広島では91歳の母や、姉の家族、親族が集まって、父をしのぶ旅をしたのだが、92歳の母とひ孫にあたる1歳2ヶ月の対比が印象深い。
母は10年前にアルツハイマー症に認定され、現在では要介護5寸前状態であり、歩くこともままならなくなった。もちろん私たちが自分の子であることが分からない。
10年かけて坂道をゆっくり下り、底も見えてきた感じだ。
母がこういう状態だけに、同じように手がかかるとはいえ、ひ孫の存在はみなの心を明るくしてくれる存在であった。明暗が相半ばされてよい。
こうして4世代が集まると、家族というものが理屈抜きに目に見えて存在する。その強い絆に信仰などどこかに飛んで行ってしまいそうな気がするほどだ。日本人の多くは、肉の関係に埋没する。ところが聖書ではまったく異なることを言っている。
イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者で、その百倍を受けない者はありません。今のこの時代には、家、兄弟、姉妹、母、子、畑を迫害の中で受け、後の世では永遠のいのちを受けます。(マル10:29-30)
これを「何という厳しさだろう」と受け取ってはならない。神を信じる決然たる優先順位だと受け取らなければならない。肉に生きるのではなく、神の国を選ぶ者は、霊をまずもって選びとらんかえればならない。肉は滅んで行くものだから。 ケパ