ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

ふたりの父

2013年01月26日 | 信仰

ふたりの父

 人には肉親の父がいますが、クリスチャンにはもう一人、天の父なる神がいます。本来ふたりの父はまったく別個の存在ですが、多くの人において肉親の父親像というものが、天の父の理解に大きく影響を与えているのを見るのです。つまり、実際の父がこわかったら、天の父に対しても「こわがる」です。条件反射的に「父」と来たら思うようです。これは天の父だけでなく実際の父にとっても悲しいことですが、幼いころからのことなので、本人にもどうしていいかわからないようです。

 昨日尊敬する先輩牧師から「恵み」と「甘え」はほぼ同義語だと聞き、目からうろこでした。父を恐れていては、甘えどころではありません。莫大な天からの恵みは、その方には届かないことでしょう。これは絶対に解消して「甘え上手」にならなければなりません。

 30年前に逝ってしまった実父は、心から尊敬できた父であり、母よりも好きな存在でした。人々にも尊敬されていた父は、葬儀に何百人もの人々が参列してくれたのですが、普段の父には立派さは感じても、「こわさ」は微塵も感じませんでした。難しいお話好き人間で、父のひざ元に行けば、真実自分を理解してくれました。そんな父でしたから、大人になっても父に甘え続ける反面、決して悲しませてはならないと思っていました。

 肉の父がそうでしたらから、天の父とはなおさら強固な関係になりました。本来、天の父は「アバ父よ」(ガラ4:6、ロマ8:15)と呼ぶほどの、私たちと親しい関係です。私は父への甘え方を知っています。母とはまったく異なるものです。詩編51篇にダビデがバテ・シェバとの罪を犯した時にうたったものですが、ダビデもたいへん上手だったことがわかります。

 父への甘え方のポイントは、何も隠さず、むしろすすんで悪かったところを言うことです。父親というのは、起こった出来事だけでは判断しません。愛する息子の将来を見、そのために今すべきことを判断します。罰するべきかどうかは、真に心から悔い改めているかどうか次第です。隠さず、すべてを告げ知らせてくれ、処置を全面的に委ねて来ているわが子なら、むげな処置ができるはずもありません。これがポイントです。
 これをしたダビデは、ただ罪の結果生じた子どもの命だけが取られました。他に一切罰せられませんでした。それどころかその後バテ・シェバとの間にできた子ソロモンがダビデの跡継ぎとなったのでした。

 絶大な恵みを、神から受けましょう。父を恐れずにひざ元に飛び込み、恵み深い父を、心から尊敬し、愛したくなるのです。
 ケパ

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