M.シュナウザー・チェルト君のパパ、「てつんどの独り言」 

「チェルト君のひとりごと」は電子ブックへ移りましたhttp://forkn.jp/book/4496

イタリア映画祭・無料の短編

2021-05-30 | エッセイ

 今年もコロナで残念ながら数寄屋橋マリオンでの上映はなくなった。昨年に続いてコロナは、僕の長年の楽しみである映画祭の邪魔している。

<2021イタリア映画祭>

 無料での短編を2編見ることができた。 代金を払っての2時間版は別途時間を見つけて、作品を見定めて5月のどこかで見てみようと思っている。 白状すると2時間の映画を、72時間、つまり三日間で見切るというのは結構大変。昨年の経験から言えば、集中しなければ「見たな」という感じにはならない。大きなスクリーン、大きな音響、さらには他の観客の反応、仕草、笑いなどを含めた臨場感はオンラインにはない。 オンラインでは伝わってくるものを、こちらから積極的に取りに行かなければ、得られるものではない。

#1 タイトル:あなたの不幸はわたしの幸せ

<上映カタログ>

2017年 12分 原題:Io sì, tu no

監督:シドニー・シビリア Sydney Sibilia

出演:グレタ・スカラーノ、リーノ・グァンチャーレ

 作品説明:抜粋

抱腹絶倒の短編コメディー。1981年若い世代の就職活動をめぐる厳しい状況から作品は生まれた。主人公は学歴や資格にもかかわらず、仕事を見つけるのに苦労している若者のフランチェスカとマルコ。数少ない職を得るために、2人はお互いに巧妙な手段でライバルを出し抜こうとする。

感想

  この映画は面白かった。2人とも失業者で、仕事を求めて四苦八苦している若者である。しかし、その事を二人はお互いには知らない。 ドラマの導入部は、後で分かることなのだが、 フランチェスカがバイトをしているバールに閉店時間直前にマルコが現れて、何か飲めるかと聞いたことから始まる。 2分間でビールを飲み終えたマルコは、フランチェスカに今日はこれからどうするだと聞く。

<2分でよければ…>

 この夜二人は、フランチェスカのアパートでセックスして寝り込んでしまうという。 しかし、この就寝時間中に、二人は一人ずつ相手に対するトラップを仕掛ける。フランチェスカは次の日が就職の面接だった。マルコは、その7時の目覚ましを2時間遅らせてしまう。方やフランチェスカ夜中に起き出して、マルコが作っている履歴書を見てしまう。フランチェスカはマルコの履歴書にいたずらをして、変人だと思われるような写真を張り付けてしまう。マルコはそのことは知らない。

<ベッドインの二人>

 翌朝、フランチェスカが目覚めた時には、マルコはいなくなっていた。面接時間に2時間遅れて到着したフランチェスカを待っていたのは、面接は受けられないということだった。

<必死で仕事を探している…>

 そして、そのオフィスにマルコが順番を待っている事を目撃する。 マルコとフランチェスカは同じ会社を受験することになっていたのだ。 マルコはフランチェスカが最有力候補であるということを知っていたので、彼女の目覚ましのタイムを後ろにずらして、失格させるというトラップに嵌めたのだ。 彼女が最有力だということは、その会社に勤めている友達に情報を盗んでもらい、それを買い取っていた。フランチェスカが就職に失敗するように仕組んだ作戦だったわけだ。

 しかし、マルコは自分の履歴書を面接員に渡した時に、昨夜フランチェスカが夜中に起きだして、履歴書に加工していたことを知らなかった。結果としては変な奴ということでマルコも受験に失敗する。

 フランチェスカとマルコは仕事探しの 競争相手、つまり敵と敵の関係だったわけだ。 しかも、マルコは最初から彼女の情報を持って近づいたのだ。

  就職試験に落ちたフランチェスカは、マルコの結果を知ろうとロビーで待っていた。 本当だったら相手を罵倒しあう関係であるはずだが、昨夜のセックスを含めて、お互いがお互いを好きになってしまっていた。そこには愛が芽生えていた。

<目覚めたのは愛>

 会ったその日にセックスまで行くという展開は、ちょっと無理筋だけれど、匍匐絶倒の短編の作品に仕上がっている。10分の中にこれだけのシナリオを押し込んで、しかも見るものを笑わせることができるのは、イタリア人の才能だからかもしれないと思った。 とても楽しい映画としての印象が残った。

 

#2タイトル:フィオーリ、フィオーリ、フィオーリ!

