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ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

神はどこから語りかけるか?

2018年12月19日 | 聖書
今日はクリスチャンの方に耳寄りな話をしたい。

よく熱心なクリスチャンの証などで「〇〇と神様が確かに私に語ってくださいました」と聞く。が、よくよく聞くと、それは心の中とか思いの中に聞こえた事柄であって、実際に声としては聞いてない場合がほとんどだ。私には直接触れられた体験(人生がその一瞬で変わった)があるが、残念ながらそれは声ではなく、文字が視覚的に並んで来て、アレレと思いながら読み取ってみてびっくりというものだった。確かにそれは私にはピッタリなものだったのだ〈笑い〉。
それ以後は他の方と同じように、脳裏に浮かぶ示しであったり、声なき語りかけである。だから証する方には、ほとんどの場合アーメンと同意する。要は方法ではなく、言葉の中身がポイントなのだ。
〈下写真はTLEA船橋教会オフィスの一角にあるコレクション・それぞれ意味するものがある〉

ところで神が本当にリアルな声で、人に語りかけてくださる場合はないのだろうか?
これについて聖書ほど詳しくわかるものはない。特にモーセは別格だ。最初に燃える柴の中から声を聞き、召命を語られたモーセだったが、その後は常に神様と共に居て、その栄光で顔が光るほどになったのだ。では、モーセだけが特別だったのだろうか? モーセのようにではなかったが、モーセ以上に愛されたダビデのような、王と預言者が神の声を親しく聞いている。

そこで質問。「モーセから後の時代、神はどこから語りかけているのだろうか? その代表的な場所は?」

モーセは、神の語られた仕様に従って、幕屋神殿〈タバナクル〉をつくった。答はその幕屋の至聖所にある契約の箱。以下はその代表的な例。

サムエル記 第一 3章3~5節 新改訳©2017
神のともしびが消される前であり、サムエルは、神の箱が置かれている主の神殿で寝ていた。
主はサムエルを呼ばれた。彼は、「はい、ここにおります」と言って、エリのところに走って行き
・・・・・〉とある。この時少年サムエルを呼ばれた神は、ちゃんと音声で呼ばれたはずである。サムエルはエリが呼んだのだと思って三度も行くが、これは老齢のため目が弱くなっていたエリが、いつものようにサムエルの助けを求めて呼んだと勘違いをしたからに他ならない。これは実際に声で聞いたのでなければ、そんな間違いはしないだろう。しかしその声はエリからではなく、至聖所に安置されていた契約の箱のふたの、ケルビムから出ていたのである。

写真は契約の箱をかたどったものだが、向き合ったケルビムの間から、神の声は出ていた。


ウン千年前、エルサレム神殿は崩壊し、契約の箱はヨシヤ王時代以降、特に記述はなくなった。おそらくはバビロンによるエルサレム神殿崩壊(紀元前586)以来、その行方は遙として知られていないのだ。ユダヤ人がわからないと言うことは、もはや私たちはこの世では、見ることも聞くこともできない。それでも私は時々、ケラブ(単数形)たちの羽を震わせ、神が声を出しておられる様子を想像する。

【ご紹介】最初の写真 教会オフィスの答えは右からメノラー、オイルランプ、ショーファー〈角笛〉、イスラエルの象徴であるザクロ、契約の箱(模型)だった。


教会オフィスで、この契約の箱上のケルビムを見るたびに「ああ、神の声をこの耳で聞きたい」と切に思ってしまう。お姿はともかく、父の声だけでもせめて聞きたいと、子が願うのはおかしいことだろうか?



ケパ、






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