんだか嬉しいのだ。


 <C11型はkoreさんの写真を、扇形車庫はaimaimyiさんの写真をお借りしました>
  ライセンス:クリエイティブ・コモンズ 表示 3.0 非移植


カラヴァッジョ展を見てきた

2016-04-10 | エッセイ


 カラヴァッジョとは、「ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ」というイタリアの画家だ。カラヴァッジョ村のミケランジェロというのが正しいだろう。上野の国立西洋美術館に来ている「カラヴァッジョ展」を見てきわけだ。展覧会を見た後味は複雑だった。

 カラヴァッジョは16世紀から17世紀にかけて活躍したイタリアの画家だ。38歳でくたばっているから、短命な生涯だったと言えるだろう。生きている時間が短かったからだろうか、生涯で60点くらいしか彼の作だと確認されていない。

 あまり日本ではなじみがない画家だと思うが、僕が初めて彼の作品を見たのは、ウン十年年も前のこと。ミラノのアンブロジアーナ絵画館で、初めて知った静物絵であり、その画家だ。この静物は、只者ではないと僕は興奮したのを覚えている。セザンヌの静物の大先輩だと思ったのだ。



 <果物篭>

 西洋絵画史的に言えば、ルネサンスの後のバロックの世界へ至る間の画家だといえる。彼が評価されているのは、光と影の画家として知られるレンブラントや、ルーベンスに影響を与えた、光と影の手法にあるようだ。イタリア語では、キアーラ(明るい、明確な)とスクーロ(闇、黒い)を合わせて、キアラスクーロという。これを発明したのが、カラヴァッジョだった。レンブラントのアムステルダムの「夜警」はその最たるものだ。さらには近代絵画のドラクロアとか、クールベ、マネにまで影響を与えているという説もある。



 <エマオの晩餐>

 一般的には、超写実派と言われている。確かに絵に近づいて、そのタッチを見てみると、よく細かいところまで書き込んでいる。写真の技術がない頃には、こうした細密手法は、人々を虜にしただろうと推測できる。肖像画として、大きな魅力だっただろう。

 今回のカラヴァッジョ展は、企画した人がユニークな展示法を編み出していた。それは、カラヴァッジョの真筆と、彼の影響を直接受けた、同時代のカラヴァジェスキと呼ばれる画家たちの作品とを、対比させて見せるというものだ。モチーフによって、次のジャンルにグループ化して、展示されていた。



 <展示のジャンル>

 グループ化されたジャンル:風俗画x2、静物、肖像、斬首、聖母と聖人に関する絵、ほか、の7ジャンルに分けられて展示されていた。

 しかし、この展示方法は、明確にカラヴァッジョの作と分る人にはいいだろうが、僕のような初めてのカラヴァッジョ鑑賞者にとっては、紛らわしくてやりきれない。いちいち、絵のプレートを確かめて、彼の物か、それとも同じ題名でも、カラヴァジエスキの作かを確かめなくてはならない。対比に重きを置いたのだろうが、必ずしも成功ではなかった。



 <メドウーサ:自画像>

 カラヴァッジョの絵を見た感じたことは、一言でいうと、「おどろおどろしい世界」と言えるだろう。彼自身の素行の悪いことや、テーマに断首があり、彼の顔が悪顔だというようなことも影響しているのかもしれないが、そんな感じが残った。

 キアロスクーロでドラマティックな絵に仕上げ、さらにそこに超写実技術を重ねて、リアリズムの絵に見える。しかし、本当にこれは写実なのかと再度見てみると、これは、いびつな構図に見える。また、見る人を惑わす仕掛けがされている。見る人が、仰角と錯覚するように、下半身を大きく描き、上半身を小さく描くということを意識的にやっているのがわかる。このあたりに、バロックの言うイタリア語の意味が現れているようだ。Barocco : 異様な、不格好な、華美な という意味だ。


 初めての海外公開となった「法悦のマグダラのマリア」でも、「バッカス」でも、そういう手法が見てとれる。どこかグロテスクだ。

 

<バッカス>

 見終わって感じたこと、つまり、後味は複雑なもので、僕の気持ちの中には悪魔的な魅惑(蠱惑:こわくともいえる)に対面したというおぞましい記憶が残った。

 すっきりさせようと、浅草に出てみた。なじみの焼き鳥屋は、質を落としていた。残念。グループが昼間の酒に酔って、女性がキャーキャーと騒いでいた。関西弁だから、よけい耳についた。早々に、立ち上るしかない。なじみの女将にバイと言って、逃げ出した。ここもこんなになったかと愚痴りながら…。



 <和泉屋>

 カラヴァッジョの呪術の呪縛から解かれて、心が落ち着いたのは浅草寺にお参りして、やげん堀で「大辛」を買って、雷門に向かって歩いていたて見つけた、昔からのお煎餅屋さんの佇まいだった。いつもは店が開いているから気が付かなかったが、落ち着いた空気を漂わせている。こうでなくっちゃ、と帰路についた。

 カラヴァッジョ展は、もしかすると、するどい感受性の心を持った人には、さらに後味が悪いかもしれない。ご注意あれ。


P.S.
西洋美術史年表はお勧めです。
・wikipedeia ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ
には、たくさんの絵が乗っています。