<上映カタログより>

2020/12分 原題:Fiori, fiori, fiori!

監督・出演:ルカ・グァダニーノ Luca Guadagnino

作品説明抜粋 

新型コロナウイルスの感染拡大によるロックダウンの最中に、生まれ故郷のイタリア・シチリア島で監督ルカ自身が撮影した短編ドキュメンタリー。監督は子供時代の友人たちを訪ね歩き、全世界が一つになったこの特別な日々を彼らがどのように生き抜いているかを記録するとともに、監督自身のルーツを見いだそうとする。

感想

<花1>

<花2>

 Fioriとはシチリア島の山に咲く、いろいろな花のことを意味している。シチリア島エトナ山をバックとして、ルカ、つまり監督自身が6日間の短編ドキュメンタリーを作ったのがこの作品だ。昔からの友人を尋ね歩いて、このロックダウンの2ヶ月間をどう過ごしてきたのかということを聞くことによって、彼のシナリオが成り立ってゆく。

<シングルマザーと子供たち>

  まずは、3人の子供を育てているシングルマザー、マリアと話をする。 印象深かったのは、このコロナが終わった時に、このコロナ禍をどう振り返るだろうかという問いに対して、彼女は「怠けることが許される」ということを思うだろうと話す。パレルモのマッシモ劇場に勤める友達は、「まさに暴力的な2ヶ月間」だったと嘆く。 この世界で3番目に大きいといわれるパルコ・マッシモにも人が入らない、入れないということで危機が訪れている。

<パルコ・マッシモ>

 一番、僕の心に残ったのはデヴィット カイガニックが語る次のような言葉だった。

 一人で過ごすということは 暗喩として「森」意味するのではないか。 つまり森が健やかになるためには周期的に焼き払う必要がある。 つまり山焼きだ。今、自然(地球)は発作を起こして自律神経に異常を来たしている状況だと暗喩で語る。 つまりコロナは地球を一度再生させるための、破壊のサイクルなのだという意味だ。

<コロナの寓話 by Economist>

 実は僕もこのコロナは地球の創造主、つまり神が人間の横暴さを戒め、地球自体のバランスを再度保つために、人間に課している大きな試練だと思っている。 あまりにも人類はやりすぎた。 地球の存在そのもの危うくするほど、人の活動は大量のCO2を発生させ、他の動物、植物に対して野蛮なる行為をしていると写っているのかもしれない。 つまり人類に生き方を変えさせるために、このコロナを人間の世界に派遣したのではないかとの暗喩として受け取っている。

<脚本家 デヴィッド カイガニックの言葉>

 そして最後にカイガニックは、「自分と他者の境界線を認識し、孤独が人間の魂に良い働きをもたらす。そういう意味では、今こそ他者はあなたに役立つのだ」と言っている。素晴らしい警告だと思う。

<映画祭のスポンサー、フェラガモの美しいCM>

P.S.

絵はすべて、映画のワンショットを借用しています


僕のシュナウザー物語 Ⅲ  

2021-05-16 | エッセイ

3.チェルト君の物語

 

 チェルト君は再婚相手との間で、僕たちの一人っ子の長男だった。 僕が55歳での再婚だった。彼女は40歳 位だったから、無理すれば子供は作れないわけではなかったが、子供の将来のことも考え、子供は作らないと合意して結婚した。 代わりと言っては変だが、彼女も犬が好きだったし、僕も大好きだったから二人の間に、長男として僕にとっての3頭目のシュナウザーを飼うことにした。

<瀬田ケンネルエイト>

 チェルト君に初めて会ったのは1月の寒い頃だった。環八をよく車で走っていたから、環八の瀬田にシュナウザーだけを扱っている店を知っていた。大きなシュナウザーの看板が出ていた。勿論、今も健在だ。

  前年の12月6日生まれで、まだ一か月しか経っていないチビの シュナだった。両手を組んで出してくださいと言われてそうしたら、店主はチビのシュナを拾い上げて僕の手のひらに置いてくれた。ブリーダーはシュナウザー博士 の Cさんだ。

