かつて私は、どうして神はサタンの存在を許しているのだろうか?と思っていた。神の力をもってすれば、たちまちの内にサタンを滅ぼし、火の池の中に投げ込むことができるはずだ。それなのに、その活躍を許しておられるから、私たち人間が罪に苦しまなければならないではないか、と。
しかしそれは神さまのご性質がわからない無知による。神は聖なるお方で、罪とか悪とか汚れにまったくほど遠い存在だ。神を信じる私たちは、滅ぶべき肉の体を着ており、肉のこころを持っている。言わば神の国を汚染してしまう存在なのだ。それをあぶり出してあからさまにする働きをするのがサタンの役回りなのだ。
自分の滅ぶべき罪がわかり、またそれを自分でどうすることもできないので、ただ神に拠り頼み、幼子のように救いを求めて祈る。サタンは私たちが悔い改めて神に立ち返るために、あえて解き放たれているのだ。偽メシアや反キリストたちは、再臨時には用が済むとさっさとゲヘナの火の池に投げ込まれるが、ご苦労なことにサタンはさらに千年後また解き放たれるのは、そのためなのだ。
神の知恵と深淵は測りがたく、偉大だ。どんなに試練や困難があろうとも、神に拠り頼むなら神はそれを最善の結果へと変えてくださる。良きことしかお出来になれないのが神さまなのだ。
えーっ、悪い役向きはサタンを活用させて、最後の最後はお役御免で、サタンはやはり火の池に・・・・です。 ケパ