娘の子宮頸がんワクチンの署名活動も一段落した。
頑張った!!
2000人前後は集めたかと思う。
そして、このことからもいろいろなことを学んだ。
ワクチンの所為かも、と思ったのは、6月14日の中止の報道で、
どんな被害状況なのだろうとネットで検索した!
昨年、1年間、病院に日参した日々。するめいかのような我が子を、小児科の待ち合いに寝かせて、毎日のように何とかして欲しいと言った日々。
呼吸困難、筋力低下、激痛の頭痛、今までにない腰痛、倦怠感、認知症、人格破壊、過睡眠、常時眠っているような傾眠、あちらこちらに飛ぶ痛み、無気力・・・・・
辻褄があう。
そして、中止報道を見た娘の保育ママさんも、ワクチンの所為ではないかと言ってきた。
夫に言う。
「まさか、だって打ったのは3月26日だろう。ワクチンならすぐ出るはずだ。」
「ネットを見てよ!みんなだんだん悪くなって来る。遅い人は1年以上してから出ている人だっているんだよ。」
義父母に言うが、信じて貰えない。
病院探しや通院に駆けずり回ることも、
「もう受験なのに、あちらこちらに奔走しているより勉強させろ!親がそんなことしているから成績が落ちるんだ!
学校へ行けないのは、母親のお前が、テレビもない、欲しい物も買い与えない。みんなと同じような物を買い与えない所為だ!おもちゃを置けないような狭い家に住んでいるのが悪いんだ。」
と、怒鳴られる。
挙句の果てには私の実家の両親にまで、押しかけて私の育て方が悪いと罵られた。
そして、
実家の両親からは、
「嫁は、嫁いだ先のご両親と夫の言うことに決して逆らってはならないものだ。たとえ間違っていても、不条理でも、自分の常識を欠いていても・・・・3人の言うとおりにしなさい。それが嫁と言うものです。テレビもおもちゃも与えなさい。」
私を育てるときには、
「武士はくわねど高楊枝、襤褸は着ていても心は錦、みんなが持っているからって真似する必要はない。」
と、たくさんの論語で育てられたのに、嫁に行ったら、何でも右に倣いをせよ、人並みが一番!
そりゃあ、ないでしょ!
それで、義父母に、子どもの主治医に説明をして貰った。
アスペルガーの話しも、以前に、夫も漢字が書けないのだが、娘も書けないことことからしたことがあったのだが、取り合って貰えなかったので、
子どもにとってどうしたら一番良いかを、アスペルガーと頸がんワクチンの事を両方の観点から話して貰った。
義母も、自分の兄弟の名前の漢字も間違うような人なので、アスペちゃんなのだと思っていたのだが、
まあ、その説明の席でも、アスペルガーということについて受け入れられないようだった。
するとその席では
「頸がんワクチンの所為に違いない!」
帰宅後、
主治医の悪口三昧。
私には、
「こどもにとって一番良い環境で家族はひとつになれって先生が言ってたのだから、家族が一緒に暮らすべきだ。こども為にはあなたが少しくらい我慢して祖父母も同居で一緒に暮らすべきだ。学校は転校させれば言い。この地域の学校はいじめもないし、県下で3番くらいに勉強も出来るレベルの高い学校なんだ!ここから、県女に通えば」
などと言う。
あー、そこがやっぱりアスペちゃんなんだよ~。どうして、家族の心がひとつになってを、目に見えるもので測ってしまうんだろう。
県女なんて、今ではかなり難しいところに来ているし、よしんば余力では入れたとしても、知能がこのまま低下するようなら単位が取れないかもしれない。単位が取れなければ卒業が出来ない。それを考えると、余力をたくさん持った学校を選んだ方がいいかもしれない。しかし、それを娘が受け入れられるのか・・・・。後は、体力的に、出席日数が足りるのか?となると養護学校にするか。
親としても、心の中は本当に不本意であったのに。
この四面楚歌は、かなり続いていた。
いくら言ってもわかってくれない。
でも、署名について
めげずに、交渉した。
私達も頑張るけれど、看病したり病院に行ったり、忙しいのです。とにかく一日も早く原因の究明と治療がして貰えるように署名をお願いしたいと頼みました。
「今日、自分の方の医療講演会がありました。
東京大学の先生を招いて。そしたら東京から、何人もの方が来てくれて、その中に、小学校のお孫さんがそう言う病気になって失明するかもしれない。親は病院の付き添いやら看病で忙しいので祖父母である私が聞きに来ました。先生に診て貰いたいのです。
と言う方が来ていました。家族一丸となって子どもを孫を救うぞって感動しました。」
という話を付けてね。
それで、やっと義父母が動いてくれました。
義父母の兄弟も、枝葉を広げて頑張っていただきました。
その先で、私の高校時代の友人に当たり、友人も近所の方にお願いしてくれました。
本当にたくさんの署名活動に駆けずり回ってくれました。
義父母二人で1500筆以上は集めてくれたと思います。
ところが、
自分の実父母は
田舎のしがない農家です。75歳を超えてまだ、農業をしています。世の中がどのような流れで、どんな考え方に移っているかなどは、気にもせず、ひたすら農業をして、政治は自民党です。隣近所がみな自民で選挙時期になると隣に倣って自民党の候補者の名前を書いて・・・・・。
署名を持って行ったとき、
「お上に逆らっても仕方がない。その子の運命だと思って諦めるよりほかはない。運命を受け入れるより仕方がない。」
と。
私も、いろんな方にお願いしました。
自治会長さんや地元の市議さんにも伺いましたが、逃げられてしまいました。同じマンションの1階に事務所を構え県議さん等、訪問しても、更にはその県議と中の良い人にお願いして、この時間に電話をさせます。とアポを取って、何時間待っても、もう2週間立つのに連絡が来ません。
いつも薬を貰っている薬局でも、産婦人科の門前薬局なので・・・・と断られてしまった。
子どもを取り上げる、命を取り上げる、子ども達の健やかなる成長を願って産婦人科医になったのではないのでしょうか?
ワクチンの安全性をこの被害者の声に耳を傾けて、再検討する必要があると考え直して貰えないのでしょうか?
確定診断の指針や、副反応の治療法の確立されてからの発車にしようと、なぜ声を上げてもらえないのでしょうか?
実の父や、母が、そんな硬直状態でありましたが、
従兄弟の奥さんが、
神奈川県川崎出身なんですね。
その従兄弟の奥さんが、川崎のご両親に話をしてくださって、川崎のご近所さん等を回ってくださったようで、たくさん書いてきてくださいました。
また、元市議だった叔父もたくさんコピーして書いてくださいました。
私は、難病になってから、凄く署名の大切さを痛感しました。難病の公費負担が、ただ国の行政で貰えているのではないということを、毎年毎年、署名をするから、10万人以上の賛同者の署名が国会に届くから、医療費の補助が受けられているということを知りました。
保育園の補助も、何でも、やはり数の力が大きいのだと、そして一人一人の小さな小さな一筆が集まって、私達は助かっているのだと知りました。
この場を借りて、
多くの署名してくださった皆様に感謝しております。
娘は、きっとこの皆様のご恩を忘れずに、自分に課された社会的な使命を全うすることで、社会に貢献することで返していける人になると思っています。
署名をしてくださった方、皆様へ
ありがとうございました。