  子犬は3ヶ月以上育たないと渡さないというポリシーを持っていた。それは非常に重要なことで、親や、兄弟、もしくは 血縁のおばさん等と一緒の生活で、犬世界での社会性を身につけて出発することができるからだ。 日本のブリーダーは犬のことを本当には考えていないのか、2ヶ月ぐらいで子犬を飼い主に出している。小さな仔犬のほうが可愛いらしいということで、客にアピールしているのだ。しかし、その後のその犬の一生を考えた時に、犬としての社会性を身につけているということは、本当に大切なことだった。

 そうしたことを、チェルト君との生活の中で、何度も確認させられたかわからない。ちゃんと犬社会の規制が身についていた。お互いの匂いを嗅いで、友達になるという基本動作ができるようになっていた。 噛みつきあいの遊びにおいても、その噛み付く度合い、強さを自分で、体で感じしている。 だから相手にも強く噛むことはなく、アマガミになる。 悪いことしているとお母さんやお父さんに怒られるという経験もしている。

<ちびちびのチェルト君>

 結果から言うと、チェルト君は上顎にできた癌のために手術ができず、9歳で虹の橋を渡った。

<伊豆高原>

 環八瀬田から貰い受けたチェルト君を、僕たちは伊豆高原の家に連れて引っ越した。自然に恵まれた伊豆高原では好きなだけ散歩ができた。1時間半くらいは 平気で散歩をしていた。当然たくさんの友達ができた。 数え上げればきりがないが、初めての友達は、大きなお年寄りの セッター のミックス、チャーリー君。 2番目にできたのはコーギーのアンナだった。 その他にもミックス犬のセロ、 シーズーのリリーちゃんだった。 猫の ボニーとミーシャ とも友達になった。 チェルトにとって楽しくて、楽しくてしょうがない伊豆高原だったが、お父さんの病気の為に、仙台に移転することになった。 お父さんの病気の先生が、伊豆高原にはいなかったからだ。

<最初の友達 アンナ姉さん>

<猫のボニー>

  せっかくできた友達とも別れてチェルトは寂しそうにしていた。少し規定のサイズより大きかったから 新幹線には乗れなかった。僕が 車で550 km くらいを二日間で走って、仙台に辿り着いた。 途中、那須で一泊した。チェルトは不安そうだった。

<不安そうなチェルト君 @ 那須高原>

 仙台でもたくさん友達ができ、僕のボランティアの活動にも参加して楽しんでいた チェルトが見える。外国人のホームステイや、外国人を含めた国際交流パーティーでも、チェルトは参加して楽しんでいた。しかも皆の真ん中にいた。

  僕にとっては3頭目のシュナウザーだが、悲しい思い出の犬になってしまった。それは僕の病気と関係していた。

 僕は心臓に肥大型心筋症という病気があって、劇薬と言われる薬と血液サラサラの薬を飲みながら様子を見るということになった。 しかし心房細動は止まらず、最終的にはその頃の最先端の技術だったカテーテル・アブレーションを東北大学病院で受けることになった。このカテーテル・アブレーションは新しい手術なので、東北全体で20人ぐらいしかまだ経験していなかった 。

 僕が入院してオペをするその日に、奇しくもチェルトの上顎に癌が出来ているのが見つかった。カミさんは、僕のオペとチェルトの癌を同時に体験し、精神的にまいったようだった。

 いま考えてみると、チェルト君のがんの発症は、ストレスが原因ではなかったかと思っている。伊豆の友達をなくし、相談もなく引っ越しになって、長い旅をして、環境が変化し、見知らぬ仙台についた。そして、僕がオペのために入院した。これだけで、十分なストレスになっていたのだろうと思う。

<がんが発見されたチェルト君>

 最初の診断では、チェルトの寿命は持って半年だろうと言われていたが、実際は1年半、頑張って僕たちを助けてくれた。その間、カミさんと僕は、彼の免疫力を上げるため、チェルト君の食事を全て手作りで作っていた。それを1日に6回に分けて、スプーンで口の中に入れてやっていた。

<チェルトの陣地:ソファ>

  チェルト君がいなくなって見たら、カミさんと僕の間には、何も残っていないと分かって別れることになった。チェルト君は、まさに僕たち夫婦の 鎹(かすがい)だったと思う。その後も、シュナウザーを飼うという誘惑はあったが、僕の方が先に葬式を出してもらうことになるかもしれないと恐れ、飼うことは諦めた。

