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ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

遠藤周作「沈黙」への答え

2015年11月11日 | 信仰
イスラエルで親しくなったある姉妹から、おそらくその方も長年疑問に思っていたことだろう、遠藤周作の「沈黙」について問われた。「沈黙を破り、主人公の『転び』を是認したあの神の声はどうお考えですか?」

私は即座に「あれは神の声ではなく、サタンです」と答えた。奉行の策略で自分が転ばないために、どんなに信徒が拷問の苦しみを受け続けようと、それで殉教しようと、それは素晴らしいことです。天国はその人のものだからです。転んではなりません。肉の命を惜しんで、永遠の命を失うのは愚かです。サタンは肉の命しか奪うことができないのですから、どんなことがあっても神に頼り祈り、共に苦しんだ信徒と共に天に凱旋しましょう、と。

ずいぶん立派なことを言っているようだが、しかし私にだって殉教できる自信はない。無いのだが、ただ、神を知っている。私の主である神は、祈り、御手に己を委ねれば、私の信仰を、御名を否まぬよう守ってくださるばかりか、そうでなければ主の手のわざを私は見ることを知っている。

15歳の時に、この沈黙に出会った。その途端恐れが生じ「自分は信仰に死ねるか?」を常に問うようになった。死ねない自分に、一時は教会からも遠ざかったが、二十歳の時に、このことを一時棚上げにして信じた。以来40有余年かかって、私は「沈黙」の答えを得たのだ。

神を体験し、しもべとして親しく交わり、その性質を知るようになって、つまり聖霊のバプテスマを受け、カリスマ派の信仰によって私はこの本を乗り越えることができた。どんなに哲学や修辞学をこなしても、人の力で神の沈黙を押し破ることはできない。そうではなく、ただ真実の信仰によって、神の愛と哀れみによって、神の主権によって神は語ってくださる。答えられないと思うのは、自分が傲慢だからだ。沈黙は、天上の神を地上の肉の目で捉えようとして生じた、悲劇的な結末の一つに過ぎない。
ケパ




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