ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

聖書が生活に生きていると

2018年06月25日 | 聖書
欧米は例外なくキリスト教国で、何気ない諺(ことわざ)も聖書に根ざしていることが多い。「羊の皮をかぶったおおかみ」(マタイ7:15)、「笛吹けど踊らず」(マタイ11:17)などである。中には日本に帰化したような「目から鱗(うろこ)」(使徒9:18)みたいなものまである。

キリスト教国では、少し前までは皆、日曜日には教会に行って聖書の話を聞いていたわけで、自然、誰にも通じる聖書にちなんだものになる。

ところで最近ある牧師家庭のブログで、こんな話が載っていたので引用したい。これは妹が姉におねだりし続けて、ゲットした話である。
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怠け者の裁判官に、正しい裁判を求めた人のように
「ファミマにいこう!ファミマにいこう!」
といい続けたら
最後、チョコとティラミス買ってくれました。笑
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これは聖書ルカ18:1-7の話「(不正な裁判官へ裁判を求めるの)しつこいやもめのたとえ」からの引用である。
つまり、おねだりしても、なかなか買ってくれない姉を「不正な裁判官」ではなく、「怠け者の裁判官」として言い換えているわけで、これは大いに笑えて、ナールホド、うまい❗と大受けの話となる。

聖書が日常生活に溶け込んでいないと、こんな風にその場に合わせた見事な引用は出来ない。この牧師家庭では、姉妹間でそれが難なく出来ているわけで、生活の中に信仰が生きていることがわかる。

皆さんも、こんな家庭のように、聖書を土台にした笑い話や例え話ができていたら、すてきだと思われないでしょうか?




ケパ




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