<僕たちの子供だったチェルト君>

 以上がミニチュア・シュナウザー3頭と、35年間を過ごした僕の記録です。

 シュナウザー物語 Ⅱの追記をしておくと、βの名付け親の長女は14歳でβをなくし、最近同じシュナウザー、エマを飼っています。A、B、C、D、Eとなりました。僕はイタリア製のぬいぐるみ、エザッタをかわいがっています。

<娘の飼っているエマ:Emma>

<よくできたイタリア製のエザッタ: Ezzatta>

 

P.S.

 チェルト君との思い出は絶対に残しておこうと考えて、チェルト君の目線で見た9年間を、2冊にまとめて電子ブックとして発行しています。 無料です。気が向いたら読んでみてください。

電子ブック:

「M.シュナウザー チェルト君のひとりごと  その1」 

http://forkn.jp/book/4291/

「M.シュナウザー チェルト君のひとりごと  その2」 http://forkn.jp/book/4496/


僕のシュナウザー物語 Ⅱ

2021-05-02 | エッセイ

2.β( ベー)の物語

 アンナの19年10ヶ月が終わった。 彼女の死は、僕にとっても、家族みんなにとっても大きなショックだった。 動物は死ぬものだと分かっていても 、やはり先に行ってしまうのを見送るのは辛いものだ。 結構、あとを引いた。 もう二度と犬は飼わないと言う約束が、家族の中で出来ていた。

<β:べー>

  アンナが死んで半年くらい経った頃だろうか、下のチビ(長女)が、どこかの犬屋へシュナウザーを「見るだけ、見るだけ」といいながら、カミさんと見に行ったらしい。アンナ失くして、あたかも姉妹をなくしたように辛かったのだと思う。

 最初は戸塚の近くの犬屋を見ていたようだけれど、なぜだか保土ヶ谷にある犬屋にシュナウザーを見つけたようだ。僕も声をかけられて「見るだけ、見るだけ」といいながら連れて行かれた。 そこにはダンボールに入った小さなシュナウザーがいた。 ちょっと触ってみようと撫でてみた。懐かしい温かい感触が手に伝わってきた。 しかし、見るだけということで来たのだからと、その日は家に帰った。

 チビはそのシュナウザーを忘れることができないらしく、「私が責任を持つから、飼おうよ」とカミさんを口説いたようだ。 お父さんも行ってみようよと再度誘われた。 犬を飼うことに反対なのは、僕だけになっていた。オンちゃん(兄、長男)は、第一希望の大学受験に失敗して、もう後がなく受験勉強にどっぷりだった。

 仕方がない、本当に君が責任を持つのだよとチビと約束して、再度その子犬を見に行った。その時はダンボールから出て、ガラスの個室に入っていた。 どのぐらいの日にちが経ったか忘れたが、その子は僕たちを覚えていたようで、僕たちをじっと潤んだ目で見ていた。 僕も心のどこかでシュナウザーが欲しいなと思っていたから、その潤んだ目には絆されてしまった。

 結果として我が家に2頭目のシュナウザーが現れた。 下の子が責任を持って飼うということになって、では名前をつけろと話したら、当時、流行り始めていた”アニエス・ベー”から、β(べー)という名前をつけた。この子も女の子だった。 断耳しようと言ったけれど、可愛いからと耳は切らずにそのままになった。

<βタン>

  僕は仕事で忙しかったから、週末に時々遊んであげるくらいのスタンスで、βと付き合い始めた。戸塚は、まだ宅地開発は始まったばかりで、僕の住宅地は山を階段状に削った平面だったが、その後の宅地開発は、大きな沢や谷を、近くの山を削った土で埋めるという、乱暴な造成を始めた。一番、近い大きな住宅地はXXヶ谷という名前だったものを、XXが丘と名付けて売り出したにしていた。 反対側に小高い丘があり、その斜面は丘を切り開いた大きな斜面の草原になっていた。

