昨年の12月に95才亡くなったばかりで、追悼の映画でもある。知る人ぞ知る世界的な偉人であったが、映画はその生涯を忠実に再現していた。人種間の憎しみを、「戦い」から「平和」へと切り替える・・・・この偉大な変化を成し遂げた・・・・そんな例は数少なく、未だにアフリカでは部族間、宗教間で、恐怖と憎しみの連鎖によるジェノサイド(大虐殺)のただ中にある。南アフリカもそうなりかけたが、そうはならなかった。かえって全人種による選挙、平和を成し遂げた。キーパーソン、「マンデラ」という人物が居たからこそである(写真下は本人)。しかし、当初から私は思っていたのだが、それにはもう一人、アパルトヘイトを廃棄、マンデラを釈放し権限の委譲をした第7代大統領である白人の「デクラーク」なしにはあり得なかった話である。それゆえノーベル平和賞は、この二人のものだった。
この映画を観て一つ残念に思うのは、マンデラはプロテスタント(新教)のメソジスト教会に属するクリスチャンであった。デクラークもプロテスタントのクリスチャンであった。それがばっさり削られていて、逆に「宗教では頼りにならない」風な映画にしてあった。興行的に必要なのかも知れないが、これは人間の力を称えようとするものである。人はみな平等という信念、基本的には非暴力、特にあれだけ多くの犠牲者を出しながら、プロテスタント系のクリスチャンでなければ、その「一切を赦す」的な発想は出てこない。それがカットされていたのだ。
特に下記の有名な<マンデラの言葉>をご覧いただきたい。私はキリスト教臭さを排したこの中に、最大限クリスチャン的な臭いを感じるのだが。
キリストは史上もっとも残忍な処刑である十字架の上から、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです(ルカ伝23:34)。」と語られた。アメリカの黒人奴隷解放においても、南アフリカ共和国においても、過ちや紆余曲折をえながらでも、結局は聖書を信じる民と、その人々に現された神の力を見る思いである。
<マンデラの言葉>
生まれたときから、肌の色や育ち、宗教で他人を憎む人などいない。
人は憎むことを学ぶのだ。
もし憎しみを学べるのなら、愛を教えることもできる。
愛は、憎しみに比べ、より自然に人間の心にとどく。
ケパ