ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

モバイルwife

2015年11月02日 | 派遣

今回の派遣に、モバイルwifeをリースしてきました。その恵みは、たくさんあります。

ケパさん、真剣にイスラエルの、メッセージ配信で、ロシア系ユダヤ人レオンさんのメッセージを聞き直してます。
更に、

昨夜は、船橋新年礼拝が見れるぞ。と喜び踊ります。

更にきょう2日の備蓄で、ランチの後は
ロビーに来て(wife環境がとても良いの)

昨夜の続き、留守中のメッセージして下さった、ダニエル森牧師のメッセージ聞いてます。
そして、ブログも挙げられます。もちろんホテルにもバスにも無料で飛んでいますが、繋ぎが早いのです。感謝ですね~
ツアー後半にはいりました。後半もあげますのでね、お楽しみに。
ドルカス


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ヤルデ・ニット(ガリラヤ湖からはじまるヨルダン川最上流地点)

2015年11月02日 | 派遣
今日は二人の少年のパプテスマ式(こういう全身沈めるのは洗礼とは言い表さない)だ。

いつも美しいここは、まだ水も豊かで緑が美しい。随分水量があるように見えるが、実はほとんど流れておらず、まさにプール状態。


明日はここからはるかに下った死海近く、バプテスマのヨハネの場所近くに行くが、そのヨルダン川は全く別な様相を呈しているはずだ。ちょっとここでの式はありえないほど。しかし二千年前は死海近くでも、このヤルデ・ニットのように水は綺麗だったのかも知れない。今とは水量が全然違って多かったようだから。 ケパ





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聖地、遺跡、真実

2015年11月02日 | 示されたこと
ここイスラエルは、聖地である。だからエルサレムでは、ここがキリストが歩かれた道(ドロローサ)、十字架に架かられた所(聖墳墓教会)、主が囚われペテロが泣いた所(鶏鳴教会)とされ、またTabgha(タブハ)でもそうなのだが、イエスがかの有名な山上の垂訓を垂れた所(垂訓の丘教会)、カペナウムのここがペトロの姑たちの家、五つのパンと二匹の魚を分けた所(五つのパンと二匹の魚教会)云々と道案内される。(写真はアルベル山上での礼拝)

しかし実際の所、それらはすべて疑わしい。ゴルゴタの場所とされ、もっとも確実だと信じられている聖墳墓ですらも、コンスタンティヌスの母ヘレナが326年にエルサレムを訪れ、散々探し回って、らしき所にあたりをつけたにすぎない。だからガーデンチュームという、ライバルの存在もある。
ただ、聖書のこれらのことがらがあった、というのは真実なので、拝礼の対象として「この辺りでしょう」ではまずいので、「ここです」と決めつけたとしか思われない。だから私はそのような特定された場所、モノを拝礼することに強い違和感を持つ。だいたいの目安としての意味はあると思うのだが。

しかし中には確実な場所もある。それは神殿の丘、エルサレムの各門(門の場所であって、門の形ではない)、オリーブ山などである。またガリラヤでは、カペナウムやコラジン、マグダラなどのやや広めの遺跡群である。しかし山上の垂訓や五千人の給食など、特定できるはずがない所は、だいたいこんな感じだったのだろうという程度でよい。

しかしたとえそうであっでも、オリーブ山で神殿の丘を望みながら、またガリラヤ湖畔に佇みながら祈るならば、なんとも言えない臨在感が迫り来るのは大きな恵みである。また「ああ、この景色をイエス様も見られていた」と、神が二千年もよくぞ保存してくださったと、心から御手に感謝が沸き起こる。そういう意味で聖地はやはり、聖地であり、聖書が事実であり、真実であるかけがえのない証拠として今も存在をしているのだ。 ケパ


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