  元々は山だったから海抜65mぐらいあった。その下端は海抜20mぐらいだったから、段差40m位の斜面は広くて、幅80mくらいの草ボーボーの原っぱだった。そんな広い斜面は、たちまち近所の犬たちの遊び場となった。 今で言う”ドッグラン”の はしりだったろう。 僕もβを連れて、その斜面の上に登って、下を眺めるのが好きだった。夕方は特に犬の数が増えて、いろんなところで犬社会ができていた。

<オールド・イングリッシュ・シープドッグ>

 ベーの友達は、目が見えないくらい毛深い、お決まりの白黒の大きなオールド・イングリッシュ・シープドッグだった。  ベーはチビだったけれど、シュナウの血ははっきり流れていて、体の大きさに無関係にシープドッグを追っかけまわしていた。 草原の上から見ると大きな黒い塊をチビが追っかけているのがよく見えた。見ている僕も楽しかった。

 その後、何年かして子供たちが社会人として独立したのを確認して、カミさんと合意していたように、僕たちは別れた。僕が一人で姉のマンションに移った。 家も土地も子供達も、そしてベーも戸塚に残した。

 僕はもともと犬好きで、団地でお母さんが犬を指さして、子供に「危険だから近寄らだめだよ」と言っているのを見て、早く自分の家を建てて、子供たちのために、そして僕のために犬を飼おうと思っていた。それがアンナだった。

 犬に会えなくなったのは寂しくて、 時々カミさんの家(元の僕の家)にベーを借りに車を走らせた。よく連れ出したのは、緑園都市と大池公園の間にある ”こども自然公園” の 原っぱだった。 べーは、もちろん喜んで僕に付き合ってくれた。

 その後、下のチビは 社会人になり、好きな人ができて結婚することになった。僕も、チビの旦那になる人と会い、人柄を確認していいんじゃないかと言った。その後、チビは、べーと一緒に結婚して、新しい家に引っ越した。ベーを飼うときの約束、「責任を持って育てる」を果たしたわけだ。結果として、僕はざっと5年ぐらいベーと、つき合ったことになる。良い子だった。

 

P.S. ミニチュア・シュナウザーの特性

アメリカンケンネルクラブ(AKC)によると

米国では197犬種中 人気19位  (2020年)

ミニチュア・シュナウザー:ドイツ語で口髭を表す「シュナウツ」

ミニチュア・シュナウザーは、スタンダード・シュナウザーから生まれました

・フレンドリーで、頭が良く、従順

・ふさふさしたひげと眉毛は、ミニに魅力的な人間のような表情を与える

・硬い毛並みには、ソルト&ペッパー、黒&銀、黒の3つのカラーパターン

・元は農場の万能犬、ネズミ対策に作られた彼らはタフ。筋肉質で怖いもの知らず

・犬社会の社会性を、チビの間に身につける

・人と一緒にいるのが大好きで社交的。家族の活動に参加する。テレビを見る

・明るくフレンドリーで訓練可能

・アパート生活に適応するのに十分小さい体

・他の動物や子供たちとうまくやっていける

・ミニは頑丈な小さな男であり、活発なプレーを楽しんでいる

・家庭や家族向けの偉大な番犬

・健康的

・必要運動量:20〜40分/日の散歩

・エネルギーレベル:平均

・長寿の範囲:12-14歳。

・断耳/断尾:「反対」がヨーロッパを中心にあるが AKCでは標準

・定期的に手入れをする必要あり。頻繁なブラッシング、髪と爪のトリミング等

AKCの遊び好きランクでは3番目

1.アイリッシュ・セッター 2.イングリッシュ・スプリンガー・スパニエル 

3.ミニチュア・シュナウザー

AKCはミニチュア・シュナウザーの特性を短く言うと

「健康/長命/脱毛が少なく、外向的性格で、手ごろなサイズ。スポーティで美しい姿。理想的な家庭犬」とある。

ジャパンケンネルクラブ(JKC)登録数:

2010年:8,000 → 2020年:11,000

感想 

合計3頭、40年ほど飼った経験から、自信をもって同意します。ただし、ちょっと頭が良すぎて、悪だくみだってできるようです。操られないように要注意!

目を合わせると、エンドルフィン(ホルモン)が出て、人間サイドにも幸福感を味わうという「手、技」も知っている。勝てませんね!

海外に旅に出て、シュナを見ると必ず、声をかけています。この子は、ミラノ・ナヴィリオのクロエちゃん。