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ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

風が吹ぶく時

2018年06月27日 | 示されたこと
船橋の今日の風は風速8m、我が家は風の通り道、ゴーゴー音が轟く。8mどころか体感的には20m前半の台風のような感じである。(この時のベランダ)

私はこの風のふぶく音が、いつまで経ってもどうも慣れない。理由を考えてみると、私は広島の中国山地の盆地育ちで、一年中山霧が絶えない風土で育ったからだと思う。山霧が絶えないと言うことは、年中ほぼ無風地帯であることを指す。風は山々の上を通り過ぎ、下の盆地は無風地帯である。風がないので洗濯物はなかなか乾かず、夏はうだる暑さの昼に夜はキーンと冷え、冬は雪の中、深々と底冷えていく、そんな感じ。

だから汽笛や飛行機、総武線の電車音が聞こえる東京湾岸沿いの、ここ船橋の暮らしは、例えて言えばカリフォルニアはロサンゼルスみたいな陽光あふれて快適だ。その中でただ一つ、時たまの風の強さだけが、どうしても落ち着けないだけなのだ。
想い出してみると、上京し初めて神奈川に暮らしてみて、その一番の記憶は「春一番」だった。南西の方から巨大なナイアガラの滝のような黒い壁が押し寄せてくるのには、本当にびっくり仰天した。

ところが聖霊派の信仰を持ってからは、風は全く別な見方をさるようになった。
自然の世界において、風の力を知らなかったのは私ぐらいのもので、平時は洗濯物を乾かし(笑い)船を動かし風車を回す。荒ぶる時は台風となって猛威をふるう。風は力があっても姿が見えないだけに、しばしば神の力や聖霊にたとえられるのだ。

聖書でイエス様がガリラヤ湖の嵐を叱って静められたことは、その象徴的なことだった。(詳しくはマタイ8章24~27節)
弟子たちは驚き恐れて互いに言った。「風も水も、お命じになれば従うとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」"(ルカ8章25節)

また聖霊は、風のかたちをとった。ペンテコステの時も「すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響き」(使徒2章2節)であったし、「風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」(ヨハネ3章8節)とイエス様は訪ねてきたニコデモに語られた。

この日本の国に、今日の天気のような、聖霊の激しい働きの風がふぶきわたることを、日本のリバイバルが起こることを、私たちは日々祈っている。




ケパ




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