テニスコートでこの二日間シングルスをした。こんなに続くことは珍しい。今日の様子は(写真)これだが、昨日の隣のコートでは、大学の同好会らしき男女8人がお隣だった。
こういう場面でいつも不思議に思うのだが、判で押したように女子学生はロングヘアーに外巻きボブの、お嬢様スタイルである。どう見てもあれではテニスにならないと思うし、どうも私たちのようなテニス一筋、「いざ勝負、勝負」というのと目的が違うようだ。
しかし考えようによっては、これは非常に優秀な彼氏の見つけ方だと昨日の私は思った。なぜならテニスというのは、少しでもお手合わせをしてみれば、相手の人となりが非常によくわかるものなのだ。雰囲気とか口先の言葉で飾りようのない、不利な判定でも正しくジャッジできるのか、ガッツがあるのか、自分の力を把握した上での戦略というものを立てられる男なのか、こうした人間性というものが、勝負というプレー(行い)を通してわかるのだ。
だから昔、天皇は皇后と軽井沢のテニスコートで付き合って意思を決めたというのは有名な話だ。また私の娘がもし彼氏を連れてきたなら、(彼がテニスができれば、の話なのだが)ちょっとテニスをしてみれば人物がよくわかるのに、と思っていた。だからお隣の某大学の某テニス同好会の彼女たちは、非常に賢明な彼氏探しをしていると言える。
聖書にもこんな御言葉がある。
「信仰も、もし行いがなかったなら、それだけでは、死んだものです。(ヤコブ2:17)」 言葉も大切だが、言葉の「実である、行い」も欠かせない視点だ。 ケパ